08



降谷さんは苦虫を噛み潰したような顔でコーヒーを啜った。

「解った、ちゃんと話すよ。だが、その前に場所を変えよう」
「ここで話すのはマズいってことですか?」
「そうだな。ここよりももっと、話しやすい場所を知っている」

降谷さんがそう言うなら、俺に否やを唱えるつもりはない。幾分ぬるくなったコーヒーに口を付けると、俺はそれを一気に煽った。

「解りました。車は要りますか?」
「そうだな。僕の車は修理に出しているから、君の車を貸してくれ」
「自分が運転しますよ。上司に運転させるなんて恐れ多い」
「君の先輩は、僕の助手席で暢気に寝こけていたんだがな」

降谷さんは苦笑して、それなら運転は君に任せた、と俺の肩を叩いた。
結局、降谷さんとのティータイムはものの15分で終わってしまった。眼下に見下ろしていた国会議事堂の風景に別れを告げて、降谷さんに続いて喫茶室を後にする。

エレベーターで1階まで降りて、正面玄関から外に出ると、そこには数人の小学生が立っていた。偶に社会科見学と称して、都内の小学生が警視庁の見学ツアーに訪れることはあるが、その少年たちの傍に大人の影は見当たらない。

「あれ?あの子達……」

降谷さんも気付いたようで、一瞬目を丸くしたが、すぐに納得したように短く「ああ」と声を漏らした。そしてこちらの困惑など気にも留めず、つかつかと子供達の背後に近寄っていく。

「それより、博士と灰原は?」
「やっぱ博士、風邪みてーでよ。灰原付けてビートルで家に帰らせたよ」
「えーっ!?」
「じゃあ、灰原さん抜きですか……。残念です」

事情は解らないが、何やら落胆の表情を見せる子供達の会話に、降谷さんはしれっと紛れ込んだ。

「僕も残念だよ。せっかく噂の阿笠博士に会えると思ったのにね」
「あ、安室さん?」

降谷さんの声に真っ先に反応したのは、眼鏡を掛けた小柄な少年だった。安室さん、と呼び掛けたということは、この少年は喫茶ポアロで働く“安室透”の知り合いなのだろう。

「毛利先生から聴いてたんだ。今日、君達少年探偵団が、阿笠博士の車で警視庁にパンフレットの撮影をしに行くって」

毛利先生というのは、降谷さんがバイトしている喫茶ポアロの上の階に事務所を構える毛利小五郎のことだろうか。そして少年探偵団というのは、目の前の彼らのことだろうか。降谷さんが潜入先でどんな人間関係を築いているのかを知らないので、余計な口出しはすまいと思って俺は唇を引き結んだ。

「おいコナン、誰だよ?この兄ちゃん」
「刑事さんですか?警視庁から出て来られましたけど……」

眼鏡の少年以外の子供達は降谷さんの知り合いではなかったらしく、不思議そうな顔を降谷さんに向けていた。コナンと呼ばれた少年は違うよ、と口を開いた。

「小五郎のおっちゃんに弟子入りした探偵だよ。ね?安室さん」
「そうだよ。毛利探偵事務所の下の、喫茶ポアロでバイトをしてるんだ」

降谷さんは愛想よくにっこりと微笑んだ。警戒心を抱かせないその笑顔は、普段の降谷さんを知る俺から見れば胡散臭いことこの上ない。

「だけど、どうして安室さんが警視庁に?」
「丁度、僕も警視庁に来るように言われてたからね。もう用事は終わったけど」
「え?何で呼ばれたの?」
「一昨日の夜、君を誘拐した犯人が乗った車に僕の車をぶつけて止めたあの一件さ。やり過ぎだったんじゃないかって、再度事情を訊かれたんだ」

その言葉を聴いて、俺も眼鏡の少年と一緒になるほど、と納得してしまった。今日はやけにラフな格好だと思っていたのだが、“安室透”として警視庁に呼び出しを食らっていたためだったのだ。

