03.藪からぼた餅

災難というものは、突然人に襲いかかってくる。腰を折りながら藪を分け入る郁は、額から落ちる汗を拭いながら、数分前の自分を呪った。

ほんの数分前、郁はバイトを終えて帰路を歩いていた。そしていつものように、ショートカットと称して公園を横切ろうと足を踏み込んだのだった。

「おい侑士〜」

「ホンマないわぁ部活帰りに砂場遊びとかホンマないわぁ」

その会話が聞こえた瞬間、郁は自分の身を公園の生け垣のなかに投身させた。ガササッと大きな音がしたが、砂場で遊ぶ二人は特に気にせず泥だんごを作ることに熱中している。

一方、藪のなかに入った郁はというと、とっさに藪へと突っ込んだ自分の奇行に頭を抱えていた。普通に公園から出て素通りすればよかっただろ私……!どうやって外に出よう。草がむき出しの太ももをチクチクと刺してきて、イライラしてくる。もう嫌だそもそもなんで氷帝の仲良しコンビが立海学区の公園にいるんだよ!都内に帰れよ!

「ええ加減に帰るで。はよ帰らんと今日の愛棒見逃すで」

「あ!」

と思っていたら、どうやら帰るらしい。良かった……ていうかそうだ今日は愛棒の特番じゃないか私も左京さんの紳士ティータイム推理を見たい。たしか今日はアプリコットティーを飲みながら推理をするはずだ。アプリコットの成分によってどんな考察が始まるのだろうかと、郁は先週から楽しみにしていた。

向日くんは泥だらけの手のひらを忍足から受け取ったウェットティッシュで拭いている。忍足さんはどれだけ準備が万全なんだ……子持ち主夫か。帰り支度を終えて、仲良く遠ざかっていく2つの背中を見守り、郁はようやく藪から脱出した。

スカートについた土ぼこりを払う。今後はこういうことがないよう、心づもりしておこう。……できるだけ、至近距離での遭遇は避けたいが…。
仕上げにポケットのなかに葉が入っていないか手を入れた。そして、郁の動きが止まる。ポケットのなかには、なにも入っていなかったのだ。足元などを見回すが、なにも見当たらない。頭から血の気が引いていくのを感じた。

「携帯……ない…」

◇◇◇

幸村は、肩からずり落ちそうになっているラケットバックを背負い直した。糸を張り替えたばかりのそれは、今週末にある試合で使う予定のものだ。

さて、どうしたものかな。思いの外、早く修理が終わったので、幸村は空いた時間をどう使おうか考えあぐねていた。テニスができるところでも探そうかと思いもしたが、この辺りの地理がわからないため、どこにあるかすら検討もつかない。足先をどちらへ向けようかと視線を上げたそのとき、幸村は見知った横顔を捉えた。

「郁さん?」

先日泊まりにいった部員の姉が、歩道をこえた向かい側にある公園入り口に立っている。そういえば、ここはタケルの自宅近くだ。ということは郁さんはきっと自宅へ帰る途中なのだろう。それだけであれば、後日タケルに「お姉さんを見かけたよ」と言えばいいのだが……。しかし、思い詰めたような彼女の表情が、幸村に歩道を跨がせた。


◇◇◇


郁が近づいてくる人影に気がついたのは、折っていた腰に限界を感じ始めた時だった。額の汗を拭って、顔を上げる。

「あ」

口にしてから、またやってしまったと後悔する。だが遅い。相手は、失礼すぎる郁の態度を気にすることなく、「お久しぶりです」と丁寧な挨拶を返してきた。彼の周りがキラキラと輝いて見えるのは、西日以外にも原因があるだろう。

「ひ、久しぶり……」

眩しさと逃避願望から、自然と視線が遠くなる。なぜここにいるんだ、幸村くん。どこから見られていたのだ。一部始終見られていたとしたら、恐らく郁はもう一度藪の中へ身投げをしなければならないだろう。
幸村の次の発言を、宣告を待つような気持ちで、怯えながら待つ。その姿がどう映ったのかはわからないが、幸村の眉尻が下がった。

