Dear. 清歌様

世間が煌々とした電飾に包まれる12月。子供たちはフィンランドにいる髭の老人にプレゼントを請い、親はなるべくバレないように子供へのプレゼントを買いに走る、そんな季節の到来だ。
赤と緑に彩られた街並みを眺めながら、胸に去来する思いは人それぞれだろう。家族や友人と過ごす予定を立ててわくわくしたり、恋人とディナーの約束をして胸をときめかせたり、独り寂しく過ごす夜を思ってリア充爆発しろと念じてみたりと様々だ。

そんな中、数か月前からお付き合いを始めた恋人のいる僕は、初めて彼女と過ごすクリスマスというものに期待で胸を弾ませ―――

ることが、出来なかった。

その理由は単純である。僕はここ最近抱き続けた違和感を吐き出すように、スコッチの入ったグラスをバーカウンターにぶつけて低く唸った。
近頃、僕の恋人の―――つばさの様子がおかしい。

「おかしいって、具体的にはどんな様子なんですか?」

僕の隣に腰を下ろした風見は、目を瞬かせながらそう質問してきた。僕は叩きつけたグラスの表面を指でなぞりつつ、これまでの彼女の様子を振り返ってみることにした。

「最近やたらと忙しくしていて、デートに誘ってもノリが悪かったり」
「ふむふむ」
「電話をしていてもどこか上の空で、会話に集中していないことがあったり」
「ふむ……」
「家に行っても、何か隠し事している様子を見せたりしているんだ。おかしいと思わないか?」
「…………」

風見は神妙な顔つきで、顎に手を当てて考え込んだ。数秒後、つかぬ事を訊きますが、と言って彼はスイートチョコレートをひと欠片摘まんだ。

「その隠し事をしているというのは、具体的にはどういった行動を取っているのですか?」

キラリと彼の眼鏡が照明を弾いた。その顔は最早事件を追求する刑事の顔である。

「最初は違和感と言っても些細なものだったんだ。1カ月前に彼女の部屋に泊まりに行ったら、彼女の部屋に見慣れない本が置いてあって」
「本……ですか?」
「ああ。いつも彼女が読んでる医学書や薬学の本とも違っていたし、彼女が好むミステリー小説でもない。割と薄手の雑誌のようなものが、テーブルの上に置かれていたんだ」
「ほほぅ」
「それで、僕がその表紙を捲ろうとしたら……」

キッチンに立っていた彼女は、僕がその本に興味を示したのを見て慌ててすっ飛んできた。これは零君が見るようなものじゃないから!と言って後ろ手にそれを隠すと、彼女はそそくさと自室の鍵の付いたチェストの中にそれをしまい込んだ。よくある南京錠だ、僕の手に掛かればピッキングをするのに5秒も掛からないだろう。この時はそう高を括って、彼女の不審な動きを気に留めることもしなかった。

「だが、彼女も馬鹿じゃない。僕が彼女が風呂場に行った隙にピッキングをして中を覗いてみると、もうそこに目的のブツはなかった」
「むむ……」
「それ以降、その本を彼女の部屋で見かけることはなくなったんだ」

高が1冊の本ごときに、と思われるかも知れない。だが、彼女のあの慌てようは異常だった。例えば本自体は何の変哲もない内容だったとしても、その間に見られては困る物が挟んであった可能性は無きにしも非ず、である。

「こんな風にあからさまに隠し事をされたのは初めてのことだから、何だか僕もムキになってしまってな。こうなったら、元探偵・安室透としても、元探り屋・バーボンとしても、彼女の秘密を暴いてやろうと意気込んでみたんだが……」
「駄目だったんですか?」
「ああ。彼女の勤める病院で聞き込み調査をしても、彼女の部屋のクローゼットをそれとなく物色しても、決定的な証言や証拠は得られなかった。そしてその日以降、彼女は僕の誘いも断るようになったし、電話でも上の空で話していることが多くなったんだ」

別に、つばさが浮気をしているとか、僕に内緒で良からぬことを企んでいるなんて思っている訳じゃない。ただ、もうじきクリスマスという、恋人同士なら意識するであろうイベントが近付いているというのに、却って遠ざけられているような現状が気に食わないだけだ。

僕の子供っぽい愚痴を、風見は何とも言えない表情で聴いていたが、やがてふと眉間から力を抜いて微笑んだ。

「降谷さんも、そんな顔をするようになったんですね」
「……どういう意味だ」
「いえ。以前は自分を相手にそんな年下らしい顔を見せてくれることはなかったので、初めて降谷さんを年下なんだと実感したというか」

