04.晴れ舞台のようです

藪事件から数日経った、土曜日の昼。郁の姿は立海の校門前にあった。トリップしていると気づいていなかったときにまず、違和感を感じたあの校門だ。やはり、でかい。人を威圧するように建つ校舎に、郁は思わず後退りする。入りにくい。できれば入りたくもない。しかし、郁は立ち去ることができない。なぜならある人物と、とある約束を交わしてしまったのだ。

「姉ちゃん……」

それは、1週間ほど前の夜だった。タケルが郁の部屋にやって来た。扉を少しだけ開けて、なかの様子を伺っている。郁がさっさと入れよと声をかけると、タケルは滑り込むようにして入ってきた。タケルがなにかを言うために部屋へやって来るとは、珍しい。なにかあったのだろうか。郁は彼の言葉を待つが、なぜかお尻をモゾモゾしながら一向に口を開こうとしない。なんだ。部屋にやって来たはいいが、トイレに行きたくなって気まずくなってるのだろうか。これだから、思春期は……。

「我慢しないで、トイレ行って来たら」

「ちげーよ!」

じゃあなんだよ。早く話せよ。何しに来たんだよお前。話さないお前の代わりに話しかけてやったんだぞふざけるな、こちとら暇じゃないんだよ。郁が喉まで上がってきた台詞を飲み込んでいると、タケルはようやく口を開いた。

「聞いて驚くなよ?」

「うん」

「俺、今週末の試合でスタメン入りしたんだ!」

「……え?」

頬を上気させながら、タケルは郁に満面の笑顔を向けている。呆然としている郁の前で、毎日練習してきてよかったよ、とはにかみながら語るタケル。そして、次に郁の顔を見つめる。こんな弟に、「既に幸村くんからその話は聞いてるけど」とか告げられない。郁は沈黙するしかなかった。

「でさ、観に来てくれないかな」

は?いやだよ。
誰がそんな人外の集まりに行くの。幸村くんとの藪事件からまだ数日しか経ってないんだぞ。せめて数ヵ月は開けさせてくれ。そう言ってやりたかったが、郁は毎日懸命にスタメン入りを目指すタケルを見てきた。あるときには高熱を出してでも行こうとする背中を掴まえもした。そんな弟の努力が認められたのは姉としては嬉しいし、胸も熱くなるし、観にも行きたい。だけど、なんか……観に行って「誰よあいつなんか親しげじゃないのキィーッ!」なんて、親衛隊から睨まれたくない。そういうのは前回で懲りたのだ。
……さて、どうやって断ろうか。郁の頭のなかはそんな考えでいっぱいだった。郁の顔色を窺っていたらしいタケルは、肩を落とす。

「多分、俺……スタメン入りできるのその試合が最後だと思うんだ」

「……」

お前な。そんなこと言われたら、観に行くしかないだろうが……。というわけで、郁は試合会場である立海大のテニスコートへ向かっているわけである。親衛隊対策としては、大量に湧いている彼女たちに紛れる。これでなんとかなるはずだ。間違っても、タケルには声をかけない。静かに観ていればいいのだ。よし。大丈夫だ、大丈夫。そう自分に言い聞かせながら、郁は校門の敷居を跨いだ。

入ってしまえば、案外普通の私立学校だなと感じる。確かに敷地内は広いし、建物もたくさん建っているが、それ以外は特に目を見張らない。強いてあげるとすれば、落書きやゴミが全くないということか。私立だから清掃会社でも入れているのだろう。……なんにせよ、複雑に入り込んでいたら迷いそうだと危惧していたが、これならなんとかなりそうだ。あとは騒がしい声を頼りにすれば、テニスコートにはすぐ着けるはず。

キャー!

早速、郁は道標を見つけた。聞こえていた黄色い歓声を頼りに、郁は歩き始める。よしよし、こっちだな。足を動かす度に近づく、女の子達の歓声。空中廊下の下をくぐり、認めた風景に郁は目を丸くした。

◇◇◇

タケルは、いつも以上に念入りに準備体操をしながら、対戦校を睨み付けた。なかには、タケルの知り合いの顔も見える。まさかこいつとここで会うとは思ってもいなかった。タケルに見られていた相手も、こちらに気がついたようで、笑顔で片腕を上げてきた。……なぜだか、キラキラ光ってる。太陽はこいつだけを贔屓しすぎだイケメン滅べと、タケルは時々そう思う。この反則的な爽やかさに、苦笑も出ない。俺にも少し分けてくれ。