「なにかお困りですか?」

「え!」

どうやら心配してくれていたらしい。ということは、一部始終は見られていないということだ。よかった!違う意味で浮かんだ汗を払って、郁は情けなく笑う。もちろん目線は足元だ。

「実は……携帯を、この植え込みに落としたみたいで」

「携帯をここに?」

「でもすぐ見つかると思うから!大丈夫!幸村くん気にしなくていいよ!本当に!」

不思議そうにしている幸村がなにかを言う前に、適当な言葉で捲し立てる。なぜ藪のなかにあるんだと突っ込まれたら、藪にダイブしたこともカミングアウトしなくちゃならなくなるからね!自分の奇行を口で説明することへの恐怖!半端じゃない!

しかし、さすが神の子、幸村くん。慈悲深い微笑みと共に、自分も探すと申し出てくれた。すぐ見つかるから!と反論するも、「なら、2人で探せばもっと早く見つかりますね」と言われて、撃沈。結局、一緒に探すこととなったのだった。

ガサガサと藪を漁りながら、時々肩同士がぶつかりそうになることに過剰反応しながら、捜索を続ける。始めこそは手が触れ合ったらどおしよおおお!なんて浮かれていた郁。しかし、10分以上その状況が続いた末にそんな乙女チックな気持ちは消え去っていた。

「ありましたか?」

「……ないね」

そう、携帯が見つからないのだ。もしかしたらこの藪に入る前からなくて、それに気づけなかったのか……。どこまで携帯、持ってたっけ。放心状態とはまさにこのこと。無言のまま動かなくなってしまった郁を救ったのは、幸村だった。

「郁さん、電話番号はわかりますか?」

「……え」

「俺の携帯からかけてみますよ」

神の子だ。ここに、全知全能の神を父を持ったとしか思えないほどの救世主がいる。郁は藁にもすがる気持ちで携帯の番号を教えた。男性とは思えないほどに白くて細い指が、画面をタップする。惚けながらそれを眺めていた郁だったが、胸の辺りで揺れを感じて口を閉じた。低い音と、震動を頼りにまさぐってみる。なだらかすぎる2つの山をなぞった先に、慣れ親しんだ感触を指先に感じた。

「あった!」

ジャケットの胸ポケットから、探してやまなかった携帯が現れる。そうか鞄を肩にかけ直すために、入れたんだった。握りしめたまま、安堵の息を吐く。

「あったんですね、よかったです」

「ありがとう!ほんっとありがとう!」

幸村が耳にあてたままだった携帯を放す離すと同時に、携帯も沈黙した。画面には見慣れない番号。そうかこれが幸村くんの番号……。

そうか……。

ちょっと待て。幸村くんと番号交換した感じになってるかこれ。え、ちょ、え。動揺しながら幸村を見るが、彼はにこりと笑うだけだ。あ、これ私だけが過剰に意識してる!でもなかなか落ち着けないだって私の携帯にテニプリキャラの携帯番号がしかも幸村くんだよこれ落ち着けるわけないよね!?

しかしこのまま沈黙しているわけにもいかない。咄嗟に、視界に入った情報から会話をして適当に退散しようと思いつく。郁は名案だと、幸村の背中のそれを視線で捉えた。

「あー……れ、練習帰り?」

「え?あぁ、これは……今週末の試合のためにメンテナンスしてきたんですよ」

「へ、へぇー」

「タケルもレギュラー入りするんですが……聞いてないですか?」

「は?なにそれ聞いてないですが」

なんだそれあいつなぜ黙っていた。そんな面白そうな試合、見に行かないわけにはいかない。……とは、思うがテニプリの試合か。こちらに来てからそれなりに時間はたったが、実はまだあの戦闘的テニスを見たことはなかった。見るべきなのか、夢物語のままにしておくべきか。

幸村にもよかったら、と誘われたが郁は返事をうやむやにしたまま帰宅した。まあ、明日考えよう。時間はある。


140128 藪からぼた餅/完
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