04.これからのこと

「自転車って案外高いんだから。って母さんに言われたから、しばらくよろしくお願いします」

タケルからそう言われたのが、1週間前。つまり、タケルを自転車に乗せて通学するようになってから、今日で丁度8日目というわけである。面倒すぎていつも嫌々送迎しているが、母さんからのお達しならば仕方がない。我が家のヒエラルキーは母さんが頂点なのだ。悲しいね、父さん。

郁は校門から出てくる生徒へ視線を向ける。これだけ毎日立海に来ていると、周りからも認知されてきて、変にじろじろと見られることも減った。これ幸いと観察しているわけだが、テニス部ファンクラブらしき少女たちも片手で足りるほどしか出てきていなかった。平日観戦は会員制だったりするのかもしれない。そして、残念ながら作品の登場人物にはまだ会えていなかった。今のところ、幸村と電話した以外の接触はなく、そろそろトリップの醍醐味を体験したいという気持ちが芽を出してきていた。そのためにも、これからタケルの活躍に期待したいのだが。

「遅い」

もう30分は、こんな思案をしながら待っている。にもかかわらず来る気配がない。待たずに帰っていれば、帰宅できる時間なだけに苛立ちが乗算されていく。

「よし帰ろう」

タケルには先に帰るとメールしておけばいいだろ。そう思い立ち、郁はさっさと駐輪場へ歩き出した。その背中を、緊張した様子の少女が引き留める。

「あの」

声をかけてきたのは、指定通りにきちんと制服を着用した女の子だった。現代では珍しい。これは優等生だろうな。垢抜けない感じが可愛いなとは思うが、なぜか郁は少女に睨まれているらしかった。なぜだ。なぜ話す前からステータスが怒りなんだ。

「あの、いつも…えっと…」

え?いつも?

もごもごと言葉を濁す女の子。一見可愛らしい仕草だが、そんなのは目の錯覚だ。相変わらず睨んでるからね。郁の意識は、彼女の一挙手一投足に集中する。しかし「いつも」と口にしてからは沈思してしまったらしい。仕方なく郁がおうむ返しで言葉を繋ぐ。

「いつも…?」

「……その、私…」

「……はい」

「……」

「……え?」

なんなんだ一体これこの状況。誰かに簡潔でわかりやすい説明を頼みたい。3文字以内で。いますぐに。

人違い
夢落ち
告白…

告白!?

えええええええええ。いやいやいやないでしょないない。私の頭はやはり末期だ。だって同性だしないないどうした私いやでも「いつも」とか言ってるし睨んでるように見えるのは見上げてるだけとかええええええ。

「落ち着いて、まずはお互いに…」

「タケルくんと別れてください!」

「だから、タケルくんと別れ…………タケル?」

空耳か。なんか今、恐ろしい言葉を聞いた気がする。それに睨みが更に強くなった気もします。どういうことだ。タケル?別れてください、って?

「彼女さんです、よね…知ってます。最近…帰るの一緒みたいだし…」

「…はあ?」

郁の口からいつも以上に頭の弱そうな声が口から漏れる。いや別に頭弱くはないけどね。それよりも、この子私のことを彼女とか言ったよね。念のため、確認してみる。

「私が、タケルの?」

少女は大きく頷いた。ちょっと待ってくれ、なにこの状況。郁は今すぐにでも両手を上げて「私は無実だ」と大声で叫びたい気持ちでいっぱいだった。

「別れてください!」

「別れるもなにも……あの、タケルだよ? そんなに人気なの?」

「貴女よりも…ずっとずっと…タケルくんのこと好きな人、沢山います」

まじでか。あいついまモテ期なんじゃないか。そのうち家に彼女連れてきちゃったりするのか。でもこれ本当にドッキリとかじゃないの? いまだに信じられない郁がフリップや看板を探すが、やはり見当たらない。

「私、本気なんです」

……大丈夫、薄々わかっていたよ。君は本気だ。本気で勘違いしてる。しかし、どうしたものか。ここで「ごめん姉です」なんて言うのも気まずいです。日も暮れて、郁と少女の影が更に濃くなっていく。それだけ時間が経っているということか。これ以上問答していても埒が明かないし、もう、彼女ということにしておくか。テニス部ファン怖い。帰りたい。本音を隠して少女に語りかける。

「うん、貴女の本気はわかったよ。でも私だって」

「姉ちゃーん」

「そう、姉ちゃんだから」

決まった。
と思ったその時、横から話しかけられてつい郁の口もつられてしまったのだった。郁と少女の間に戦慄が走る。そうとも知らずに走りよってくるのは、横槍を入れてきた人物。

「姉ちゃん、なにやってんの」

タケルの登場である。途端に、目の前にいる少女の頬が赤く染まり、目が見開かれていく。

「タ、タタタケルくん!」

「あ、タオルくれた子…? なんだこれどういうこと?」

どうやら少女はタケルに差し入れしてしまうほど入れ込んでいるらしい。どういうことなのかは、こっちが聞きたい。しかし、さっきまで睨まれていた視線はなくなり、むしろ郁が姉だと知った少女は縮こまってしまっている。そしてその後、タケルによって彼女ではないことを説明してもらい、誤解は無事解けた。

◇◇◇

「そういうことか」

星が瞬く帰り道、後ろから吹いてくる涼しげな風に、髪が遊ぶ。心が落ち着き、郁のなかにひとつの結論が落ちてきた。

「最近やたらと見られてたのは、嫉妬からだったのか」

ふむふむと納得している郁だったが、ガタンと体が揺れて不快感を示す。星空を見上げたまま、後ろに勢いよく体を傾ける。ドスン、と衝撃を受けて、自転車をこぐ背中にぶつかった。

「こんな坂でなにフラフラしてんの。レギュラーなんでしょ」

「…ぜぇ、ぜぇ、あの……な、」

きつそうに声を上げたのは、もちろん郁の弟である、タケルだ。現在、混乱を招いた罰として普段は降りて歩く坂道を2人乗りしたまま進んでいるところなのだ。

「ぐぬぬぬ……」

あー、夜風が涼しい。背中越しに聞こえる呻き声で台無しではあるが、この緩くて長い坂道を歩くことを考えれば随分と快適だ。それを味わいながら、再び今回のことについて考える。

正直、特別外見に優れてるわけでもないタケルにすらあんなファンがいたとは。レギュラー達はどんなことになるのだろう。人だけでなく自然すら彼らを讃えたりするのか。モーセみたいな。無我のほにゃららとかある分、真理な気もする。

「レギュラー達には極力会いたくないな……」

「うん、懸命!」

息切れしているにも関わらず、タケルが叫んだ。なるほど、既に被害者なのか。南無南無です。少々残念だが、しばらくは自重ということか。タケルから話を聞くだけで我慢しておこう。この決意が無意味であったと郁が気付くのは、そう遠くない未来だったりもする。


120724 これからのこと/完
140216 修正
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