意外なことを言われて、僕は思わずまじまじと風見の顔を見つめてしまった。

「降谷さん、自覚がないのかも知れませんが、例の組織が壊滅してから表情豊かになりましたよね」
「僕はそんなに不愛想だったか?」
「いえ、そんなことはありませんよ。でも、どこか張り詰めたような表情をしていたというか……、簡単に本心を悟らせるような振る舞いはしなかったでしょう」

でも、今の降谷さんは変わった、と言って風見は手元のロックグラスを揺らした。

「トリプルフェイスという生活から解放されて、少し雰囲気が柔らかくなったというか。ちょっとは距離が近くなれたような気がして、自分はとても嬉しいです」
「…………」

照れ臭そうに笑う風見の横顔を見て、僕はどことなく居たたまれない気持ちになった。確かに、組織が壊滅したあの日まで、生き急ぐように日々を過ごしていた自覚はある。日本を守りたいという使命感や、死んでいった仲間たちの無念。そして、対立し続けてきた男達と共闘することへの葛藤など、1人で抱えるには重すぎる荷物を必要以上に抱え込んでいたのかも知れない。だから組織が壊滅し、長年の悲願が達成された時、僕は一種の虚脱感を覚えたのだ。所謂燃え尽き症候群である。

ああ、僕の役目は終わったのだ。もう楽になってもいいのだと、降ってくる瓦礫を見つめながら僕は確かにそう思った。
だからこそ、幽霊となって記憶を喪っていた1週間、僕の心を繋ぎ止めてくれた彼女には、感謝してもしきれない。

「僕はあの1週間で生まれ変わったんだ。組織の壊滅に全てを懸けていた僕は一度死に、全く新しい降谷零として目覚めたんだよ。だから、君が僕のことを変わったと思うのなら、それが原因じゃないのかな」

僕が穏やかに微笑んでそう答えると、風見は吊り上がった目を柔らかく細めて頷いた。その顔を見て、僕は彼が年上なのだという事実を、今更のように実感した。



それはさておき、本題はつばさのことである。うじうじ悩んでいても始まらない、ということで、僕は思い切って本人に正面から訊いてみることにした。12月21日、クリスマスデートと言うには気が早いが、僕と彼女が揃って休みを取れる日がここしかなかったため、僕は彼女に自宅デートをしようと持ち掛けた。彼女もここに来て断るようなことはせず、むしろ今までの素っ気なさは何だったのかと言いたくなるような歓迎っぷりで、僕の提案を受け入れてくれた。

「零君、いらっしゃい!上がって上がって」
「……ああ、お邪魔します」

久しぶりに会った恋人はやけに眩しく見えた。白いセーターに濃いネイビーのスキニーパンツがよく映えて、綺麗な脚のラインが男心を擽る。

「久しぶりだね、零君の手料理をご馳走してもらうの」
「最近は、誰かさんが滅多に会ってくれなかったからな」
「あはは、ごめんごめん。それじゃ、私はデザートの準備をするから、何か足りないものがあったら言ってね」

悪びれる様子もなく謝って、彼女はキッチンに僕を押しこんだ。赤ワインとキウイの輪切りに2時間付け込んでおいた牛肉を見下ろし、ふう、と小さく息を吐く。

(まあ、こうして家に入れてくれるようになっただけでも一歩前進か)

釈然としない思いを抱えながらも、僕はビーフシチューを作るための両手鍋を取り出した。



5時間かけて煮込んだビーフシチューは、我ながら絶品だった。

「うーん、美味しい!お肉とろっとろだし、赤ワインの風味が効いてて最高!」
「ありがとう。つばさの作ったガーリックライスも美味しいよ」
「零君に言われるまで、赤ワインとキウイでお肉を柔らかくするなんて発想なかったもんね。そんなに高級なお肉って訳でもないのに、口の中でほろほろと溶ける感じが凄いよ」

グルメリポーターのような事を言いながら、つばさは何度も美味しい美味しいと言いながらビーフシチューをおかわりした。

彼女が用意したデザートは、フランスの焼き菓子のガレット・デ・ロワだった。“王様のお菓子”という意味の名前を持つこの菓子は、バターをたっぷり塗って何層にも重ねたパイ生地の中に、リッチなクレーム・ダマンドをたっぷりと入れたお菓子である。

「フランスでは新年に食べるものって言われてるけど、本当の由来はキリストの生誕を祝うものなんだって。だからクリスマスに食べてもいいよね」
「本当に、昔に比べたら随分料理の腕が上がったな。それじゃ、いただきます」
「どうぞ、召し上がれ。当たりが出るといいね」

