14.思考迷子

「…はぁ」

息を切らしながらシャツで汗を拭う。3年ともなれば合宿は何回か言ったことはあるが、初日の様子を見る限り、今回の合宿は一段と厳しい。

「俺…準レギュラーなのに…何が楽しくてレギュラー合宿なんかに」

今日何度も心の中で呟いた言葉が自然と出る。そしてまた自然とため息をつく。

「俺はタケルがいて楽しいぜよ」

「どわ!」

右肩がいきなり重くなる。驚いたと同時に、その独特な口調が頭で反響。そして誰であるのかを脳が認識する頃には、視界で銀髪が揺れていた。

「……仁王…なにしてんだよ、お前外周は?」

先ほどまで自分を苦しめていた外周をこいつも走っているはずだが、息も切らさずけろりとしている。仁王は「んー」と首をかしげてから、爽やかに言った。

「走ったぜよ」

「わかった、わかったからその気味の悪い笑顔やめろ…!」

寒気が走った背中を庇うように腕を擦る。幸村と比べればましな方だが、こいつも中々恐ろしい奴だと思う。

「って…あれ?部長は?」

無意識に視線を転がしたグランドに、あの禍々しいオーラがないことに気付く。

「幸村君ならもう宿舎ですよ」

「は?」

「おー柳生」

ひらひらと暢気に手を振る仁王に、柳生は「仁王くん…」と気が抜けたような声を出した。

「外周が終わったら戻るよう伝えて欲しいと、幸村君に言われました」

「…あいつ………わかった、わざわざありがとな」

礼を言うと柳生は苦笑いを浮かべながら「では、丸井くんたちにも伝えてきます」と言って別れた。…相変わらず背筋いいなあいつ。

「って、仁王はいつまで俺の肩に手回してんだよ」

「つれないナリ」

結局ブン太と離れた席で食事をとり、無事済ませた。先ほど、広々とした部屋に付いていた風呂で汗もすっかり流した。つまり、後は寝るばかり。

「はぁー…」

ごろんとベッドに寝転がる。疲れた。合同合宿というから立海の奴らの相手はしなくていいのかと思っていたが、まだ一度も相手校と接触していない。

「なんつったっけ……してん…のうじ?」

………これって本当に合同合宿、なんだろうか…。流石に相手校の名前くらい覚えておくかとベッドから立ち上がり、ボストンバックのチャックを開ける。

「えーと…」

確か合宿のしおりが…

「しーらいしー!」

「…?」

廊下から聞こえた声に体を起こす。あれ、噂をすればなかんじ?ドタドタという足音が段々と騒がしくなる。…って、これ近づいて来てない?…いや、いやいやいやないないない。嫌な予感なんてないないない。必死に首を横に振りながら、左手に何かを掴む。

「白石ー!迎え来たでぇ!」

ドンドン!ガチャガチャ!

「ぎゃー!?」

突然揺れだした扉。ちょ、予感的中!勘違いされてる!勘違いされてるよ今俺どうしよう!てかちょっとしたホラーだよこれどうしよう!

「ど、どないしたん白石!ま、まさか毒手?…毒手が暴走したん!?」

「ちちちちが!俺しらいしじゃ…!」

「血!?し、白石ー!」

ガッシャーン!

