逆襲のアムロ


昼休みと言うには遅すぎる午後3時半、俺は警視庁の本部庁舎の17階にある喫茶コーナーのお気に入りの席に陣取って、サンドイッチとパスタのランチセットを口に運んでいた。今日は夜明けまで張り込みを続けていて、一睡もできないまま、先ほどようやく報告書を作成し終わったばかりだったのである。ここまでくるといっそ眠気も吹き飛んで、今は食欲の方が勝っている状態だった。
午後の仕事のことを考える時が重くなりそうだったので、俺はパスタをフォークに巻き付けながら何とはなしにスマホをいじっていた。SNSでもチェックするかとインスタのアイコンをタップし、面白い投稿はないかと画面をスクロールする。

「隣、いいか?」

その時、静かな声が頭上から降って来て、俺はパスタを巻いたフォークを皿の上に戻して視線を上げた。明るい金髪に西日が反射して、キラキラと輝いているのが見えた。

「お疲れ様です。もちろんいいっすよ」

相手は俺の返事を聴いて、ありがとうと言いつつ隣の席に腰を下ろした。グレーのスーツを着ているということは、今日は“降谷零”の日なのだろう。

「これからお昼っすか。遅いっすね」
「君こそ随分のんびりした昼食じゃないか。しかもその目元のクマ」

降谷さんはジト目で自分の垂れた目元をトントンとつついた。

「昨日は眠れてないんだろう。そんな状態でこの後の業務、集中できるのか?」
「いやー、正直キツいっす。でもヒトヨンマルマルから捜査会議だし、そうも言ってられないんだよなー」
「その捜査会議、僕も出席するからな。眠っていたら即立たせるぞ」
「えー、何で来るんすかぁ。降谷さんが出張るような事件じゃないでしょ」

ぶつぶつ文句を言いつつ降谷さんにメニューを手渡す。しかし降谷さんはそれを受け取ることなく、「彼と同じ物を」とウェイトレスに告げた。

「それで、さっきから何を見ていたんだ?」
「え?」
「ご飯時にまで、そんなに熱心にスマホで何を見ていたんだ?口元がにやけていたぞ」

もしかして彼女からデートのお誘いでも来てたのか、と降谷さんはいつもと変わらない口調で訊いてきた。俺はその質問に苦笑して、暗くなった画面を操作した。

「だったらよかったんですけど、生憎独り身なんで。俺が見てたのはこれですよ」
「ん?……これは、インスタの投稿画面か」
「はい。降谷さんの協力者の、本田さくらのインスタっす」
「さくらの?」

俺の答えに降谷さんは怪訝そうに眉根を寄せた。

「どうしてそれを見て、君がニヤニヤしているんだ」
「いやー、降谷さんを揶揄ういいネタが手に入ったなーって」
「……どういう意味だ?」

俺がにやりと笑ってスマホをちらつかせると、降谷さんはぐっと身を乗り出して俺の手首を掴んだ。その食いつきように笑みを深くしながら、俺は本田さくらがインスタに投稿したある日の写真を指さした。そこには、彼女が時々業務提携している研究機関のミュージアムの看板が写っている。

「ほら、ここ。こないだ降谷さんが、仕事の下見に行ってくるって言ってたとこじゃないっすか?」

本田さくらが写真と共に投稿したコメントによれば、“今日はプライベートでこちらにお邪魔しています!お仕事じゃないのでただのゲストとして、目一杯遊んできました(笑)”とのことだった。

「…………」
「仕事の下見って言っておきながら、実は彼女とデートしてるなんて、降谷さんも隅に置けないっすねぇ」
「言っておくが、下見と言うのは嘘じゃないからな。ここの所長の赤松という男とさくらが懇意にしていたから、色々と融通してもらっただけだ」
「はいはい、解ってますって」

俺は軽い口調で笑い飛ばすと、画面をタップして彼女の投稿についたコメントを表示した。

「でも、けっこうコメントでも突っ込まれてますよ。“誰と行ったの!?”って」
「ナターシャ……。“ひょっとして、安室さんとデート!?”って、こんな誰が見ているとも限らない場で僕の名前を出すのはやめて欲しいんだが……」

