02.鉄則には乗らない

時は、来た。

郁は、姿を消したアレの跡地をにんまり見る。ついに、あの邪魔くさい額のガーゼが取れたのだ。そう思うと、ついつい授業の合間にトイレへ行くたび、そこを鏡で覗き込んでしまうのだった。

「取れた取れた、ガーゼが取れた〜」
「はいはい、よかったよかった」
「え、塩すぎない?」

あまりの塩対応に、隣の鏡で身支度を整える友人――千鶴に食って掛かる。心の友とさえ思っている彼女に、まさかこんな仕打ちを受けようとは。

「あのさ、今5限休み。休み時間の度に言われたら聞き飽きる。さすがに」

……たしかに、そんな気もする。

「いや、だってさ。授業の度に先生にケンカじゃないかって聞かれたり?知らない子にまで心配されたり?散々だったんだって」
「まあ、ねぇ……」

その時のことを思い浮かべているのか、苦笑が返される。そして何かを思い付いたように、ポンと手のひらを合わせた。

「じゃ、パァーッと買い物でも行く?完治祝いってことで、都内とかさ」

やはりコイツは、心の友である。



というわけで、やってきました放課後ショッピング。電車を乗り継ぎ、えんやこら。目的地はダンジョンと評されるビッグステーションなだけあって、改札の外は人混みで溢れていた。

少し前であれば、デデンと居座る額のガーゼに視線を感じて神経を擦りきらしていただろう。だが……恐れるものはなにもない。まさに解き放たれたカゴの鳥が如く、郁は羽ばたく。

「この服かわいいー!よし買お!」
「え、即決め?試着もなし?」

「あの漫画新刊出てたの!?買わな!」
「ちょっ…そんな買って大丈夫?」

「スマホケース飽きてたんだよね!買うわ!」
「待っ、桁ヤバイって!」
「……よぉーし、コッチ買おうっと!」

目につくお店、商品をとにかくひたすらに手を取り財布と相談しつつ買っていく。気持ちはまさにロードローラーの運転手。通った道すがら、草木も残さない勢いである。

そして――

「…………つ、つかれた」
「でしょうね」

当然、1時間後にはハイテンションの後遺症。疲労感に襲われ、郁はエレベーター横に配置されたベンチに沈んだ。

「郁、はしゃぎすぎ」
「おっしゃる……とおり、です……」
「元気になった証拠なんだろうけど」
「え?」
「……怪我してから、上の空だったからさ」

なるほど。怪我に落ち込んでいると、気遣ってくれたようだ。たしかに、上の空だった自覚はある。だが、その原因は――


 ありがとうございます。
 ……俺……必ず、勝ちますから


「ぐぁぁぁ〜〜っ!」
「な、なに?傷開いた?」
「え?!あ、いや……か、感動して……?」
「……あっそ」

なんとか誤魔化せたのか、千鶴はフイと顔を背けて、隣に座った。これ幸いと、郁は急激に上がった心拍数をなんとか元に戻そうと呼吸を整える。幸村くんとのあのやり取りを思い出すと、すぐこれだ。……我ながら、あの日の失態はない。踏み込みすぎた。

「郁、疲れてるみたいだしココいて。私まだ買いたいやつあるから、それだけ行ってくる」

去る千鶴の背を見送り、深くため息を吐いた。よし、これで動悸も元通りだ。ありがたく元気が戻るまで、ありがあくここで休ませてもらおう。

「侑士!これとかお前似合うんじゃね?」
「ないわ〜、関西人がみんなタコ焼き好きと思ってタコ焼きTシャツチョイスするとかないわ〜〜」

こちらに向かってくる足音と、聞き覚えのありすぎる声に……郁は身を固くした。これはどう考えても、以前公園で携帯をなくした際にも出くわした、あのダブルスペアの声だ――と、答えを弾き出すまで僅かコンマ2秒。

このままここにいたら、まずい。

確実にエンカウントすることになる。そうなれば、またなにかトラブルに巻き込まれるかもしれない。

急いでこの場から去ろうと、足先をクルリと返した先。ちょうどのタイミングで、エレベーターの扉が開いた。案内表示には、下降中とある。

これぞ天の助け――!