「…………!!」

タケルは声にならない叫び声を上げた。

「死んだらアカン!はははよ包帯巻くんや…!」

先ほどまで縦に立て付けられていた扉を足に踏みながら現れたのは…。

「………小学生?」

「生姜臭い!?白石、生姜で毒手が暴走したんやな!?」

理解できない聞き間違えに、頭が冷静になる。…取り乱しまくった数秒前の自分が早くも恥ずかしくなってきた。

「な、なぁ…俺…白石って奴じゃねぇんだけど」

「毒手嫌やぁぁ…あ…?」

少年にまじまじと見上げられる。うっ、なんか眩しい…。堪えきれずに目を逸らすと、「ホンマや…!」と少年の驚いたような声が聞こえた。

「よ、よかったー…毒手がついに暴走したかと焦ったわぁ」

「…はははは?」

毒手ってなんだ

「何はともあれ、人違いでホンマよかった!」

ニカッと太陽のように笑う少年ハァ……この小学生をどうするか、頭が少し痛い。

「あ、せや!丁度ええ!兄ちゃん一緒に遊ばん?」

「…別にいいけど」

柳生の所へ連れてってなんとかしてもらうかと考えていたタケルは、特に何も考えることなく頷いた。

「いよっしゃー!ほな行くで!」

「え?ちょっと待つぶべ!!」

ぐいんと勢いよく腕が引っ張られた激痛で言葉が口にできなくなる。痛みに悶える隙もなく、そのまま枯れ葉のように連れ出されてしまった。

◇◇◇

俺は時々、こんな世界は消えてしまえばいいと思うことがある。腹の周りに余分な贅肉をつけて平等をうたう奴ら、ナイフを片手に微笑を携え平和を求める奴ら。矛盾だらけであるこの世界。

産まれたら最後、その家庭の条件の元に敷かれたレールを歩くだけ。上で輝くのは太陽ではなく、理不尽な権力。奴は常に俺たちを見張っているし、足元を照らす。だからこそレールの上を安心して歩くことができるのだが。時たまそのレールを跨いで作り直す奴もいるが……俺は今のところこのレールで満足しているし特に抗おうとは思わない。

「だから俺なら革命とか起こさない、絶対」

「えらいすんません、せやけど俺このまんまやったら貧民なんですもん」

ぐしゃりと手の中のハートのエースが、タケルの目の前で歪んだ。

「ははっ、ホンマ弱いなタケル」

「見かけ通りたい」

早々に上がった贅肉ども、つまり大富豪ども、は悠々と体勢を崩しながら笑った。

「見かけ関係ねぇだろ…!」

「ばってん、タケルは顔に出やすくてやりやすか」

自分の顔に手をやり、はたと気づく。いや待て、その前に…なんでこうなったんだ俺。ちらりと部屋の時計を見る。それに気がついた財前が、にやーっと口角をあげた。

「年下になんて負けて帰れんですよね、タケル先輩」

「お前生意気だな!」

「お前やなくて光くーんって呼んで下さい」

「誰が…………はぁ」

反論しようとするが、財前の相変わらずの寝ぼけた顔にそれをすることすら億劫になりやめた。ここまで見れば言うまでもないだろうが、あえて言っておこう。大事だからな。

そして俺は今、四天宝寺の部長部屋で冷たい床に伏せることになるかもしれない危険な状況に陥っている。そんな状況を作り出した本人、遠山金太郎はというと。

「ぐぉー…むにゃむにゃ、…ぐぅ」

「20時ピッタリに寝るんだもんな」

「金ちゃんは7時に起きて20時に寝る、良い子たい」

「そろそろ部屋に置いてきたるか…眠れんし」

しみじみと思うのだが、こいつら仲良いな。絶対王政なうちのチームとは違い、なんだか居心地が悪い。いや別にMとかじゃないから、違うから。

「……先輩、上がりです」

「へ?」

「よそ見しとったらアカンですよ、先輩」

姉貴が見たら発狂しそうな微笑で、財前が首をかしげた。

◇◇◇

「すまんな、タケル。」

「…いや、別に楽しかったからいいよ」

白石が金太郎を部屋まで送ると言うので、途中まで一緒に行くことになった。そして部屋を出てすぐの謝罪。その意味を汲み取って、苦笑する。

「せやけど、ホンマは自己練とかイメトレの予定あったんとちゃうん…?」

「あー」

全くなかった、とは言えないよな。…そういや俺、レギュラーじゃないってのも言ってない。そんなことを悶々と考えていると、何かを勘違いした白石が「ハァ〜…今日は保育士やな俺」と嘆いた。

