Dear. 七瀬様

※スコッチの血縁関係について、コミックス未収録の内容を含んでいます。未読の方はご注意ください。



かつて私が潜入していた組織の一つが壊滅したらしい。

らしい、というのは私がその組織との関わりを1年以上も昔に絶っていたからで、その情報も私が所属している機関のトップから伝え聞いたものだった。もともとうちはあの組織を潰すことが目的だった訳ではないので、それを私に伝えてきた上司の声には若干の落胆が含まれていたけれど、私にとっては最愛の兄を奪った因縁の相手である。壊滅してくれて心底ほっとした、というのが本音だった。

そこでふと思い出したのは、私が組織に潜入していた数年間、呪縛のように私に着いて回っていたあの男の面影だった。

(バーボン……)

彼は生きているのだろうか。彼が所属する日本の公安警察は、躍起になってあの組織を潰そうとしていたから、きっとあの男は先頭に立って組織の人間と戦ったのだろう。そこで大怪我を負ったかも知れないし、ひょっとしたら命を落としてしまったかも知れない。私達はそういう世界で生きている。
私の人生で彼と交わった時間と言うのはあまりにも少ない。けれどその短い時間が、これまでの私の大部分を形成するほど濃密な時間であったことは間違いない。恋人などでは決してない、けれど単なる知人というには、私達はお互いを深く知りすぎた。

日本に行ってみようか。ふとそう思い立って、私は上司に休暇の申請をした。これまで任務以外で我儘を言った事のない私の申し出に、上司は初め面喰っていたけれど、すぐに破顔して了承してくれた。日頃真面目に勤務していると、こういう時に優遇されやすくて助かる。

そういう訳で、私はおよそ1年ぶりに、故郷である日本の地を踏むことになったのである。



故郷に帰るという事で、私はまず長兄の高明に連絡を入れた。両親が死に、私と景光お兄ちゃんが親戚の家に引き取られる前に会ったきりだったけど、兄は私の事をよく覚えてくれていた。そして初めて、景光お兄ちゃんが死んだことを身内と共に偲びあった。
そこで私は、兄が死んだときに胸ポケットに入っていたスマホが長兄の手に渡っていたことを知った。バーボンがこっそり抜き取って、警視庁に勤める同期に託したのだということだった。

「これを受け取った時に、景光はどこかの組織に潜入していて、死んでしまったのだと悟りました。君も同じ組織に居たとは、さすがに予想していませんでしたが」
「でも、私が組織に潜入した時はもう遅かった。私がもっと早く上層部に食らいついていれば、ひょっとしたら助けられたかも知れないのに」
「たらればを言ってはいけませんよ。景光が死んだのは天命だったのでしょう」

死のうは一定、しのび草には何をしよぞ、と長兄は珍しく日本の小唄を詠んだ。この兄と言えば、いつも中国の故事成語ばかりを口にしていたように記憶していたから、私は思わず驚いて目を瞬かせた。

「織田信長が好んでいたという小唄です。人間は誰でも死ぬものである、だから生きていた時のことを偲んでもらうために、死ぬまでに何を為すかという歌ですね」
「……お兄ちゃん」
「景光が死んでしまったことは残念でなりませんが、こうして君と彼を思って語らうことは出来る。あとは残された私達が、彼の分まで存分に生きなければ。そうでしょう、ひかり」
「……うん。そうだね、ありがとう」

思わず涙ぐむ私の頭を、長兄は優しく撫でてくれた。



続いて私がやって来たのは、バーボンがバイトをしていたという喫茶店である。

「いらっしゃいませ、1名様ですか?」

出迎えてくれたのは、私と同じ年頃の黒髪のウェイトレスだった。私ははい、そうですと返事をしながら、案内されたカウンターに腰を下ろす。
店内を見渡してみても、あの男の姿はなかった。テーブル席には1組の家族が居て、仲が良さそうにパスタを啜っていた。

その家族の1人に目をやって、私はあることに気付いた。私が日本で活動していた頃、何度も新聞に登場していた男だったからだ。
眠りの小五郎―――確かバーボンがここでバイトをしていた時、探偵として弟子入りしていた男である。こちらに背を向けて座っているのは、彼の娘だろうか。その隣にいる少年は、和風パスタにアイスコーヒーという子供らしからぬメニューを頼んでいた。

ベルモットが執着していたとかいう、噂の毛利一家である。これは接触してみる価値はあるな、と判断して、私はにこやかに話しかけた。

「あの、すみません」
「はい?」

真っ先に振り返ったのは、長い黒髪を靡かせたお嬢さんだった。確か名前は、毛利蘭とか言っただろうか。

「毛利探偵……ですよね。ちょっとお尋ねしたいことがあるんですが、今よろしいでしょうか?」

私が立ち上がってテーブル席の近くに行くと、毛利探偵は気の無さそうな顔を私に向けてきた。

「あー?今は依頼は受け付けてねぇよ……って、」

しかしその表情は私の顔を見て一転し、着崩されていたスーツをぴしっと整え始めた。

「これは失礼、お嬢さん。私で良ければ何なりと、お話を伺いましょう」
「もう、お父さん!ちょっと綺麗な人を見たら、すーぐこれだから」

娘さんの反応に苦笑しつつ、勧めて貰った毛利探偵の隣の席に腰を下ろす。ウェイトレスさんはそれを見て、私の注文したコーヒーとパスタをテーブル席に運んでくれた。気を遣わせてしまって申し訳ない。

