05.フラグ一級建築士の腕前

(──あ、郁さんですか)

何気なく出てしまった電話の主は、郁の心を乱すには十分すぎる人物だった。驚きの悲鳴をあげそうになって、息を止める。すると、歩みも思考も止まってしまった。

(あ、れ……違ったかな)

「違わないよ!幸村くん!」

スピーカーから聞こえてきた幸村の不安そうな声に、郁の口は勝手に動きだした。無駄におしゃべりなこの口に、今ばかりは感謝せざるを得ない。

(すみません、用事があって。前に公園でかけた番号からかけてます)

「用事……?」

(タケルが、郁さんが見当たらないって心配していて)

「……」

あいつ、幸村を使って連絡とるとか何様なんだろう。自分の携帯はどうしたんだよ。どうせ忘れたんだろうけど……。そういうマヌケなところは、昔から変わらない。

(いま、どちらにいますか?)

黄色い声に呼ばれて、サッカー場にいます。なんて言えるわけもなく、郁は必死に他の目印を探した。ゴール、はサッカー場ってバレるよねどうしようなにかないのなにか!

「……あ!校旗が立ってる辺り、かな!」

(立海の、ですよね。よかった……来てくださったんですね)

心の底から喜んでいるような安堵の台詞に、郁の胸は少し高鳴る。いや、違うでしょ。タケルのことを思っての言葉だって。簡単に高鳴るなよバカか……!そもそも、別世界の人間。さらに年下である。アイドルだアイドル。気を落ち着けようと、ひたすらに校旗のはためきを見上げた。

(校旗ってことは、サッカー場辺りですよね。タケルに伝えて向かわせます)

「いやいやいや!試合前だし、そこまで気を使わなくても!本当に!」

タケルと一緒にテニスコートに登場してしまったら、前回の二の舞になってしまう。それだけは全力で避けたい郁は、一歩も譲らない。電話口の幸村が、ついに折れた。

(そこまで言うなら……でもタケルが行かないとなると、誘った僕が行くのが筋かな)

「タケルを待ってます!」

脳内会議で即時可決。郁は大人しく、フラグ一級建築士の弟を待つことにした。そして、この選択によってタケルの建築能力が人智を越えるものだと知ることになる。

◇◇◇

「いたいた、姉ちゃん!」

「意外と早かったね」

幸村との電話を終えて見始めたサッカーは、まだフリーキックを蹴り終えていなかった。タケルは「テニスコートまで、かなり近いんだよ」と汗も流さずに笑う。なんだ。じゃあやっぱりひとりでウロウロしてもすぐ着いたんじゃないか。あのとき押しきれなかった自分に呆れながらも、肩に荷物をかけ直す。

「で、試合は?」

「まだ始まってない。急ごう」

デビュー戦だからなのか、タケルは浮かれた様子で、跳び跳ねるように歩き始めた。つまり、軽いスキップである。なにこの子やばい。距離をとって横を歩く郁。それに気づいたタケルは、無理矢理に郁の手を取って、引っ張った。

「姉ちゃんも、急げって!」

「だからってスキップは──」

思いの外、早いスピードで近づいてくるタケル。引っ張られた手首がピキッと小さく鳴く。力任せに引き寄せすぎだバカ。悪態をつけたい気持ちが沸き上がるが、最近整えられたタケルの眉が視界に入って、思わず息を飲んだ。あ、ぶつかる。

額に、猛烈な熱。
遅れてやってきた激痛が、額から後頭部を串刺しにするように貫いた。


「ったあああ〜〜!」
「ぐ、ぐありえ、ありえない」

太陽がさんさんと光を放つ、サッカー場の横。タケルと郁が地面に四つん這いになりながら、額を押さえて悶絶している。2人は、水に落ちてしまって這い上がれずにもがくハエのように、ひたすらに痛みに耐えていた。

「ちょっと、タケルあんた」
「姉ちゃん石頭すぎだろ……」

同時に放った言葉。それに違和感を感じたのも、おそらく同時だったのだろう。混じり合う視線。郁は、一瞬鏡が目の前に現れたのかと思った。もちろん、そんなわけはない。しかし、もっと「そんなわけはない」状況が起こっていた。

「ま、待ってなんで私がいるのそんで気のせいかなぜ私いま右手にラケット持ってる気がするんだけど」

「俺もいま俺が目の前にいるしなんか……お、おっぱ」

目の前の私が胸元に手を添えていたので、鋭いビンタをしてはたき落とした。そうこうしている間に、頭は現状を把握し始めた。目の前にはタケル口調で話す私がいて、私はなぜか立海テニス部のユニフォームとラケットを装備している。つまり、これは……。

「入れ替わったね」

自分で弾き出した答えが信じられないが、いまだに立ち上がれず足をついている地面からは、確かな熱を感じる。信じられないけど、これは現実らしい。

放心状態のタケルは、まだなにが起こったのか理解できていないようだ。私はというと、確かに信じられないけれど……タケルだもんな、と納得はできていた。だからこそタケルよりは取り乱さなくてすんでいるのだろう。

テニスコートの方から、試合開始5分前というアナウンスが聞こえてきても、2人は立ち上がることができなかった。

ちょっと待て。
デビュー戦、どうすんの。


040612 フラグ一級建築士の腕前/完
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