「保育士…?」

とても白石からは想定しにくいその単語に思わず反応すると、白石は額にあてていた手を下ろしてこちらを見た。

「ん…謙也も昼間に…ああ、謙也言うんは光とペア組んどる3年なんやけどな、それも昼間に色々あってな」

「…色々ってーと、なに?迷子か、道草ってとこ?」

保育士からの連想ゲームのようにぽんぽんとあげていく。白石を見ると、呆れたというか、悲しそうな顔をしていた。

「え、」

ななななんですかなんでそんな残念そうな顔?俺の頭があまりに弱いから?残念?ですよねすみません流石に迷子になって道草とかしないよな、幼稚園児じゃあるまいしな。俺が悪かった失礼な奴ですよねほんとすみません。

「はぁ…ほんま自分いくつなんっちゅー話やろ?」

その台詞と共に悲しげな視線が下ろされる。え、あー…え?それって…つまり?

「…まじってこと?」

「おおまじやで。しかも、今回は直進の道で迷ってんねんあいつ」

うわあああ。今度は俺が悲しげな視線を白石に送る。残念!謙也とかいうやつ残念!

「よく大阪からこの合宿所までつれてこれたな」

そのぽろりと出た本音に、白石は「…ほんまやんな。」と苦笑してみせた。
理解した、お疲れ様だこいつ…!

「なんか、お前いいやつなんだな」

「え、いきなりどないしたん?……俺そんないいやつとちゃうで?」

いやだってもしチームメイトに迷子になるような奴がいたら「そうだ、迷子にならないように歩く椅子になりなよ。俺のね。」とか言いそうな奴が俺の部活にいるもの。寧ろ君臨してるもの。あいつなら絶対に似たようなことは言う。

「とりあえず、お疲れ様。」

真顔でそう言ってやると、それまで困ったような顔をしていた顔が、更に困ったような顔になった。

あー姉ちゃん好きそうな顔だわ。好きというか寧ろ発狂しそうだ。つーか…

「姉ちゃん謙也とかいうやつ好きそうだな」

「あれ、なんやタケル姉ちゃんおるん?」

「おう、高校行ってる」

考えれば考えるほど、姉ちゃんの好みな気がしてくる。理不尽なやつ好きだしピッタリじゃね?ふと、そこで視線に気がついた。その視線は前からくるもので、当然俺の前にいるのは白石なわけで。

ええええええええなになんで見てくんのねぇこいつなにさっきからよくわかんねぇ白石さん。あれか、姉ちゃんが好きそうだとか言ったからまたシスコンだとか思われたのかそうな、

「タケルの姉ちゃんってかわええやろ」

「突然なに言ってんのお前」

「で、どーなん?」

「いやなにが「で、」なのかよくわからないんですが。とりあえず可愛くはない」

そうキッパリと言うと、白石は「ほんまかいなー」とニヤニヤ…いやだからなに?口説いてるの?意味がわからないんですが誰かー!

「すまんすまん、タケルの顔見とってそんな感じしたんよ」

こいつ絶対すまないとか思ってない。とは思ったが、なんかもう放置することにした。

「言っとくけど俺と姉ちゃんあんま似てないよ」

「へぇ…でも雰囲気とか見とるとかわええ気がする」

「……そんなもんか?」

「そんなもん」

んー、と少し考えてみる。雰囲気ねぇ…雰囲気か。

「…まあ、白石の姉ちゃんなら美人な気がする」

「おるでー…ごっつおっかないのが」

「あ、悪いここだわ俺」

話が上手い具合に被ってしまったが、俺の部屋に到着した。

「結局送らせちまったな、ありがとな」

一瞬、白石の動きが止まった。…なんですか、今度は。

「………おもろいな、自分」

白石はそうとだけ言うと、「ほな、お休み」と言ってくるりと背を向けた。廊下に残された俺は、自分の部屋の前で呆然と立ち尽くした。面白い?俺が?いやお前の方が面白いと思うんだが。

「もういいや、さっさと部屋入ろう…」

どこか重たい肩を回して、ドアの取っ手を手につか…もうとしたが。

「…あ」

そこには、遠山に壊されたままのドアが倒れていたのだった。


100801 思考迷子/完
121113 修正
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