Dear. 朔夜様

「鈴木財閥の船上パーティー?」

私は蘭ちゃんから受け取った封筒をしげしげと眺め、首を傾げた。

「そうなんです。園子の親戚の方で、鈴木財閥の相談役の鈴木次郎吉って方が、新しく入手した宝石のお披露目パーティーをするらしいんですけど」
「ああ、お名前は聴いたことがあるわ。直接お会いしたことはないけどね」

以前私が日本の合同展示会に出展するときに、スポンサーとして名前を見たことがあった気がする。怪盗キッドを目の敵にしている人よね、と私が言うと、蘭ちゃんはそうです、その人ですと言って身を乗り出した。

「私達、その方の主催するパーティーに招待されてるんですけど、さくらさんの名前を出したら是非一緒に来てほしいって言われて。それで私がさくらさん宛の招待状を預かったんですが、さくらさん、その日空いてますか?」
「ええ、空いてるわ。と言うよりも、鈴木相談役の招待を受けてお断りするなんて、恐れ多くて出来ないわね」

スポンサーは大事にしなければならない、というのは私が散々教授や先輩から言い含められてきたことなので、招待状を受け取ってしまった以上、断るという選択肢は私の中には残されていなかった。

「是非参加させていただくわ。それで、相談役は今回もいつものように、キッドに喧嘩を売ったの?」

わざわざ宝石のお披露目パーティーと銘打っているのだ。あの鈴木相談役が、ただの自慢のためにこんなパーティーを開くとは思えない。私の確信したような口振りに、蘭ちゃんは苦笑いして頷いた。

「はい。今回も、新聞を使って大々的にキッドへの挑戦状を書いてました」
「毎回痛い目に遭ってるって聴いているのに、懲りない方ね」
「でも今回は、いつもよりも自信があるって仰ってましたよ。普段と趣向を変えてみることにしたから、これでキッドも目を白黒させるじゃろう!って」

そんなことを口にする時ほど、余計なフラグが立つと言うものだ。その自信の根拠が何なのかは解らないが、私を巻き込むことのないようにして欲しいものである。

キッドが来ると聴いて目の色を変えたのは、現役の警察関係者である零さんだった。

「パーティーならエスコート役が必要ですよね。僕もご一緒させてください」
「えっ……。私は助かりますが、安室さんのお仕事は大丈夫なんですか?」
「ええ、むしろキッドを野放しにしておいたなんて知られたら、探偵の名折れです。ですから、僕もご一緒させてください」

いつになく強引に迫られて、私は横目で蘭ちゃんの顔を見やった。蘭ちゃんは私の意を汲んで、すぐさま園子ちゃんに確認の連絡を入れてくれたが、園子ちゃんは快く了承してくれたとのことだった。ビュッフェスタイルの立食パーティーだから、1人くらい増えても平気なのだそうだ。

「よかった。蘭さん、園子さんにお礼を言っておいて下さい。当日は僕が迎えに行きますから、さくらさんは準備が出来たらホテルで待っていてくださいね」
「ええ、ありがとうございます。それじゃ、お待ちしてますね」

こうして私は、零さん共々鈴木財閥主催のパーティーに半ば強制的に参加することになったのである。

*****

当日、横浜港の大桟橋ターミナルから出航するベルツリー号に乗り込んだ私達は、その絢爛豪華たる内装に目を白黒させていた。

「クイーンエリザベスもかくやというほどの、重厚な造りですね」
「グランドロビーの広さが桁違いだわ。安室さん、こういう船の中でそんな恰好をしていると、本物の王子様のようですね」
「そういうさくらさんこそ、どこのプリンセスかと疑ってしまうほど綺麗ですよ。とてもお似合いです、そのロングドレス」

こういう台詞を恥ずかしげもなく言ってくるから、この男は油断ならない。私は実家から引っ張り出してきたドレスの生地を見つめ、乗船の時にもらった指輪に触れた。

「ところで、このジュエリーって」
「おや、さっそく何か気付きましたか?」
「いえ、面白い試みだと思って。ジュエリーのお披露目パーティーなんて言ったら、普通は厳重なセキュリティシステムの中に入れられた宝石だけを、大々的に展示する方法を思い浮かべるじゃないですか。それがこんな手法を取るなんてね」

私の右手の中指には、2カラットのブルー・ダイヤモンドの指輪が嵌っていた。本来ならダイヤモンドは無色透明な物のほうが価値が高いとされているが、ブルーの物に限って言えば、無色透明な物よりも高額で取引される。青い色の原因としては、不純物として含まれるホウ素が原因だと解析されているが、ダイヤモンドが生成される地下深くではホウ素は殆ど存在しないはずである。何故ダイヤモンドの生成時にホウ素が含まれたのかという謎については未だ解明されておらず、それ故に希少な物として扱われるのである。

今回のクルーズに招待された女性のゲストは、全員この指輪を嵌めている。勿論その殆どはレプリカで、本物はたった1つしか存在しない。しかし、誰が嵌めている物が本物であるかは主催者である鈴木次郎吉相談役しか知らないことになっており、もしもキッドが本物を盗もうと思ったら、女性ゲスト全員の指輪をチェックして回らなければならない。

今日乗船している女性ゲストは300人を超える。いくら怪盗キッドでも、全ての女性の手許をチェックすることは至難の業だろう。そう鈴木相談役は大笑していた。

「確かに、発想としては面白いですね。あなたの指に、僕が贈った物ではない指輪が嵌っているのは気に入りませんが」
「ふふ。安室さんからの指輪も、いつか期待してますね」

