06

ほんのりと桃色がかったリボンのついた、真っ白な帽子を目深にかぶり直す。手を離したせいでフレアスカートがなびいたが、構いやしない。そもそも、嫁入り先の父からいただいたこのワンピースは、暑苦しくて仕方がないのだからこのくらいがちょうどいい。郁はただただ、潮風を感じながら水平線を見つめ続け、あることを考えていた。

「なにを見ているんだい、姉さん」

郁の背中を叩いたのは、いままさに幸せを噛み締めているであろう、義理の弟だった。首だけ振り向いたが、彼の顔が見上げきれなくて、仕方なく体ごと振り返る。お前は巨人か、ジョナサン。数年で成長しすぎだよ。再会時の第一声が「デカッ 」だったことはここだけの話だ。……私も同じだけ時間を重ねてきたのに、やっぱり17才頃で成長が止まってしまっていた。

そして、すっかり大きくなったジョナサンは、今日、初恋の相手であるエリナと新婚旅行へ出かける。まず結婚したことに驚いたが、なんでも、火事の負傷を看てくれたのが、看護婦として働いていたエリナだったらしい。しかも、ディオは同じ頃に留学してしまったというのだから驚きだ。

どうりで手紙の返事がこないわけだ。しかも、連絡先を私に教えないようジョナサンたちにお願いまでしたらしい。勉学に集中したいからって、実の姉になんたる仕打ち。帰国したら、婚約者と一緒にジャイアントスイングしてやる。……そんなことを考えていたのだった。だが、そうもいえないので、郁は咳払いをしてから口を開いた。

「海の向こうにいるディオも、大きくなったかなって」

郁の倍はある体を見上げるのに疲れて、再び海を眺める。穏やかな海は、水面がキラキラと光って少し眩しい。こんなおめでたい日には、ぴったりの快晴だと郁は思った。留学をしているというディオも、この空の下でジョナサンとエリナを祝福しているに違いない。そして、ジョージさんも。

郁は、立ち会えないまま旅立ってしまった、心優しい父を思う。──ふと、その顔に影が落ちた。横を見ると幸せのなかにいるはずのジョナサンが、苦しそうに笑っていた。

「悩みごと?」

「え?」

「ジョナサン、泣きそうな顔してるから」

私の指摘に驚いて、彼はまた下手くそに笑った。心優しいジョナサンのことだから、きっといろいろと心配しているんだろう。音信不通のディオのこととか、嫁入りしたにも関わらずまだ結婚していない私の今後とか。しかし、ディオのほうは特に心配は必要ないと思っている。というのも、あの「タケル」のことだから、いまごろ原作に巻き込まれているはずに違いない。……まあ、ハンターのときも、巨人のときもなんだかんだで重傷すら負ったことなかったし、今回も大丈夫だろう。

「ディオも薄情者だけど……きっと元気にやってるって。便りのないのは、よい便りっていうでしょ」

だから、ジョナサンは安心して幸せになりなよ。照れ隠しに、右肘で巨体の脇をぐりぐりする。むしろ問題なのは私の売れ残り状態な。この時代にしては晩婚な年齢まで来ちゃってるんだよね。なのにまだ婚約者は留学から帰ってこないし。もうこれ絶対現地でいい人できてるパターンでしょ。でもいまから家を出ても実家は焼けちゃって行くあてなんてないし。弟たちの厄介にはなりたくないし。ここはもう一人暮らしするか、探検家になるしかないかもしれない。

ノープランすぎる自分の人生に空笑いをしながら、ぐりぐりを続行する。ジョナサンのことだから、そろそろ我慢できずに「うわぁ」とか情けない声を出すだろう。そう思っていたのに、彼は郁を思い詰めた様子で見つめ返してきた。

「姉さん、ごめん」

「……ん?」

「実は、ディオは──」



「ブランドー様」



思いがけずにファミリーネームを呼ばれて振り返れば、港の入り口に見覚えのある女が立っていた。郁に向かって控えめに手を上げてから、隣にいるジョナサンに会釈をする彼女。郁が奉公している屋敷で、郁の家庭教師を勤めるその人に違いなかった。なにかあったのだろうか。

「ちょっと行ってきてもいい?」

「もちろんだよ」

「見送りの前には会いに行くから」

ジョナサンが頷いて、船に向かう姿を確認して、郁は教師の元へ駆け寄る。彼女はピシリと整えられた服装と佇まいで、郁がやってくるのを待っていた。これぞまさに正真正銘の英国メイドだよなと、心のなかで感嘆を吐く。そして、彼女の雰囲気が普段と違うことに気がつく。いつも浮かべている笑顔が見えないからだろうか。