「それで、ご相談とは一体何ですかな?」
「はい。実は私、ここでバイトをしていた安室透さんの縁者で」

私がそう発言すると、正面に座っていた少年があからさまに反応した。

「安室さんの!?」
「え?ええ。縁者というか、腐れ縁なんですけど」

他に妥当な言い方が見つからず、そう答えてパスタをフォークに巻きつけると、少年はじっとりとこちらを見つめてきた。

「実は、しばらく前から彼と連絡が取れなくなっていて。今日も彼に会いに来たんですが、どうやらお休みのようですし……。安室さんが弟子入りしていたという毛利先生なら、彼の消息をご存じないかと思ったんです」

私が正直にそう言うと、毛利探偵はなんだ、安室君のことかよ、と言ってまた憮然とした表情に戻った。

「安室さんなら、1か月くらい前に辞めちゃったよ」

答えてくれたのは眼鏡の少年である。ベルモットが執着し、バーボンがやけにその存在を気にしていたこの小学生は、確か名前を江戸川コナンと言っただろうか。

1か月前と言うと、例の組織が壊滅に追い込まれた時期である。であれば、恐らく彼は後顧の憂いをなくすために、ここでのバイトも辞めて行ったのだろう。

「そうなんだ。辞めた後でどこに行ったか、あなたは知ってる?」
「……知らない。でも、もうここには戻ってこないんじゃないかな」

少年は堅い口調でそう言った。その言葉だけで、私は彼がバーボンの正体を把握しているのだと察した。こんな子供に正体を掴まれるなんて、彼らしからぬ失態である。
そしてその正体を知っているからこそ、この少年からバーボンに関する情報を聴き出すのは簡単ではないだろうな、とも思った。

「そっか。それなら仕方ないね。のんびり探してみることにするよ」
「……小五郎のおじさんに、探してもらわなくていいの?」
「いいよ。お互いに生きてさえいれば、どこかで会えるって信じてるからね」

あっさりと引き下がった私を見て、彼は目を丸くした。私がバーボンの命を狙う怪しい人間にでも見えていたのだろうか。昔は強ち間違いでもなかったけど。

「腐れ縁って不思議なものでね。もう二度と会えないかもって思ってても、ふとした瞬間に会えたりするんだよ。私と彼が再会したのも、偶然のようなものだったしね」

最後に彼と抱き合った夜、彼に言われた言葉がある。
次に出会うのが何年先になるか解らないが、僕達は何度でも、運命の糸に引かれて出会うことになるだろうと。その言葉に、私もそんな日が来ることを信じていると答えたのだ。
だから、例え今回彼に会えなくても、私には確固たる自信があった。

「ねえ、ボウヤ。一つ頼まれてくれないかな」
「……うん、いいよ。なぁに?お姉さん」
「もしもボウヤが、安室さんにどこかで会うことがあったら、伝えて欲しいんだ」

あなたと、スコッチの味を分かち合いたい、って。

少年は訳が解らない、と言いたげに首を傾げていたが、私は深く説明せずに微笑んだ。

「お願いできる?」
「……うん、解った。どこかで会えたら、伝えておくね」
「ありがとう。それじゃ、私はこれで」

綺麗に食べきってしまったパスタのプレートを置いたまま、私は口を拭って席を立った。毛利親子に会釈をして、レジへと向かう。
きっと彼に託した伝言は、確実にバーボンの元へと届くだろう。そして気付いてくれるといいと思った。私があの夜の約束を覚えていたということを。あなたとの運命を、まだ信じているということを。

「ありがとうございましたー!」

カラン、と軽やかに鳴ったドアベルの音を聴きながら、私は喫茶店を後にした。



それから私は、1人で東都の観光を満喫した。杯戸公園で休憩し、大きなデパートでショッピングをし、堤無津川のほとりを散策しているうちに、気付けば辺りはすっかり暗くなっていた。遠くで車の行き交う音や、勤務を終えたサラリーマンたちの喧騒の音が聞こえる。

そろそろホテルに戻ろうか、と踵を返した所で、反対側から歩いてくる人影を認めた。
グレーのスーツをぴしっと着こなした、一目で堅気ではないと解る体つきの男だった。足の運び、ふとした時の仕草など、隙が全く見当たらない男がこちらに向かって歩いてきた。

その胸元から上へ視線を向けて、私は小さく息を吐いた。

(ああ、やっぱり何も変わってない)

いい加減三十路を過ぎた頃だと言うのに、彼は数年前から何一つ変わらないままだった。

彼は私の目の前までやってきて、ようやく足を止めた。

「今夜のスコッチは、毒入りじゃないだろうな?」
「……さあね。それはあなた次第じゃない?」
「そうか。それなら君の機嫌を損ねないように、丁重にエスコートしないとな」

彼はそう言って私の手を取った。気障ったらしい仕草でそこに唇を落とし、口端を吊り上げる。
そうして初めて、私達は正面から見つめ合った。

「お帰り、ひかり」
「ただいま、ゼロ君」

その言葉を合図に、私達は子供のように屈託のない笑顔で、お互いを強く抱き締めあった。


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