3部

外は、突き抜けるような晴天だ。なにもしないでいると、自分がまるでフライパンで調理される具材になってしまったような気がしてくる。たまに風が吹いたかと思えば、砂塵がビシバシと肌に当たってくるから、さらに鬱陶しい。日の差し込まないテラス席で、グラスのなかの氷を回す。カラン、と抵抗なく回るそれは、随分と小さくなってしまっている。

「あっつぅ……」

心底うんざりしながら呟いた言葉は、市場を行き来する人々の波で掻き消された。暑いし人は多いし砂まみれになるし、カイロってのはつくづく人が生活するのに合わない土地だと思う。にもかかわらず、なんでここの人たちは、平然と日差しの下を歩いてるんだろう。私なら絶対家で引きこもるよ。もちろん、明るい光が入るうえに、普通の食生活ができる家に限るが。

郁はグラスに差したストローを口にくわえながら、笑顔で往来を歩く人を眺める。ウェイターを呼んで何度目かわからないおかわりをもらって、日が沈むまで外にいたいところだが……散歩と称して徘徊すること、すでに数時間。そろそろ帰らないといらぬ心配をかけてしまうだろう。

またあの窓が開かなくて、常に鉄臭いうえに無駄に広いあの家に帰らないといけないのか。……そんな家になってしまっているのも、そこに住まないといけないのも、すべて、中二病をこじらせまくったせいで正真正銘の吸血鬼になったという弟のせいだと思うと、自然とため息が出てくる。

症状が悪化していることはこの際置いておくとしても。首をガブリとされて意識を取り戻してみたら、100年経ってたとかね。ドヤ顔されながら聞いたときは思わずぶん殴ってしまった。あれ以来、私にまで吸血鬼設定を押し付けてくるから、大変だったなぁ。

真っ暗すぎるからと窓を開けたらすごい勢いで灰になるぞと怒鳴られたし。そのあとも、なんで灰にならないんだとかなんとか言っててやかましかった。まあ、いまはなにも言わなくなったので、諦めてくれたのだろう。ほかに夢中なことを見つけたみたいだし。なんだっけ……スラダン? だった気がするんだけどどうですかね、安西先生。遠い目をしながら上げた視線。その先に、目を見開きながら郁を見つめる人物がいた。もちろん安西先生ではない。

「姉ちゃん!?」

それはいつも会っているはずなのに、随分と久しぶりに見た顔だった。どういうことだと言われても、そうとしか言いようがない。彼は、戸惑って返答さえもできない郁を待たずに走りより、すごい勢いで抱きついてきた。唖然としながらもその体を抱き止める。座っていた椅子が悲鳴を上げた。

「タ、タケル……なの?」

「〜〜っ……姉ちゃんんん!」

「グアッ!」

感極まったタケルは、抱きつく力を強くして郁の首を締め始めた。昔懐かしいタケルの学ランが目の前一杯に広がる。思いきり息を吸って、思い出に身を投じたいところだが……そもそも、息ができない。油断していて、首をホールドさせてしまったからだ。これではまずいのでなんとか気道は確保しようと、肘の辺りをガシッとつかんで離しにかかる。うなり声が口の端から漏れていく。腕ごともいじゃうのはやばいからと手加減しているせいか、なかなか振りほどけない。仕方がない、金的を……

「おい」

右足に力を入れたそのとき、タケルの後ろから声がした。覗きこめば、昭和番長みたいな格好をした男が、テラス席の入り口に寄りかかりながら立っていた。なんでカイロにジャパニーズヤンキーがいて、しかもメンチをきられているのだろう。いつの間にか体も震えてきた。……私の、ではなくて抱きついているタケルの震えが伝動してきているんだけどね。おかげさまで息はできるようにはなったけど、事態はさらに複雑になってきている。だから、震えてないでなんとかしろよタケル……!

「タケル、なにしてやがる」

「……ごめん、ちょっと待って、俺いまめちゃくちゃ泣いてるから」

どうやら、ヤンキーはタケルの知り合いだったらしい。なんだよびっくりした。一度安心した郁だったが、今度は別のことに気がつく。タケルと仲がいいってことは……あのヤンキーは主人公組……?