急いで扉の向こうへ体を滑り込ませ、振り向き様に扉を閉めるボタンを連打する。あの二人が滑り込んできたら、すべてが水の泡だ。

――ガコン、

無事、扉は閉まった。
やっと安心して息がつける。

「はぁ……神よ、感謝します」
「あーん?ここは教会じゃねーぞ」
「……!?」

驚き、仰ぎ見れば――魅惑の泣きぼくろ。

「ひぇ」

恐ろしいほどに美しいご尊顔と、モデル張りのスタイル。そして響く、色気をはらんだお声。

そう、そこには……

「跡部……さ、ま……」
「……ったく、そう言うことか」

……跡部様がいた。
エレベーターの中に、なぜか。

「仕方ねぇメス猫だな。神に願うほど、俺に会いたかったなんてな」

ゴウンゴウン、とエレベーターが下降していくモーター音がする。この音、なんか落ち着くんだよね。混乱のあまり、そんなことを考えてしまう。と言うか、衝撃過ぎて息さえ上手くできない。だって目の前にいるのはアノ、この作品の顔とも言うべきビッグスターだ。

「おい」
「っは……はぃ?!」

「ふん……ここまで追いかけてきたその熱意に、応えてやろーじゃねぇの」

と言うと、跡部様は懐から手帳とペンを出して何かを書き……そのページを破って寄越した。

「俺様のサインだ」
「……」

い、いらない。

こんなトラブルの素になりそうなアイテム、いらない。しかも宛名が「追っかけのメス猫へ」だ。追っかけと勘違いされるじゃねーの!?

「け、結構で――……!」

はたと、郁は重要なことに気づいた。もはや夢小説の鉄則。「おもしれーおんな」のルートに入る可能性を。

いわゆるコレは、普段尊ばれているキャラがぞんざいな扱いを受け、結果「コイツは今まで関わってきた奴と違う。興味深いぞ」と印象に残る“お約束展開”のことである。

それを発動してしまったら、どうなるか。跡部様に覚えられたら芋づる式に氷帝や、青学メンツにまで関わるフラグが立つ恐れがあるのだ。考えるだけでゾッとする。

震える手で、紙を受けとる。

「結構、――な、お手前……で……」
「ふん……これからも、期待していろ」

自分にかけられた言葉につられて、思わず見上げる。そこには、信じられないほどの美貌を余すことなく晒しながら……口角を僅かに上げて微笑む、美男子が。

ピーン、

機械音が響く。エレベーターが地上階へ到着したようだ。固まる郁の背中で、扉が開く音がする。

「じゃあな」

去っていくその背を目で追うことも出来ず、扉は閉まる。そして再び、エレベーターが上昇し始めた。

「あ、郁!なんだ、エレベーター乗ってたんだ。ったく、探したじゃ――………

…ちょっと、大丈夫?」

「……帰ろう」
「そ、そう……だね……うん」

郁の今にも死にそうな顔に、さすがの千鶴も、深く理由は聞かず帰路につくことにしたのだった。


◇◇◇

「はぁー……」

ひとり、夕日を背に帰り道を歩く。考えないようにしようと思うほどに、あの規格外のイケメンが頭に浮かぶ。もはやあれは兵器だ。2次元のカリスマイケメンを前にすると、人は動けなくなるのだから。

「げっ、やば」

思い出す度に固まる足を叱責しながら歩くこと、数分。曲がり角で聞こえた声に一瞬、反射的に身を固めたが――

「……!」

そこにいたのは、テニスラケットを背負って歩くタケルたち立海大のメンツだった。

「ね、ねぇちゃ……!」
「なんだ……タケルか……」
「……へ?」

タケルは、思わず耳を疑った。レギュラー陣に会うことを極端に避け、怒り狂う郁が……なぜか無反応なのだ。街角で出くわすなんて、絶対にサンドバッグにされると思ったのに……だ。

「郁さん、大丈夫ですか?」
「……幸村くん」

郁の様子がいつもと違うことに気づいたのは、幸村もであった。無意識か……部員たちの視線をその背で妨げ――郁の顔を覗き込む。

「……」
「郁さん?」
「幸村くんは、落ち着くなぁ……」
「……え」

郁は、跡部様を見た衝撃が癒えていくのを感じていた。もちろん幸村くんもとんでもないイケメンだが、なんと言うか……優しいイケメンなのだ。目にも心にも優しい。

「これからも、タケルと仲良くしてね……」

フッと笑い、軽く手を振って歩き出す。後ろにいるキャラたちにも会釈をして、鞄を持ち直す。そして強く、心に誓った。


もう絶対、都内には行かない……と。


20201115 鉄則には乗らない/完
×
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -