12.聞きなれない口調

はやくはやく。黒板の上でちくたくと動く長針に、郁はどきどきやらわくわくやら、様々な感情を胸に渦巻かせていた。そしてその背中を、彼女の友達である千鶴が、なんだこいつ気持ち悪いと思いながら観察していた。当然郁は気づきもしない。

「起立ー、礼」

号令当番の間延びした挨拶で、完全に終業となった。それと同時に、郁の頭のなかでリングのゴングが鳴り響く。

「さっきからそわそわしてたけど、なに?トイレ?」

千鶴は、既に詰めおえた鞄を肩にかけ、郁の席へ様子を見に席を立っていた。

すごい勢いで鞄へ荷物を投げ込む郁は、千鶴の質問に対しただぶんぶんと首を横にふる。そして全部つめてふくらんだ鞄が机にドンッと置かれた。

「?」

「買い物、行こう!」

素晴らしい笑顔を携えて、郁は千鶴に言った。

◇◇◇

「あー、久しぶりだ」

電車に揺られること30分。プシューという空気音と共に、冷やされ過ぎた車内に熱風が入り込んできた。それを体に受けながら郁は車外へ足を踏み出す。チカッと目に射した光に、顔を上げれば突き抜けるような晴天が郁を迎えた。郁の門出を祝っているように思えた。

「空ってなんで水色なのだろう」

「お前如きでは解き明かせない自然現象だってことは確かだよ」

浮かれ気分の郁に慣れている千鶴は、改札を通りながらも、鋭利で的確な言葉で郁の心を切り刻む。普段であれば「ひどい!」と騒ぐ郁だが、笑顔で「たしかにー」と言いながら千鶴の背中を追う。

千鶴には、なぜこんなにも浮かれているのかと、不思議だった。弟がいないことが、そんなに嬉しいのだろうか。生憎千鶴は一人っ子のため理解できそうにないが、ひとつだけ明らかなことがある。この浮かれようは気持ち悪い。正直、隣にいたくない。来て早々、別行動を提案しようと口を開けた千鶴。しかしそれよりも早く言葉を発したのは郁だった。

「よし、今日はお茶おごっちゃうから!」

今日は、ずっと隣にいよう。深く頷きそう誓った千鶴。どこでお茶がしたいか話ながら、駅を出る。お茶の場所はすぐに決まった。雑貨屋の近くにある和菓子屋である。その道中でなにか気になる店があれば入りつつ目指そうと、そこまで話もまとまったが……一軒目の店で、早くも問題が発生した。

「あ」

郁の横にいた千鶴は、ある店に目を止めた。店先に並べられた小物は、どれも千鶴好み。店内はいったいどんな商品があるのだろう。すっかり心を奪われた千鶴は、人垣をするりと抜けてその店へと向かった。

「は?ちょ、まままって!」

それに気づいた郁は、焦って呼び止めようとした。しかし千鶴の頭は、既に人波のなかに隠れようとしていた。こんな初っぱなで離ればなれ!? 冗談ではないと、郁は急いで足を踏み出した。その時だった、

「すんません!」

「ぎゃあ!?」

聞きなれない口調と共に、肩がぐいーっと後ろへと何かにひっぱられたのだ。な、なに!? なんとかバランスを崩さないよう、足を踏んばる。そしてその相手を勢いよく振り向いた。

「あんな、道を聞きたいんやけど…ここって、」

誰だよお前! と思うこともなく、郁は千鶴のいた場所へと視線を戻す。人波の間を探すが、そこに千鶴はみつからなかった。

「あ、あのー…」

掴まれていた郁の腕は、いつの間にか解放されていた。郁は自由になった腕を、ぶらりと垂らした。はぐれた。しかもこんな初っぱなで。和菓子食べようね! と話していたにも関わらず、こんな……。浮かれていた気分が打ち落とされ、木枯らしに舞う葉のように落ち込んでいく。気分は、リンボーダンスを始めようとして一歩目から足を挫いた気分である。

そもそも後ろにいる奴が話しかけてくるからいけないんだ。郁の怒りの矛先は、元凶の男に向けられる。視線で殺してやる。郁はそう意気込んで、話しかけてきた男を振り返った。

「あ、えっと…ええですか?」

相手は郁よりも大分背が高かった。そしてその顔は、まごうことなきイケメンだった。しかもなんだか見覚えがある。これ以上ないというくらい、郁の目蓋が上へと引き上げられる。太陽の光にきらめく茶髪が、爽やかな風に揺れる白いYシャツとすごくマッチしている。ああ、このイケメンの名前を私は知っている。…お、おおしおおおしし。

お、落ち着け郁。ほら落ち着くの得意だよね郁。でもこんなサプライズに対応する術は知らないよ郁。とととりあえず無難に行こう。迷子のようだし。道案内をしながら、対応を考えればよいのだ。

「あの、どこに行きたいんですか?」

「どこ…どこやろ……」

「……」

「あ、ああ大丈夫! どんなとこかはわかるで!」

一々その素敵な笑顔を連発しなくていいからとっとと道案内させろ! いつ奇声がでるかわからない。

「緑がごっつある公園や!」

いや、緑がごっつある公園とかこの辺かなりあるんですけど。絞り込み不可能なんだけど。郁はついに耐えきれずに視線を足元へと落とした。どうしよう、どうしよう。やっぱり無理だよこんな大役!

「げ!アカン、もうこない時間!?」

腕時計を見て困ったように頭を抱える彼。これは動揺してる場合じゃないようだ。うん、ただ困ってる人を助けるだけだと暗示しよう。

「わ、わからないけどわかりました。案内するんで着いて来てください」

これが郁の精一杯だ。しかし彼はほっとした顔をして郁の横へ並んだ。

「よかった!俺、忍足謙也いいます。ほんまおおきにな!」

誰か助けて。


091003 聞きなれない口調/完
121113 修正
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