Dear. ちえり様

爆風と共に舞い上がった赤いそれが炎だったのか、それとも彼女の血だったのか、僕には一瞬判断がつかなかった。

「さくら!」
「さくらさん!」

昏い夜空に火柱が上がる。辛うじて機関部は動いている様子だったが、背負っていた艤装には既に火の手が回っていた。彼女のトレードマークのように肩から提げられていた主砲は、砲塔から先が跡形もなく吹き飛んで、基部が剥き出しになっているのが解る。
そして何より彼女の服と体は、敵の砲撃によってズタズタに引き裂かれてしまっていた。

―――さくら。

真っ赤に染まった彼女の体が力なく海面に打ち付けられるのを目の当たりにして、僕は自分の視界がぐらりと歪んでいくのを感じていた。



大本営から告知された今回の作戦は、第二次AL作戦と名付けられた。その最終決戦の最深部での戦いに臨んでいた僕達は、とうとう敵艦隊の旗艦と僚艦2隻を残すのみというところまで追いつめて、最後の仕上げのために夜戦に突入したのだった。

ロケットランチャーを装填したタシュケントとさくらの砲撃で敵の旗艦・北方棲妹-壊を無力化し、残すは集積地棲姫のみとなった時、誰もが勝利を確信した。それも無理からぬことだろう。こちらにはまだ3人も攻撃の手が残っていて、敵は既に孤立無援の状態だったのだから。

しかし、集積地棲姫が最後の悪あがきで放った砲撃は、この艦隊の心臓部を直撃した。

目の前で愛しい女の子がズタズタに引き裂かれていく光景を、前線から離れた第一艦隊旗艦のネルソンの隣で、僕は茫然と見つめていた。



「艦隊帰投!」
「ドックを開放しろ!フル回転させるぞ!!」
「明石、連絡していた通りに修復材の用意を!」
「了解!」

泊地に帰り着くと、さくらを曳航してきた重巡洋艦の足柄と那智がテキパキと修理妖精に指示を出した。彼女たちも決して無傷という訳ではない。その服には至る所に綻びが見え、いくつものかすり傷を負っていた。それにも関わらず、彼女たちはより重傷を負っているさくらの修復を優先してくれているのだ。

那智の腕に抱えられたさくらの瞼は固く閉ざされ、もう2度と開かないのではないかと疑ってしまいたくなるほどその顔からは生気が喪われていた。

「提督」
「っ!」
「動揺するのは解るが、駆逐艦達も見ている。悪いが、もう少し堪えてくれ」

今回の最終海域で連合艦隊の旗艦を務めていたネルソンが、僕の背中をぽんと叩く。僕は知らず知らずのうちに詰めていた息を吐き出して、片手で顔を覆った。

「……すまない。君たちの誰が大破しても心臓に悪いことに変わりはないが、……彼女だけは……」
「ああ、解っている。提督がさくらのことをどれだけ大事に想っているか、この艦隊の誰もが知っているぞ」

指の隙間からドックの入り口を見つめる僕に、ネルソンはそうだ、と今思い付いたかのような声を上げた。

「さくらの修復が終わるまで、余が秘書艦の代理を務めよう。戦果の確認もせねばならんし、大本営への報告も入れねばならんしな」
「……ああ、頼む」
「提督も疲れているだろう。シャワーでも浴びて頭を冷やして、それからさくらに会いに行ったらどうだ?」

ん?と僕の顔を覗き込みながら口角を上げる彼女に、僕はぎこちない微笑みを向けた。

「そうさせてもらうよ。ありがとう、ネルソン」
「気にするな。さあ皆、今夜は祝勝パーティーだ! 」

僕がお礼を言ってその場から立ち去ると、ネルソンは背後で不安そうに立ち尽くしていた駆逐艦達に向けて両手を挙げた。

「新しい仲間の歓迎パーティーでもあるぞ!」
「パーティー?いいわね、久しぶりに鳳翔さんの手料理が食べたいわ!」
「電は瑞鳳さんの卵焼きも食べたいのです!」
「暁、落ち込んだ顔をしているが、どうしたんだ?」
「おっ、落ち込んでなんかないわ。……ただ、このままじゃさくらさん抜きで、パーティーをすることになりそうだなって……」

暁の寂しげな声を背中で聴きながら、僕は体の横で拳を握りしめた。あれだけの損傷を折っていたのだから、さくらの修復に掛かる時間は12時間はくだらないだろう。高速修復材を使えば一瞬で治るが、それをすると耐え難いほどの苦痛を伴うのだと聴いたことがある。修復を終えた後も、意識がすぐに戻るとは限らない。恐らく今夜の祝勝会は、さくら抜きで開催することになるだろう。

幸い、今回の全作戦はこの戦いで全て終了した。これからはほんの僅かな間とは言え、平和な時間が訪れるのだ。だったら何も焦る必要はない、のんびりと静養に充ててくれればいい。

―――そうと解っていても、僕は胸の奥に渦巻く不安を拭い去ることが出来なかった。

執務室にたどり着くと、僕は上着を脱いで椅子の背もたれに掛け、書斎机に突っ伏した。

(……いい加減、艦娘が大破することにも慣れてきたと思っていたんだがな)