待って、100年ごしに主人公たちと絡むの? てっきりもう原作シナリオは100年前に終わってると思ったのに……。そしてわきあがる、本当にこいつはタケルなのだろうか。という疑問。これを知るために、郁はひとつ質問をしてみることに

「タケルって友達いるの?」

「い、いるよ!? ていうか再会の第一声がそれかよ!」

体を離して号泣する顔は、小学生のときに見つけたタケル自作ポエム集を朗読したときと同じだった。そしてこの残念コメント。間違いない、タケルだ。郁はそう確信した。

「じゃあ、久しぶり?」

よ、と上げた片手がすごい勢いではたき落とされた。痛いじゃあないか。痛くないけど。

「クールすぎ!」

いや、だって慣れてるし。このくだり一体何回やってると思っているんだ。ため息を吐き出す。

「はあ、えっと……ちなみにどのくらいぶりだっけ」

私としてはもう150年くらいぶりだけど。このタケルはどこのタケルなんだろう。着ている服は、私がまだ普通の生活をしていたときの制服のようだが、もはや記憶もあやふやなので本当にそうかは自信がない。

「1ヶ月くらい、かな。いつの間にか学校に承太郎たちがいて、それで、姉ちゃんだけいなくて……」

「は?」

これは、いままでになかったパターンだ。学校から私だけがいなくなった? 大体は私の存在があって、そこにいつの間にか溶け込んでいくのが私なのに。しかも1ヶ月前? 100年前の間違いではなくて?

「姉ちゃんのことなんて知らないって、母さんも父さんも言ってきてさ……でも、信じられなくて。だって、確かに寝る前まではいたんだぜ? なのにみんな俺は一人っ子だって言うんだよ。アルバムなんか開いても、姉ちゃんと写ったはずの写真なのに俺だけで写ってて……」

「う、うん」

詳しく話を聞きたかったが、タケルのマシンガントークは止まらない。そのうち椅子に座っている郁の両肩を押さえ込むようにして掴んできた。痛いとか苦しいとかはないけど、覆い被さるようなこの体勢はちょっとどうなの。相手がイケメンだったらいいけど、鼻水垂らした弟だからね。

「そしたらジョセフさんが、あ、承太郎のじいちゃんなんだけどたまたま会ったときに念写してくれてカイロいるってわかってとにかく行って会いたくてちょうどいいからって承太郎たちに着いてきてだから会えるかわからなくてでもやっぱり確かめたかったから俺、グフォアッ!!」

「あ、ごめん」

あまりのノンブレスっぷりに、郁の右アッパーが炸裂してしまった。デコピンをする程度の強さで放ったのだが、タケルの体は夏空に浮かぶ花火のように打ち上がった。と、同時に覆い隠されていた視界が開ける。視界の先には番長のほかにも、何人か男性が揃っていた。みんな、一様に地面に叩きつけられたタケルを心配して駆け寄っていた。そのうちのひとり、電柱のような頭をした男はタケルの体を抱いて郁に吼える。

「お前タケルの姉貴じゃねえのかよ!?」

「……あ、あまりにもうるさくて」

「Oh My God……!」

見た感じ無傷だし、そんな騒ぐことじゃないとは思うけど。むしろ、一連の騒ぎですっかり人の視線を引いてしまっていることが問題じゃないかな。店員の迷惑そうな顔から目をそらして、グラスを傾ける。グラスのなかの氷は小指の爪ほどの大きさになってしまっていて、すっかりぬるくなっていた。段々日も傾いてきたし、そろそろ帰らないと。伝票を片手に立ち上がる。

「ね、姉ちゃんどこ行くの」

「帰るの」

「は、はあああ!?」

「散歩って言って出てきたしね」

「!?」

口をパクパクするだけになったタケルを放置して、さっさと会計に向かう。……ハズだったのだが、体になにかの抵抗を感じた。踏み出そうとした右足が、踏み出せないまま止まってしまう。だが、違和感はそれだけではなかった。

──下着姿になっていたのだ

「は? は?」

半裸の体を覆い隠す時間もなく、光る衣が全身を覆い始めた。爪の先までオーブに包まれると、光が弾ける。見下ろした自分の体は、トリップ前に着ていた学校指定のセーラー服を纏っていた。まるで1世代前の美少女戦士の変身のようなそれは、郁を呆然とさせるには十分だった。

「なに……こ、れ」

セーラー服のリボンを引っ張ってみるが、たしかにスカーフ特有のカサカサした感触もある。スカートの丈も、ハイソックスのワンポイント柄も一緒であるのを確認して、郁は自分の右足首あたりになにかがくっついているのを発見した。それは、毛糸ほどの太さをした赤い糸だった。どこから伸びているのかとたどれば、タケルの腕にいきつく。瞬時に、郁はこれがタケルのせいだと直感した。

「あんたね、」

文句を言ってやろうと、詰め寄る……が、郁の足は空を切った。視界が反転していく。あれ、と気がついたときには目の前に青空が広がっていた。そしてそれ以来、郁の意識は途絶えた。


150907 第三部
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