「ブランドー様、お手紙でございます」

彼女は淡々と郁に用件を伝えたかと思うと、音もなく1通の手紙を差し出してきた。ファミリーネームで呼ばれたことなんていままでなかったのに。違和感を感じながらも、郁は礼を言って白い封筒を受けとる。表には私の名前が美しい筆記体で綴られている。誰からだろうかと裏を見れば、そこには弟の名が記されていた。

「こ、これ……」

「お読みください」

郁は、言葉に従うまでもなく手紙の封を切った。2つ折りにされた白い便箋が覗く。ゆっくりとそれを取り出して、視線を滑らせる。なかには、ずっと連絡ができなかったことへの詫びと、ジョナサンとエリナの2人を祝福するために既に船へ乗船して、あるサプライズを用意しているという内容が書かれていた。

2人を一緒に驚かさないか?

……いやいや、もっと普通の再会はできないものなのかお前は。そう呆れながらも、郁は手紙をしまって船の乗船口を目指す。2人を祝いたいという気持ちと……弟に会いたいという思いが、郁の足を動かしていた。




ディオが指定した船底室にたどり着いた。扉を開けば、じっとりとした空気が郁の頬を撫でた。室内には明かりがなく、奥をうかがうことはできないが、人の気配は感じる。

「姉さん」

随分と懐かしい声が聞こえたのは、やはり部屋の奥からだった。入り口の柱に身を傾けながら、こちらへやってくるのを待つが……動く気配がない。どうやら、そもそもそんな気すらなかったらしい。出港まで時間がないってのに。廊下へと半歩下がって確認した窓の外では、太陽が海に沈み始めていた。

「身動きがとれないんだ。すまないが、奥へきてくれないか?」

「どんだけ大きなサプライズ用意してんの」

プレゼントを両手に抱えながら、動けなくなっているディオを思い浮かべて、ため息を吐く。……仕方がない。郁はコツリと靴音をたてて、室内に踏み入れた。

そのまま抜き足差し足で暗闇のなかを進み、部屋の奥をめざしていくと、なにか細い紐が郁の首をかすめた。

「ん?」

なんだろう、妙に温かい。指先に触れて確かめようとするが、なぜか捕まえられない。天井からなにか紐が垂れ下がっているのかもしれない。

「姉さん、会いたかったよ」

紐を捕まえることに躍起になっていた郁の鼻先で、突然、ディオの声がした。驚いて身を固くすれば、またしても首に紐が触れる。……いや、紐は触れているばかりか、いつの間にか郁の首にとぐろを巻くようにして絡みついていた。

顔の前からは依然としてなにかの視線と吐息を感じる。気配からして、ディオだろう。ディオが、数センチと離れていない距離に立っている。

「ディオ、って……あれ?」

胸板を叩こうと伸ばした腕が、空を切る。手や足を伸ばして何度も確かめるが、手応えがない。しかし、ディオの気配は変わらず正面から感じる。……おかしい、これではまるで、首から下がないみたいではないか。

「サプライズって、手品?」

「いいや」

「いい加減に……てっ、うおおっ」

今度は左側の首筋に、生暖かさを感じて間抜けな声が出た。その間にも、じっとりとしたなにかが下から上へと移動していく。襟足が総毛立つのを感じて、郁は無意識に首にあるなにかを掴んだ。さらりと、指の隙間を絹のような肌触りがすれ違う。そして指先は、ひんやりとした温度を伝える。

そのとき、郁のなかからストンと、恐怖心が抜け落ちた。だからといって、いまの状況を理解したわけではない。まだよくわからないし、ディオがなにをしたいのか検討もつかないが……なんとなく、ディオがなにかをやらかしてしまったということは把握した。そして、私はそれに巻き込れるらしい。

ふー、と少しばかり長めのため息をついて、郁は腹を決めた。

「いいよ」

郁の腕に抱えたなにかが、ビクリと動く。ゆっくりと撫でてみれば、それはやはり、小さな頃から幾度となく撫でた彼の頭に違いなかった。

「よくわからないけど、いいよ」

伊達に何十年とタケルの姉やってないし、巻き込まれるのにだって慣れてる。事情は聞かずとも、受け入れてあげられるくらいの愛情も、持ち合わせている。この世界のタケルが、ようやく甘えてきたのだ。ならば、優しくその身を抱き締めてあげようではないか。

「ありがとう、姉さん」

今さらでしょ

その言葉がディオに届いたかはわからない。左肩になにかが突き刺さると同時に、頭が痺れだしたのだ。遅れてやってきたジクジクとした痛み。……どうやら、噛みつかれたらしい。

中二病がすぎるだろ

的確なツッコミの言葉を頭に反響させながら、郁は次第に意識を手放していった。そして郁は、これまで以上に長く、とてつもなく深い眠りのなかへと沈んでいくのであった。



140912
141120 修正

1部完
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