ガレット・デ・ロワはパイの中に1つだけ、フェーヴと呼ばれる陶器で出来た人形が入っているのが通例である。これを運よく引き当てた人間には、1年間幸運が訪れるという言い伝えがあった。
当たりなんて引かなくても、僕にとっては君こそが幸運の象徴だ。とはさすがに言わずにおいたが、それくらい今の僕は幸福に満たされていた。

結局当たりを引いたのは彼女だった。自分で仕掛けて自分に当たるなんて何だか間抜けだね、と彼女は苦笑したが、僕はむしろそれが嬉しかった。

「それじゃ、君の幸運に僕も肖ろうかな」
「へ?……っん、む、」

ぽかんと目を丸くしたつばさの頬に手を添えて、僕はそっと彼我の距離を詰めた。甘いクレームの味がするその唇を、角度を変えて何度も味わう。

「幸運の女王様からの祝福のキス。確かにいただきました」
「―――っ、も、ほんと、その顔でそういうこと言うの反則……!」
「はは。そんな顔して怒ってみせても可愛いだけだぞ」

僕が揶揄うように頭を撫でると、つばさはぷくっと頬を膨らませた。

「いっつも零君ばっかり余裕ぶって、ずるい」
「そう言うなら、つばさも頑張って僕から余裕を奪ってみせてくれ」
「……じゃあ、ちょっとこっちに来て」

つばさはまだ膨れた顔をしていたが、僕の手を引いて寝室へ向かった。久しぶりに入った寝室のベッドの上には、綺麗にラッピングされたプレゼントが載っていた。
彼女は躊躇いもなくそれを手に取ると、こちらに向かって両手で差し出した。

「メリークリスマス。これ、良かったら零君にあげる」
「え?これを僕に?」
「うん。最近、電話してても私だけ上の空だったり、デートに行けないことが多かったでしょ」
「ああ、そうだな。寂しかったんだぞ、こっちは」
「それって全部、これを準備するためだったの。……開けてみて」

促されるまま包装を解くと、中からクリーム色のVネックセーターが姿を見せた。メリヤス編みや2目ゴム編みなどを駆使した、シンプルなチルデンセーターである。

「……これってもしかして、つばさの手作りか?」

柔らかな手触りを確認しながら尋ねると、彼女は照れたように頭を描いた。

「えへへ。実は、最近ずっと会えなかったのは、それをせっせと作ってたからなんだ」
「すごいな、編み目も均一だしムラがない。つばさ、編み物なんて出来たんだな」

僕が感心しながら言うと、彼女はえへんと胸を張った。

「伊達に毎週、針と糸を持って仕事してる訳じゃありませんから。顕微鏡を覗きながら皮膚を縫合するのに比べれば、こんなのはお手の物よ」

言われてみればその通りである。編み物を綺麗に仕上げるコツは、力を均一に加えることと編み目の大きさをそろえることだと言われているが、普段から極限の精神状態の中でピンセットに挟んだ小さな針を操り、髪の毛よりも細い糸を扱う彼女にとっては、これくらいのことは出来て当たり前のことなのかも知れない。

「なんだ、そういう事だったのか。隠し事をされているとは思っていたが、こんなオチだったとはな。こんなことなら、無理矢理秘密を暴こうとしなくてもよかったわけだ」
「そうだ、零君、私のチェスト勝手に開けたでしょ。鍵穴に変な痕が付いてたもん」
「いやあれは、元探偵としての性というか」
「もう零君は探偵の安室透じゃないんだから、ピッキングなんてせこい手は使わないで。し、下着とか、見られて恥ずかしいものも入ってるんだから」

怒っていたかのように勢い込んでいた口調が、もごもごと歯切れの悪いものに変わる。照れて視線を明後日の方向に向けるのが可愛くて、僕は彼女の体をすっぽりと腕で覆った。

「勝手にチェストを開けたことは謝る。それと、セーター、本当にありがとう」
「……ん。大事に使ってね?」
「勿論だ。次にデートに行くときに着ようかな。次はいつが空いてるんだ?」

ここぞとばかりに次の約束も取りつけようとする僕に、つばさは呆れたように苦笑した。

「寂しい思いをさせちゃってごめんなさい。これからはこんなことがないように、ちゃんと余裕をもって準備するね」
「全くだ。寂しい思いをさせた分、今夜はサービスしてくれよ」

僕がそう言って意地悪く笑うと、彼女は耳まで紅く染めて、それでも嫌とは言わなかった。恥ずかしそうに小さく頷いた幸運の女王の顎を捉えると、僕はもう一度祝福をもらうために、その唇にキスを落とした。


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