06.どうしたらこうなるの

「タケル、遅いよ」

フェンス越しにテニスコートへ走りよれば、格子の向こうで幸村が呆れたように笑っていた。肩のジャージが風に揺れている様は、控え目に言ってもラスボスである。しかもその眼差しが自分に向いていることに、タケル……いや。正確にはタケルと精神が入れ替わっている郁は、動悸を激しくした。もちろん、バレるのではないかという緊張で。

どこかで郁を見ているタケルに、やっぱり一発殴っておけばよかったと後悔する。だが時すでに遅し。あれから何度も頭突きを繰り返し、それでも効果がないことがわかると泣きつかれ、なんでも言うことを聞くからという条件で、郁は試合に出ることになってしまったのだから。

「はあ……」

まったく馴染まないテニスラケットを片手にテニスコートのフェンス前に近寄る。スパイクってこんなに重いんだな。憂鬱だ……。こうしてのんびりと歩いていたからなのか、タケル(郁)を手招きする幸村の視界に入ろうと、ファンたちが取っ組み合いを始めた。

「きゃー!幸村くんー!」
「いま私を見たわ!」
「違うわよ私よ!」

地獄か。
しかも誰もタケル(郁)に気づかずにどこうとしてくれない。タケル、お前どんだけ存在感ないの。かわいそうに……心のなかで合掌する。とは言え、さてどうしたものか。そう悩んでいるうちに、取っ組み合いのなかからひとりの少女が弾き出された。

「きゃ!なにするのよブ、」
「──っ、と」

郁の手は自然と伸びて、少女の体を胸に抱く。なにやらすごい暴言が聞こえそうだったが……おそるおそる少女を見下ろして、声をかける。

「大丈夫?怪我、してない?」
「は、……はい」
「そう。よかった」
「……あ、ありが、……とう」
「このくらい、どうってことないけど……コートの外では静かにしようね。危ないから」
「は、は……っはい」

──よし。瞳をじっと見つめながら、威圧しつつ目立たないように気を付けながら、声を低めに囁くと彼女は顔を真っ赤にして激しくうなずいた。なんとか説得は成功したようだ。抱いていた彼女の肩から手を離し、軽く叩く。

「じゃ。応援、よろしくね」

こうして、いつの間にかできていた人垣の道を通り、無事にテニスコート内に入ることができた。よーし、問題はここからだ。一度も真面目にやったことがないテニスを、どう誤魔化しながらやるか。幸村を目指しながら、郁は深く溜め息を吐くのだった。

「遅かったねタケル。郁さんには会えた?」
「……うん、会えた」

この返答で大丈夫か不安だったが、どうやら大丈夫だったようだ。「それはよかった」と、それはそれは柔らかく笑ってくれた。ああ、すでに胃が痛いよ。ベンチへ目指し始めた幸村の横について歩きながら、胃の辺りをさする。痛い痛い痛い、近い近い近い!

「それにしてもびっくりしたよ。あんなにスマートにあしらえるだなんて」
「え?」
「コート外の子たち。ファン増えちゃったんじゃないか」

ファンって、タケルの?

「いやーないない!幸村くんみたいなイケメンならそうかもしれないけど、こんな地味男にそれはないって」
「地味男って………タケル、体調でも悪いのか?」
「えっ」

まずい。失言だったらしい。

「あー……まあ、緊張してるから、かな」
「ああ、なるほど。初の公式戦だったね」

なんとか納得してくれたらしい。

「それに、あの郁さんが来てるんだった。ふふっ、よかったじゃないか。夢が叶って」

夢?