などとのんびり考えていたら、唐突に降谷さんの視線がこちらに向けられた。

「ですよね?刑事さん」
「へ?……ああ、そうですね。再度ご協力いただいて、ありがとうございました」

笑顔を張り付けて咄嗟にそう答えると、子供達は目を輝かせて思い思いに口を開いた。

「お兄さん、警視庁の刑事さんなんですか?」
「初めて会う刑事さんだー!」
「何かあんまり強そうに見えねぇなー」

好き勝手に言ってくれる、と思いつつ、俺はせいぜい押しの弱い男に見えるように、腰を折って少年たちに顔を近付けた。

「はは……、どうも、初めまして。警視庁交通部の三浦です」

何の前振りもなくアドリブを仕掛けられて、俺は思わずいつも使っている偽名ではなく、直属の上司である公総課長の名前を口走っていた。まあ、どうせこの子達に会う機会なんて金輪際ないだろうから、俺の嘘がバレることはないと思うが。

「三浦刑事さんだね、初めまして!」
「交通部ってことは、ミニパトの姉ちゃんの仲間かぁ?」
「ミニパトの姉ちゃん?」
「交通課の宮本由美さんですよ。僕達の住む町をいつもパトロールしてくれてるんです!」

ああ、と俺は短い声を上げ、子供達に向かって大きく頷いてみせた。宮本警部補なら、同期の佐藤つながりで俺も何度か会話をしたことがある。というよりも、降谷さんが一昨日事故を起こしたという情報を俺に流してくれたのが、誰あろうその宮本だった。

「そうだね、宮本さんとは同僚だよ。と言っても彼女は現場のパトロールが主で、僕は内勤が主だから、顔見知りっていう程度の付き合いだけどね」

こう言っておけば、宮本の方に俺の素性を問い質すことはしないだろう。そう高をくくって、俺は息を吸うように嘘を重ねた。

「そろそろ僕達は失礼するよ。いい写真が撮れるといいね」

俺が腰を上げて帰る素振りを見せると、子供達は「はーい!」と素直な返事をしてくれた。降谷さんと連れ立って本部庁舎の前を通り過ぎ、警察合同庁舎の前の信号で立ち止まる。
一度ちらりと背後を振り返ってみれば、コナンと呼ばれた少年が何か物言いたげな目でこちらを見つめていた。その手にスマホが握られていることに気が付いて、俺は大袈裟に顔の前で両手を振って大声を張り上げた。

「ばいばい、またねー!」
「あっ、お気を付けて、安室さん、三浦刑事!」
「さようなら、安室さん、三浦刑事ー!」
「ミニパトの姉ちゃんによろしくなー!」

子供に負けじと元気溌剌な挨拶を交わすと、俺は降谷さんと並んで横断歩道を渡った。降谷さんの口元が今にも吹き出しそうに歪んでいるように見えたので、俺は子供達から見えない角度で降谷さんの脇腹をこっそりと抓った。



「いや、すまない。君がまさかああいう役作りをしてくるとは思わなくて」
「寿命が3か月は縮みましたよ……。前置き無しの無茶ぶりはやめてください」

自分の愛車を運転しながら、今度は俺が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。そんな俺を遠慮なく笑い飛ばし、降谷さんは次の交差点を右だ、と端的に指示を出した。

「で、あのコナンとかいう少年、何者なんですか?」
「何者って、どういう意味だ?」
「あの子でしょう?降谷さんが車を犠牲にしてでも助けたかった子ってのは」
「ああ、その通りだ。毛利探偵事務所に居候している子でね、江戸川コナン君という名前だ。確かに面白い少年だよ」
「江戸川コナン、ねえ。ハーフですか?それともキラキラネーム?」
「ハーフには見えないが、どうなんだろうな。親が熱狂的なシャーロキアンなのかも知れない」

降谷さんの口調は楽しげだった。この人が他人のことをこんな声で話すのは、久しぶりのことである。

「何か俺、めっちゃ写真撮られそうになったんですけど」
「ああ、あのわざとらしい別れの挨拶はそういうことか」
「ええまあ。万が一、あの少年にもう一度会う機会があれば、今度は完璧に変装しておきますね」
「君がそこまで言うのも珍しいな。まあ、さすがにあの子達も、刑事事件ならともかく公安事件にまで出張ってくることはないだろう」

降谷さんは穏やかな口調でそう言った。しかし、この発言が盛大なフラグになろうとは、俺は勿論口に出した降谷さん自身にも、思ってもみないことだったに違いない。

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