「やあ。久しぶり、タケル」

「1年ぶりか、佐伯」

──常勝を校訓に掲げる我が校に挑んできたのは、なんと六角中だった。今朝それを知って「えー!?」と騒いだ俺は、真田からすでに鉄拳を食らっている。しかし、初試合が知り合いのいるチームとだとすれば、驚いてしまっても仕方がないはずだ。

そう。目の前でニコニコ笑ってきやがるこいつとは、去年行った親善試合からの知り合いなのだ。偶然会場の便所で隣になり、そこからなぜか試合の後に我が家へ1泊させてしまうまでに仲が深まったのだ。……なんだかんだで気が合うんだよな。そういえば、あのときはイケメン旋風に母さんと姉ちゃんが大騒ぎだったっけ。

「にしても驚いたなぁ、まさかタケルと戦えるなんて」

「ははは、お手柔らかにな」

そのあとも軽く世間話をして、佐伯は仲間に呼ばれていった。俺もベンチへ戻るついでに、コート周りを見渡してみる。しかし、探し求めた人影は見当たらず、肩を落とした。

「……迷子にでもなってんのかな」

「誰が?」

聞こえるはずのない声に、タケルは肩を弾ませた。振り向いた先には、ラケットを持ったままこちらをうかがう幸村がいた。

「誰か見に来るの?」

「…………姉ちゃんが」

幸村は「ああ、そっか」と頷いている。驚いた様子もないのは、俺が姉ちゃんを呼ぶと予測していたからだろうか。それって、シスコン認定されてるってこと? そうではありませんようにと願いながら、聞いてみる。すると、意外な答えが返ってきた。

「俺も誘ったんだ」

「え?」

目が点になる。
いつの間にそんな仲になったのですか? というか、誘ったって……。え? 幸村が? なんで? どんどん積み重なっていく疑問に、タケルが黙りこむ。幸村は、タケルかわ混乱していることに気がつくと、苦笑してみせた。

「ラケットの張り替えした帰りに、たまたま会ったんだ」

「な、なるほど」

きっと姉ちゃんはいまの俺のように、盛大な動揺をして見せたに違いない。変なことしでかしていないといいけど……。

「でもタケルの試合、第一試合だよね。間に合うのかい?」

「あ、そうか。しまったな、携帯忘れたから連絡も……」

「俺かけてみようか」

「……え?」

呆然としている俺を置いて、幸村はそれがいいだろうと頷いてから、ベンチに踵を返していく。水の上を歩くように離れていく背中を、ただ眺めることしかできないタケルの頭に、先程幸村から放たれた言葉が響き続ける。幸村のやつ、かけてみようかと言わなかったか? それってどういうことだ。まさか、姉ちゃんのケー番知ってる……のか。どんな奇跡が起こればそんなことになるんだよ!

理解できない状況にタケルが悶絶していることも知らない幸村は、すでに携帯を耳にあてがっていた。数回のコールの後、それは途切れた。

「──あ、郁さん?」

◇◇◇

郁の目前を、砂ぼこりが舞う。呆然としたままで思わず目を瞑ったが、再び開いた瞳には変わらない風景が映し出された。スパイクで走り抜ける選手たちを、歓声が追いかける。跳ねるボール。繰り返されるラリー。そう、これは──

「……サッカー」

汗を光らせながら、爽やかな少年たちがコート内を走り回る。彼らがボールを蹴る度に、観客席から黄色い声が上がった。なんということだ……立海はテニスだけが人気というわけではなかったのか。じゃあ、ここはどこだ。テニスコートはどこだ。まずい。完全に迷った。

誰かに聞くしかないのか嫌だ。そうだ、クークル先生のマップで現在地を調べよう。人見知りを発揮した郁は、素早く携帯を鞄から出して、マップアプリを起動した。そして現在地を確認して、絶望した。……そこには、シンプルに立海大学付属高校と書いてあるだけだったのだ。そうだよね。校内地図までは網羅してないよね……。

指を使って何度も拡大を試みていた、そのとき。突然、携帯が震え始めた。反応が遅れた指は、通話をスライド。

「はっ」

画面には、通話経過時間が表示される。だ、誰といま繋がってしまったの。郁は若干のデジャビュを感じながら、耳に携帯をあてた。

「も、もしもし……?」


140509 晴れ舞台のようです/完
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