提督になったばかりの頃は、そのことでいつもさくらに叱られてばかりいた。

あなた、私たちの誰かが大破するたびにそんな顔をするつもりなの、と。
あなたの目に私たちがどう見えているのか知らないけれど、私たちは兵器なの。戦場に出て、相手の命を屠ることが私たちの存在理由。相手を殴る以上、こちらも殴られる覚悟は出来てるわ、と。

それは少しでも僕の心の負担を軽くしてやろうという彼女の優しさであり、同時に彼女の艦娘としての誇りを端的に表した言葉でもあった。

私たちが傷を負っても、申し訳ないと思わないで。そうね、どうせ思われるんなら、こっちの方がいいわ。
こんなに綺麗な女の子達が自分のために身を尽くしてくれるなんて、僕は世界一の果報者だ、ってね。

そう言って、彼女は僕の頬をするりと撫でて朗らかに笑った。後から思い返してみれば、この時から僕は彼女のことを他の艦娘とは違う目で見るようになったのかも知れなかった。



そんなことを考えているうちに、気付けば数時間が経過していた。帰投した時は朝方だったのだが、今はすっかり太陽も南中し、燦燦と執務室の中を照らし出していた。

午前中から1歩も外に出ようとしない僕を心配したのだろう、コンコン、と控えめなノックの音が執務室の外から響いた。僕はのそりと体を起こし、ぼさぼさになった髪を手櫛で整えた。

「どうぞ」
「失礼します、提督」

入ってきたのは工作艦の明石だった。軽度の損傷を負った艦艇の修復をしたり、装備の改修を行ったりする唯一無二の艦娘で、艦娘が修理のために入渠するドックを管理している艦娘でもある。

「提督、さくらさんの容態、ひとまず落ち着きました」
「……そうか。多摩や速吸も中破していただろう。彼女たちの様子はどうだ?」
「あの2人はついさっき修復が完了しましたよ。小破していたガングートも、もうほとんど完了しています」
「そうか……。それなら安心だな」

眉間を押さえて大きく息を吐きだした僕を、明石は気遣わしげな目で見つめた。

「それで、提督さえよければ、なんですけど」
「うん?」
「よかったら、さくらさんの様子を見に来られませんか?」
「……いいのか?」

僕は顔を覆っていた手を放して目を丸くした。明石はそんな僕を見て、勿論です、と大きく頷いた。

「あと丸1日は安静にしてなきゃいけませんけど、意識自体はもう少しで戻ると思うので。そのときに提督が傍にいれば、さくらさんも安心するでしょう?」

明石はそう言って綺麗にウインクを決めた。その言葉に勇気付けられて、僕はようやく肩の力を抜いて笑うことが出来た。

明石の案内でドックに足を踏み入れた僕は、彼女がその身を横たえているベッドを見つけて足早に駆け寄った。彼女は検査着のような薄手の布をその身に纏い、力なくシーツの上に両手両足を投げ出していた。

「さくら……」

真っ白な顔色は先程と変わっていなかったが、その顔にこびりついていた血は綺麗に拭き取られていた。

「提督、こちらの椅子をどうぞ。容態が変わったら、すぐ私に知らせてくださいね」
「ありがとう、明石。何かあればすぐに連絡するよ」

明石が持ってきてくれた椅子を有り難く拝借し、ベッド脇に腰掛ける。彼女は短い挨拶を述べて、そっとドックを後にした。

2人きりになったドックの中で、ぴくりとも動かない彼女の瞼を撫で、僕は泣き出しそうに顔を歪めた。その額に、瞼に、頬に唇を落とす。
そして彼女の左手をそっと持ち上げると、薬指に嵌ったシルバーリングにそっと唇を寄せた。ケッコンカッコカリの任務で大本営から受け取った、たった1つの指輪である。
この指輪を渡すときに、僕は彼女ととある約束をした。

―――この戦いが終わるのが、いつになるかは解らない。だが、その時はどうか、本物の指輪を贈らせてくれ。

僕が真摯に告げたその言葉に、彼女はぽろぽろと涙を零しながら、何度も何度も頷いてくれた。もしも今日、彼女が轟沈してしまっていたとしたら、その約束も反故になってしまうところだったのだ。

「……まったく。上官との約束を一方的に反故にしようだなんて、酷い部下もあったものだな」

答えが返ってこないことを理解しつつ、僕は彼女の頬に指の背を滑らせながら囁いた。そしてそのまま体を屈め、彼女の唇に自分の唇を重ね合わせる。
お伽噺でもあるまいし、こんなことで彼女が目覚めてくれることを期待している訳じゃない。それでも、せめてその柔らかさを自分の唇に刻み付けておこうと、僕は何度もその唇にキスを落とした。

それを繰り返しているうちに、固く閉ざされていたはずの彼女の瞼を縁取る長い睫毛がふるりと震えた。
思わず息を呑んで固まる僕の視線の先で、彼女はゆっくりとその瞼を押し上げ、

「…………、てい、とく」

やがてその大きな藍色の瞳で、真っ直ぐに僕の瞳を見つめ返した。

その声が鼓膜を震わせた瞬間、僕は「容態が変わればすぐに明石を呼ぶ」と約束したことなどすっかり忘れて、ついさっきまで瀕死の重症を負っていた体の上に、勢いよく覆い被さった。


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