04

ライブは大盛況に終わった。終了のアナウンスが流れても、客はアンコールの手拍子を続ける。呆然としている郁は、一瞬なぜ自分がここにいるのかわからなくなった。

「郁、楽屋行くわよ」

「楽屋……」

母親に肩を叩かれても上の空のままで、席から立つことはできなかった。見かねた母親は、無理矢理に腕を引っ張って立ち上がらせる。そのまま先導されるようにして歩く。足元がもつれながらもなんとかたどり着いたのは、白い扉の前だった。郁はそこでようやく、辺りから喧騒が聞こえなくなっていることに気がついた。

「母さん、なにここ」

「楽屋に決まってるでしょ」

「……あ、そっか楽屋か」

そういえばさっきそんなこと言ってたな。でも、なんで楽屋なんかにいるんだろう。母親の手が白い扉のドアノブを回す。

「ちょっと待った」

母親の腕を掴み、ドアが開かないよう板の前に足を置く。母親はひどく驚いたように郁を見上げた。だが、それに構っていられるほど郁には余裕がなかった。よく考えれば考えるほどに、この楽屋は危ない気がする。だって、ここ、うたプリの世界だよね?……アイドル、だよね。いままでの学生がわちゃわちゃするだけの世界じゃない。下手したら公共の電波に乗ったり、全国紙に載ったりしてしまうかもしれない。芸能人、なのだ。憧れもあるが、その分恐ろしい。

「郁、なにやってるの開かないでしょ」

「開けさせない、私、帰る」

「はあ?タケルに一言くらいかけてあげなさいよ。郁が行けば喜ぶわよ?」

「タケルとか本当にどうでもいい」

この会話の間にも母親はドアノブを何度もひねろうとするが、郁は少しも力をゆるめない。そろそろ激昂がくるかなというときに、思いがけず隣から話しかけられた。

「どうかしたのかい、レディたち?」

色のついたような艶のある声だった。ひたすらにドアノブを見ていた郁は、顔を上げる。数歩距離を取った場所にいたのは、先ほどステージの上にいた人物だった。

「あら、レンくん」

「ん?ああ、タケル先輩のお母様でしたか」

え!?顔見知りなの!?母親が平然と挨拶していることに驚きすぎて、口が塞がらない。先ほどから郁の頭のなかでは緊急脱出のサイレンが鳴り響いているが、足は動かない。そうこうしている間にレンくんとかいう青年の視線が、容赦なく郁に降り注がれる。

「……どうも」

我慢ならず、俯き加減に会釈をして、ひたすらに視線が離れることを祈る。母親が郁の無愛想さを「ごめんなさいねぇ〜」なんて謝っているのを頭上に聞いていると、ドアノブが突然動いた。ガチャリ、と完全に回りきった音を聞いたとき、郁は驚いて身を引いてしまった。

しまった

ドアの板がゆっくりとこちらへ向かってくる。徐々に見え始めた室内には、複数の背中が認められた。そしてドアを開いた人物の姿が扉の向こうから現れたとき、郁は膝から崩れ落ちそうになった。

「姉ちゃん!」

タケルだった。

「俺どうだった?あのさ、ターン上手くなったと思わない?ていうかまさか姉ちゃん来てくれると思わなかったから、あ、楽屋のなか入る?」

「いや、帰る」

「え……?」

扉開いてなかに誘導するタケルに、郁は扉を閉じようとすることで対抗する。ちらちらなかの様子が見えたけど、なんかキラキラしてる人たちがいた。これはダメだ。どう考えても面倒なことが起こる。とにかく早くここから離れなくてはいけない。母さんを引きずりながらでも帰らなくては。

「あらやだ藍くん、相変わらず可愛いわねぇ!」

「……そう?」

なんと、母がすでに室内でアイドルグループのひとりと親睦を深めていた。ガッテム。しかし、ならばもういい。母さんは置いて、さっさと帰ろう。怒りの念を胸に抱きながら郁は身を翻し、廊下を戻る。

ていうか、息子は放置して他所の子に声をかける母親ってどうなの。薄情すぎるよ。私も人のこと言えないけど。そんなことを考えながら歩いていると、突然目の前に桃色が散った。同時に、体がなにかに包み込まれた。

「きゃっ」

可憐な声が、頭上のかなり近い場所から降ってきた。状況が分からずに見上げた先で、端正な顔立ちをした美女がすごい至近距離で苦笑していた。どうやら、私はこの美女に猪のごとくぶつかり、そのまま彼女に抱き締められたらしい。そこまで分かってこぼれた言葉は、とても簡素なものだった。

