突然話しかけられると、人はどんな反応をするのか。普通は振り向いて、相手を確認するのだと思う。だが、その相手から嫌な雰囲気を感じたとしたら、どうするか。郁の場合は、足元に落としていた重りを拾い上げて、前に跳躍した。相手から距離をとり、振り返る。そこには、貞子っぽい人がまるでトーテムポールのように立っていた。仮にここでは、貞子さんと呼ぼうと思う。男性だけど。
貞子さんは、相変わらず、肌をチクチクと刺すような空気を発している。意味もわからず、対峙すること数分。相手が首をかしげたことで、ようやく空気が動き出した。
「俺の殺気に堪えられるのに、着地もできないんだね。変なの」
殺気……え、あの刺されるような感覚って、殺気だったの。すごい。漫画独特の空気を味わったのか私。さすがジャンプの王道アクション漫画だ。
「それとも、ただのバカなの?」
「わっ」
相手の腕が動いたのを視界に捉えて、郁は無意識に、己の右足を一歩後ろへ引いた。すると、ちょうど小指があった辺りになにかが刺さった。針だ。恐る恐る相手を見ると、首をかしげている。
「やっぱり変だ」
私は、お前のほうが変だと思う。
「あの……どこかで、お会いしたことありますっけ……」
「んー、多分ないかな。似たような顔した男になら会ったことあるけど」
本当に初対面だったらしい。え、じゃあなんで私襲われなきゃいけないの。ひょっとしなくても、この人、要注意人物なのか。
「もしかして、力の使い方がわからないの? 俺、調教するの得意だよ」
「慎んで遠慮させていただきます」
「そう? でも世の中には君みたいな奴を『青い果実』とか言って追いかけ回す変態がいるから、気を付けたほうがいいよ」
こ、怖い。そんな変態、できれば会いたくないし名前も知りたくない。そもそも私は果実のような要素をひとつも持っていない。この貞子さんは、私を果実に成りうると思っているのだろうか。あと、本当に誰なの。
「ところでさ、タケルがどこいるか知らない?」
……わかった。この人やっぱり関わっちゃいけない人だ。タケルと関わりがあるというだけで、郁が警戒するには十分だった。タケルのフラグ吸引力は、主人公たちを侍らせてしまう程。その威力を、甘く見てはいけない。下手したら死ぬ。ここはタケルの存在自体知らないということでいこう。
「タケルの姉でしょ?」
「……はい」
身バレしていた。これはもう、どうしようもない。郁は、先ほど足元に放たれた針が体を貫く瞬間を想像して、首筋辺りがすっと冷たくした。青ざめながら黙ることしかできない郁を前に、貞子さんは深くため息をついた。殺られる。ああ、いつかこんな日が来るんじゃないかとは思ってはいたが、ついに来てしまったか。死を覚悟できぬまま、郁は白旗を挙げた。
「……」
「……」
しかし、いくら衝撃を待っても、なにも襲ってこない。貞子さんの様子をうかがえば、無表情で立っているだけだった。殺気もない。……これは、もしかして私の返答を待っているのか。確証はないが、びくびくしながら、口を開く。
「あの……タケルはいま出掛けてて……」
「ふーん。蜘蛛?」
「くも……?」
聞き覚えのない単語に、今度は郁が首をかしげる。それがなんなのか、憶測すらできない。名詞?動詞? なんとも答えられず、回答に困ってしまう。
「知らないならいいや」
「はあ……」
嫌味もなく、バサリと話を打ち切られた。郁の反応に、さほど興味がなかったらしい。ついでに、ここで問答することの無意味さにも気づいたらしい。
「タケルに会ったら、今度の仕事は俺行けなくなったって伝えておいて」
「…………あの、失礼ですが、お名前は」
「そう言えばわかるから」
さいですか。まあ、私としてもこんな人の名前は知りたくもない。なにに巻き込まれるかわからないし。貞子さんで十分だ。その貞子さんは郁に言付けを残すと、足音も立てずに屋根の上から立ち去った。忍者かよ。
◇◇◇
その日の晩、郁はこの一連の流れをタケルに話して聞かせた。名前はわからないことも伝えたが、貞子だったと言うと誰なのか分かったらしい。そして、頭を抱えてしまった。
「イルミがいないんじゃ、突破役誰がやるんだよ」
なにか不都合があるようだ。しかも突破って。どんな仕事してんだよ。元の世界のタケルが聞いたら泡を吹くんじゃないかと思う。暢気にそんなことを考えていた郁に、か細い声がかけられる。
「姉ちゃん……」
「なに」
話しかけてきたのはもちろん、目の前で苦しげにしているタケルだ。その瞳はまるで慈悲を乞うようだった。
「俺と……とある屋敷で仕事しない?」
「いますぐ泡吹かされたいの?」
絶対にお断りだと突っぱねると、タケルは素晴らしい早さで五体投地してみせた。つまり、土下座である。こいつ、プライドを捨てている。
「頼むよねえちゃああああん!」
「嫌だ、断る」
どんなにすがりつかれても、行かない。誰がフラグの一級建築士とすごすものか。そんなことなら、一日中勉強していたほうがましだ。
140315 第七話
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