「緊張なんてしてる場合じゃないよ。お前も、俺も。がんばらないとな」
「う、……うん?」

いろいろ気になることはたくさんあったが、ベンチが目前になったことでそれどころではなくなった。いやああっ皆いるよ!私のことみてるよ無理無理無理。

「遅いぞタケル!」
「ひいいい」

出鼻から真田将軍の怒号が浴びせられる。低くて腹の底にまで届きそうな声に、全身で震える。すると、隣にいた幸村が一歩前に出た。

「真田、タケルにとって初の公式戦だ。少しは気持ちもわかってやってほしい」
「……ムッ……そ、そうだったな」

さすがラスボス……。

「おータケル。ようやく来たのう」
「はざます!タケル先輩、初戦スね。勝ってくださいよ〜!」
「………………う、うん」
「なんじゃぁ? 元気ないのう」
「緊張しているのでしょう。いいですかタケルくん、手のひらに人という文字を書いてですね」

タケルを激励するように集まり、笑いかけてくる彼ら。本物のタケルなら泣くなり笑うなりするだろうが、郁はそのどれもできなかった。なんとかぎこちなく笑うと、赤也が「ひぃ」と後ずさった。失礼だなお前。おかげで試合前から重症だわ。

ピーーーッ

そこで、集合の笛が鳴る。顔をあげると、向かいのベンチから人がコートネットの方へと歩いていた。立海ベンチも空気が変わり、歩き始める。──ああ、ついに始まってしまう。もうこれはさっさと試合終わらせてベンチに下がろう。そう
心に誓い、郁は幸村たちの背中を追いかける。

徐々に近づく相手選手たち。赤く、肩の出たユニフォーム……ん?あれ、なんか……い、いやいやいやまさかねまさか見たことあるなんてないないまさかほんとないよ無理ないってば。六角ユニフォームのはず、ない。

段々と足が重くなっていき、ネット際に到着した頃には地面を見ることしかできなくなっていた。そこへ、スッと白くてゴツゴツした手が視界に入ってきた。ピアノ線かなにかで吊り上げられたように、顔が持ち上がっていく。ほどよく筋肉のついた腕をたどった先には……銀色に近い髪をなびかせたイケメン。

「今日はよろしくな、タケル」

郁は全ての感情を無にして握手を返し、笑う。よろしくしたくないです、佐伯さん。


◇◇◇


「キャーッタケルくんが笑ったわ!」
「王子さまスマイル……」
「えーっ!?タケルくんあんなにかっこよかっただなんて……完全にノーマークだった!」

キャピキャピと華やぐフェンス外で、郁(タケル)はひたすらに頭を木に打ち付けたくて仕方がなかった。なんだこの黄色い声援は。決してうらやましいわけではないが、中身が入れ替わっただけでこんなに態度が違うだなんて。

「あ、タケルくんの試合始まるみたい!」
「がんばってー!」

コート外から響く声援に、立海ベンチが驚いているのがわかる。そりゃそうだ、ここまで俺が応援されることなんてないのだから。姉ちゃんも困ったような顔をして、ラケットを片手でくるりと回す。あ、それかっこいい。

「キャーッ」

外野の女の子達も一際大きく歓声をあげた。なんだこれ。モテ期か。俺にもついにモテ期が…………と言いたいところだが、もちろん喜べるハズがない。

いやまあ、試合が始まればすぐに落ち着くだろうが。なんといっても姉ちゃんはテニス初心者。授業でやったくらいだと言っていたし、相手はあの佐伯だ。太刀打ちできるはずがない。そしてダメダメな試合展開に、場の空気も……

「キャーッまたタケルくんの得点!」

静ま……

「また追いついたわ!」

静……

「ゲームセット!」

高らかと響いた試合終了の宣言に、これまでで一番の歓声があがった。なんと……なんと。あの佐伯に勝利してしまったのだ。

「タケルくんーッ!」
「キャーーーッ」

……あれ、なに?

なんか普通に姉ちゃん上手いんだけど。まさかあの佐伯に勝つってなんなの。なにこれどういうこと?姉ちゃんも顔色が悪く、なぜこうなったと言いたげな顔をしている。試合終了の握手を求めた佐伯になにか言われて、さらに表情がこわばっている。



ああ、もう……
夢ならいますぐ覚めてくれ。



151221 どうしたらこうなるの/完
180722 微修正
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