ナターリヤというアカウント名の女性が残した英語のコメントを読んで、降谷さんは頭を抱えた。

「降谷さん、本田さんの友人と面識があるんですか?」
「ああ。さくらの恋人として紹介してもらったわけじゃないが、“本田さくらが片思いをしているカフェ店員・安室透”としてなら会ったことがある」
「へぇ。なんでまた、そんな回りくどいことを」
「……詳しくは本編の第四章を参照してくれ」
「?」

俺は降谷さんの不可解な発言に首を傾げたが、彼はそれ以上説明してくれるつもりはなさそうだった。

「それで、降谷さんがわざわざ出向いて下見をしてきたってことは、こちらが当たりってことっすか」
「ああ。というよりも、ここの企画出展者である白石という女が、今回のサイバーテロ事件の首謀者の1人だからな」
「へぇ。そんな手強そうな相手なのに、もう尻尾を掴んだんすか」
「僕には心強い協力者(パートナー)がいるからな」
「協力者のことをパートナーなんて大層な呼び方をする所、俺は嫌いじゃないっすよ」

ただし惚気ならもうちょっと控えめにやってください、と言って俺が首許を扇ぐ仕草をすると、降谷さんは「パートナーというのはさくらのことだけじゃないぞ」と言って含み笑いを浮かべた。

「え、堂々浮気宣言っすか」
「浮気じゃないさ。さくらも公認の相手だからな」
「本田さんも公認のパートナーって、一体どういう関係なんすか」
「下種な妄想をするのはやめておけ。断っておくが、そのパートナーというのは男だからな。……一応」
「なぁんだ、つまんねー。降谷さんのスキャンダルを掴んだら、ソッコー拡散しようと思ってたのに」
「何か言ったか?谷川」
「いえ別に」

明後日の方向を向いて口笛を吹く俺の肩を、降谷さんは実にいい笑顔を浮かべてぽんと叩いた。

「そうかそうか、そんなに退屈しているというならちょうどいい」

その声の冷たい響きに、知らず背筋が伸びていた。掴まれたままの肩にぐっと指が沈み込み、筋肉が悲鳴を上げる。

「今回僕が下見ついでに、このミュージアムに仕掛けてきた秘撮・秘聴器具を全部、君と風見の2人で回収してきてくれ」
「げっ」
「都合のいいことに、白石たちは明後日日曜日の昼間にここで会合をするらしい。君と風見はその日の夕方ここを訪れ、全ての器具を回収しろ」

都合の悪いことに、日曜日の夕方は俺も風見さんも他に予定が入っていなかった。この人のことだから、きっと俺らのスケジュールも頭に入れた上でこんな無茶ぶりをしているのだろうが。

「……それって」
「ん?」
「一般人を装って、ってことっすよね」
「まあ、そうなるな」
「休日の夕方に、私服で出かけなきゃいけないんすよね」
「別に私服は強制じゃないが、スーツで行くと間違いなく浮くだろうな」
「だったら俺も、可愛い女の子と組ませてくださいよ。何が哀しくてむさ苦しい野郎2人で、こんな洒落たデートスポットに行かなきゃいけないんすか」
「いいじゃないか。可愛い女の子と一緒に行くと、正真正銘仕事をしに行ったのに、恋人とのデートだろうと勝手に勘繰られることになるからな」
「…………」

ぐうの音も出ないとはこのことだ。ひょっとしたら、これは今までちょくちょく俺が降谷さんと本田さくらの仲を揶揄ってきたことへの、ちょっとした意趣返しなのかも知れない。

「という訳で、ほら。これがミュージアムの入場チケットだ。風見の分も含めて2枚あるからな」
「……あざーっす」

さすがにここまで手際よく準備されていれば、彼が元から俺と風見さんにこの仕事を割り振ろうとしていたのだということは嫌でも気付く。俺は全力で辟易したような表情を浮かべつつ、結局は大人しくチケットを受け取った。そんな俺の態度を見て、降谷さんは今度こそ優しげに目を細めて笑った。

こうして俺は、東京都江東区のお台場にあるお洒落なデートスポットに、同課の先輩(♂)と共に出かける羽目になった。
当然ながらただ秘撮・秘聴器具を回収して終わりというわけもなく、そこでも一波乱も二波乱もあったのだが、それはまた別の話である。