「す、みません…」

「ん、いいのよ!アタシもボーッとしちゃってたから。それよりも、あなたはケガとか大丈夫だった?」

「ないです」

「それならよかった……て、あらぁ?」

美女は、なにかに気がついたように声をあげた。そして、郁の顔を鼻先がつきそうなほどに、まじまじと見つめ始めた。

「な、え、……おっ」

あまりにもまっすぐな視線に、逃げ惑おうと身をよじる。だが、体はぶつかったときのままにホールドされていて抜け出せない。かなり本気で抵抗してみるが、美女の腕は微動だにしない。なんだこのひと、顔に似合わず腕力半端ないんだけど!

「ン〜?あなた、誰かに似てる気がする…」

「……」

さて、誰でしょうか。少なくとも、タケルではないです。なんて言葉が喉まで出かけて飲み込み、沈黙。楽観的に考えても、この美女はタケルと面識があるようだ。危険だ。早くなんとか逃げ出さなければ。イモムシのようにもぞもぞと体を捻って、美女に離してくれと意思表示してみるが、やはり美女の腕の中から抜け出すことができない。

「ふぬぐぐぅ……!」

「あ、その顔!筋トレしてるときのタケルンにそっくり!」

「はな、は、離して、く……うぬぬ!」

突っ込みたい点は多々あるけれど、例えばタケルンってもしかしてタケルのことですかとか。しかしそれもまず安全を確保してからだ。というか、これでも力は強い方なのに、なんで抜け出せないの。女だからって手加減してるのがそもそも間違いだったりするのだろうか。

「ね、シャイニー!似てるでしょう?」

美女の影から、なにかが現れた。逃げることに必死だった郁は、思いがけず動きを止める。いや、正しく言えば、動きを止めさせられた。なにかが郁の肩を掴み、固定したのだ。ギラリ、と光るなにかが目の前に現れる。それが男物のサングラスだと気づいたときには、相手に顎を掴まれていた。

「ン〜〜?」

「ウッ」

しかも顎を右に左に動かされて、首がグキッときた。なんだこれもしかしてアクションゲーム要素あったの?アッパーかましていいの?色々な視線を感じながらも右手拳に力をこめると、顎から手が離れた。これでようやく相手の顔がきちんと見られる。サングラスをしているので正直よくわからないが、オッサンだ。なかなか恰幅がいい。しかし、ただのオッサンにこんなキャラの濃い口調設定がつくはずがない。

というわけで、とにかくいまは自然の流れでずらかりたいところ。オッサンを見るふりをして、廊下の先をさっと眺める。オッサンの後ろには誰もおらず、行きに通ったであろう関係者用出口が見えた。逃げられる。活路を見出した郁だったが、そう甘くなかった。そう、ここにはあのフラグ一級建築士がいるのだ。

「姉ちゃん!…って、社長!?」

駆け出した私を追いかけてきたらしいタケル。さすがだ、タケル。一言で私の称号をこの場の全員に知らしめた挙句、目の前に立ちふさがるオッサンの地位を私に教えて動揺を誘うとは。おかげで膝ガクガクしてるよ。いやだって、社長って、え?

動揺しまくりで棒立ちの郁だったが、タケルが腕を引っ張ってくれたおかげで社長と距離が置けた。そのまま口元に手をかざしてこそこそと小声で話しかけてくるタケル。

「姉ちゃん!なにしたんだよ!」

「いや、私はなにもしてないっていうか、むしろお前がなにかしたっていうか、現在進行形でなにかしてるっていうか…」

パン!

乾いた音が、廊下に響いた。手を叩く音だ。どうやら社長のオッサンが拍手をしているらしかった。気のせいか、その口元から「クックックッ」と、悪役ばりの笑いが漏れている。

「シャイニー、どうしちゃったの?」

突然のことに、美女も驚いている。楽屋の扉からも、いくつか頭が覗いているようだ。そのうちオッサンは「ハッハッハッハッ」とアメリカンな高笑いをし始める。不穏な空気が立ち込めてきた。タケルも、郁の服の端を握りしめながら様子をうかがっている。ここにいる皆が、オッサンの次の発言を息をのんで待つ。まあ、なんだかんだでヒロインは私の隣で震えているタケルだ。私にはそこまで被害は出ないだろう。大丈夫。

「YOU達、今日から姉弟アイドル決定デース!」


大丈夫じゃなかった。


140831 第四話/完
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