03

日曜日の朝。なぜか母親にいつもより早く叩き起こされた郁は、寝ぼけながらソファのうえで横になっていた。タケルはもちろんいない。海外ロケだ。今日帰ってくるらしいから、もしかしたらそれを空港まで迎えにいくのかもしれない。私は留守番要員として、起こされたのだろう。大人しくニートじゃないや、自宅警備員してますとも。そんな決意のもとゴロゴロしていた郁のところへ、忙しそうに支度をしていた母親がやってきた。

「郁、ペンライト持った?」

謎の言葉を発してきた母親を見つめ返す。なぜ、自宅警備員にペンライトが必要なんだ。

「なんの話?」

「やだ、この子ったら。今日タケルのライブでしょ」

「はああああ!?」

郁の叫び声が家中に響いた。なにがどうしてライブなの。そんなの行きたくない。そうごねてみるが、我が家の皇帝である母親にはなんの意味もなく、郁はライブ会場へ連行された。

◇◇◇

何回も電車を乗り換えた末に着いたのは、前楽園駅。ライブ会場、まさかの、ドームだった。止めどない人の波に押されながら、なんとか親族席に座ることができた。母親はタケルのうちわを見つける度に郁の服を引っ張って、それを伝えてくる。殊勝な女の子がいるもんだなとは思っていたが、その数は相当なものだった。隣に座る母親の手にも、もちろん同じうちわが握られている。郁の手にはその辺で売ってたサリウム。全くテンションの違う母子に、ひとつの影が近寄る。

「タケルくんのお母さん!」

「あらあら、嶺二くんのお母さん!」

郁も振り返ると、明るく笑う女性が立っていた。どうやら、アイドルのママ友らしい。楽しそうに話している横で、愛想笑いをしていると、「嶺二くんのお母さん」は郁に太陽のように明るい笑顔を向けてくれた。浄化されそうだ。

「今日はお姉さんも一緒?」

「えっと、初めまして」

「初めまして。寿嶺二の母です」

誰だ。と思いながらも、さもわかっている風に「あぁ〜」とか言いながら頷く。あとで調べよう。

「タケルくんも喜ぶわね」

「さっき連絡したら、やっと観に来てくれたんだって騒いでたわ」

「……ははは」

乾いた笑いしか出ない。こちらでの私は、どうやらいまの私とさほど変わらない態度でいたようだ。まあ、そうだよね。元の世界のタケルがアイドル始めたら、死ぬ気で距離を置いただろうし。そうぼんやりと考えていると、目の前が真っ暗になった。同時に上がる、絶叫。異様な空気に体を固くしていた郁だが、隣にいた母親によって椅子から立たされて、サリウムを割られた。

「ちょ、な、」

「あんたどこ見てんの! ステージはあっちよ!」

ステージだと指さされた方を見る。レーザービームのような光線が、四方へ分散していた。ステージ中央に、英語綴りが踊る。

ライブが始まった。

メンバーの顔写真がフラッシュ表示されると、客席から名前が叫ばれる。圧倒されながらそれを眺めていると、スクリーンに我が弟が現れる。なんか、かっこよく決めていた。もちろん、客席からタケルの名前がコールされる。驚いたのは、そのほとんどが「タケルさまー!」と叫んでいたことだ。気が遠くなっていく。

結局、ライブ終了まで郁の思考は、風船のようにふわふわと宙に浮きっぱなしだった。知らない曲ばかりで、全く盛り上がれなかったのもひとつの要因だが、一番の原因は他にある。曲の最中に、花道を歩いていたタケルが郁に気がついてしまったのだ。目が合った瞬間、立ち止まったかと思うと、タケルは郁に向かってくしゃりと笑った。そのせいで、延長線上にいたボックス席の観客は、絶叫。……確かにね。確かに、贔屓目なしにあれは可愛かったかもしれない。でもそれってただ、フツメンが笑ってちょっとマシになった程度だから。君たち、目を覚ませ。

それ以降、タケルはことあるごとに郁のいるボックス席側に近い花道にばかりきた。手を振るわ、笑いかけるわと、それはそれは大サービスでしたとも。そんなわけで、アンコールを前にして、郁のHPは既に一桁にまて削られていた。もう、帰りたい。そんな郁の願いも空しく、アンコールを要望する観客たちに応えるように、ステージに再び光りが灯される。

ステージ衣装から、ジャージのような軽装に着替えたメンバーたちが現れると、メンバーを呼ぶ黄色い歓声が沸き上がる。タケルは本当に、家にいるありのままのスタイルだった。なのになんか光の関係か、会場の雰囲気からなのか、ちゃんとアイドルに見える。すると、タケルの近くで立っていた茶髪のお兄さんが、腕を挙げた。

「今日はサプライズゲストがいまーす!」

登場を待たず、流れ出すメロディ。その音楽は、思いがけず郁の思考の弦をはじいた。なんだろう、このイントロ知ってる。たしか、たしか……ニヤニヤ動画で……! 頭のなかで、パズルのピースが嵌まったような音がした。

「……うたプリだ」

口から、無意識に単語が溢れる。無意識ではあるが、これが答えなのだと、郁は確信していた。手元から、サリウムが滑り落ちていく。

やっぱり、来るんじゃなかった。


140311 第三話/完
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