瞬きをした。
ただそれだけ。
郁は、レンガ造りの見慣れない街並みで立ちつくしていた。辺りを見回すが、まったく見たことのない街の風景と、人々が目に入るだけだ。
ここはどこだろう。そんな間の抜けた疑問が浮かんでしまうのも、しかたのないことだろう。そして郁が次に思ったことは、誰かのいたずらで連れてこられたのだろうかという疑問。ありえる。やりかねない知人(友人ではない)がたくさんいる。しかし、郁の直感は違うと訴える。
──また世界を飛んだのではないだろうか
幾度となく世界から弾き飛ばされてきた郁だからこそ、なんとなくそう直感してしまった。そしてこれは夢ではく、きたる日がくるまでこの世界に居なければならないことも理解していた。もしこれでただの盛大な迷子だったらそれはそのとき考えることにする。
今度はなんの世界なのだろう。自分の踏みしめる地面を見下ろす。そこには、煉瓦が幾何学な模様を作るように、きれいに敷き詰められていた。頭を垂れながらそれに目を奪われていると、あることに気がついた。
「震えてる……?」
なんと、郁の足はガクガクと震えついた。なんだこれ笑える!と 言いたいところだが、震えは止まらない。……い、いやいや何度目だよってくらい飛んでるよね私。なに震えてんの。う、うっわー本当に止まらない。遂には肩まで震え始め、ぎゅっと抱きしめる。早くここがどこなのかとか調べないといけないのに、郁の視界は段々とぼやけていくばかり。目のふちから雫が落ちそうになったそのとき、郁の肩がなにかに包まれた。
「君、大丈夫かい?」
「…………」
少々やつれた顔の男が、郁の肩を抱きながら顔を覗きこんでいた。くすんだ色の金髪を七三に分け、その下の凛々しい眉毛がハの字に下げられている。なんでこの人こんな困った顔してるんだろう。じっと見つめ返しながらそんなことを思っていたが、しばらくしてから自分がそうさせていることに郁はようやく気がついた。
「だ、だだ大丈夫です!」
「そうか……よかった」
どうやら言葉は通じるらしい。こんなに唐突に世界から弾き飛ばされたのは始めてだったから、言葉とかバビロンされているかと思っていたが……本当によかった。
「おい、いつまでそうしているつもりなんだ」
安堵した郁の耳に、また聞きなれない声が。七三分け男が郁から視線を外し、後ろへ振り返る。郁もそれに習って視線を投げた。そして七三分け男の後ろに、鋭い眼光を認めた。
「口説くことにはなにも言わないが、俺は帰るぞ」
え、口説かれてるの?言っておくが私は口説かれたことがない。ので、いま自分が口説かれているのかどうかもわからなかった。柄の悪そうな男に対する関心よりも、これが勝ってしまった辺り、なんだかむなしい気もする。しかし、人生初のヒロイン設定がきたこれかもしれないのである。いままでタケルに総舐めにされてきたけれど、これでようやく……!郁が喜びにうち震えていると、次の瞬間、頭の上から冷や水をぶちまけられたような衝撃が襲った。
「え、団長が女性を口説いてるんですか!?……て、姉ちゃん……?」
聞き覚えのある声が、郁の鼓膜を揺らす。その場にいた誰もが驚き、各々がさまざまな反応を見せた。そんななか、郁は自己暗示するように口を開いた。
「やだどうしよう幻覚かなそうだといいなタケルの声がするけどこれ幻覚かなああ」
郁、絶対に視線をあげちゃダメよ。できる限り現実から目をそらすんだ。肩を揺さぶられ、話しかけられたとしてもその問いかけに反応してはダメよ。
「おい、てめぇの姉貴はなんか変なモンでも食ってんのか」
「…そ、そうかもしれないです」
石のように固まってしまった姉を前に、タケルも否定する言葉は返せなかった。返答を受けた柄の悪そうな小柄な男は、短く舌打ちをする。
「心底どうでもいい」
「そういうな、リヴァイ。しかしタケルの姉だったなら安心だ。送ってやりなさい」
「はい……姉ちゃん、姉ちゃん!ちょ、動か、うぬぬぅぅぅ」
タケルは郁の手を繋ぎ引っ張るが、郁はびくともしない。しかも心なしか掌からギシギシと骨が軋む音がする。
「おい、さっさと行け」
「いやあのなんか姉がやたらと、なん、重くっいだだだだああ」
タケルのあげた叫び声が往来に響き渡る。行き交う人々の注目が集まり、なにかを噂するような声が聞こえてきた。この状況に業を煮やしたのは、もちろん、リヴァイと呼ばれている男である。リヴァイは静かに郁の後ろへ周りこむ。そしてその腕が、無防備に曝されている郁の首筋に振りおろされた。
130913 第一話/完
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