私の返事に彼が何かを言いかけた時、出航の汽笛が鳴った。錨が巻き上げられ、船体が岸を離れて進行方向を北西に定める。

キッドはいつ頃仕掛けてくるだろうか。そして、本物の指輪を奪うことが出来るのだろうか。隣に寄り添う彼には悪いが、ほんのちょっぴり噂の怪盗さんに会えることを期待しつつ、私達の船旅は始まった。



横浜を出港した船がベイブリッジを過ぎ、東京湾に進入した頃、私は彼に連れられて船の先頭のデッキに登っていた。今の所キッドは姿を見せておらず、私の指に嵌った宝石も無事である。

「安室さん、ここは……?」
「ここは景色がいいでしょう。あなたに見せたいと思って、お連れしたんです」

遥か遠くにみなとみらいの夜景が広がる光景は、確かに幻想的とも言えた。だが、どうせ夜景を楽しむなら船がもう一度横浜港内に入ってからの方が、街並みや観覧車も余程綺麗に見えるだろう。
この場所で私をここに連れてきたということは、彼には何か考えがあるのだ。それは恐らく、パーティー会場に居ては話せないような内容なのだろう。
そう思って身構えた私に、彼は穏やかに微笑んでのほほんと言った。

「今日はギルバートを連れてきていないのが残念ですね。彼のカメラがあれば、何度もこの船内や夜景を見返すことが出来たのに」
「へっ?……ええと、そうですね?」

突然話題が変わったことに、私は戸惑って素っ頓狂な声を上げてしまった。私のそんな態度を気にも留めず、彼は風の吹きすさぶデッキの先頭に立ち、私に向かって手を差し伸べた。何をしても絵になる男ではあるが、このロケーションでこの男にこんなことをされれば、女は誰でも自分がお姫様にでもなったんじゃないかと錯覚しそうである。
私はその手に自分の手を重ね、彼の隣に歩みを進めた。

「でも、カメラを持ち込んだりしたら盗撮容疑で捕まっちゃいますよ。入り口で厳重な持ち物検査を受けたでしょう?」
「はは、確かにそうでしたね。―――それが普通のカメラなら、な」

ここで彼はがらりと口調を変え、握っていた私の手を強く引っ張った。ヒールのあるパンプスでは踏ん張りがきかず、彼の腕の中にダイブする。

「わっ!」
「だが、お前が犯したのは盗撮よりも重い罪だ。ブルーダイヤの窃盗、及び本田さくらの拉致・監禁容疑でお前を逮捕する」
「な……っ!?あ、安室さん、何を言って……!?」
「恍けても無駄だ」

背後でガチャガチャと音がする。腕が一纏めに拘束されて、ひやりとした金属が手首に触れた。
私の両腕に手錠を掛けた男は、月光を背中に浴びながら不敵にこちらを見下ろした。

「他の誰を欺けても、この僕を騙せると思うなよ」

なあ、怪盗キッド。
と、彼は目を見開く私の―――俺の名前を呼び、腕を掴んだ手に力を籠めた。

*****

「へっ……、何だよ、いつから気付いてたんだ?本田さくらと俺が入れ替わってるって」

さくらの顔をした男を見下ろして、僕はふっと薄ら笑いを浮かべた。

「この船に乗船した時からだ」
「えっ、そんなに早く!?そんなあっさり気付かれるようなこと、何かしたか!?」
「随分と上手にさくらに化けたつもりのようだが、お前は彼女のことを知らなさすぎる」

最初に違和感を覚えたのは、僕が彼女の指に嵌った指輪に対して嫉妬するような物言いをした時だ。それを聴いて、彼女はこう口にした。
僕から指輪をもらえるのを、いつか期待している、と。
いつだって僕に負担をかけないようにと気を遣っている彼女の口からそんな、宝石を強請るような言葉が出てくるはずがない。普通の恋人同士なら気軽に口にするような言葉も、彼女は決して口にしようとしなかった。

ただ、これだけでは確証を得るには至らないと思い、僕はパーティーの間中、ずっとさくらの傍で彼女を監視していた。すると、その振る舞いの中にいくつも不自然な点を見つけたのだ。
長いドレスとパニエの下で折り曲げられた膝は、身長差を誤魔化すため。大きなコサージュのついたボレロを着ているのは、肩幅を強調しないため。そして長い髪の毛をアップにしていないのは、

「そこにインカムを隠すため……ってな。大正解だよ、探偵さん」

憎らしいほどさくらにそっくりな顔をしながら、キッドはさくらが決して浮かべないような少年らしい表情で笑った。

「さくらはどこだ。いつからさくらと入れ替わることを計画していた?」
「おーおー、そんなに怖い顔をしないでくれよ。心配しなくても、あんたのお姫様は無事だっつーの」
「どこに居るのかさっさと吐け。さもないと、」
「わーっ、わーっ!怪しげなクスリに頼るのは良くないと思うぜ!?」

僕が懐からちらりと自白剤の入った瓶を見せると、キッドは途端に慌てたように体を揺すった。それでも僕の腕を振りほどけないことが解ると、彼は唇を尖らせて供述を始めた。

「本田さくらと入れ替わることを思い付いたのは、一昨日の夜さ。事前に相談役に化けて、周りのスタッフから聴き出しておいたんだ。“キッドはいつも毛利蘭を狙うから、今回は逆を突いて、それ以外の人物に託そう”ってな」

それに、毛利蘭の傍にはあの名探偵もくっついてるしな、と言ってキッドは肩を竦めた。あの名探偵というのは他でもない、コナン君のことだろう。これまでにコナン君の活躍のお蔭で何度もキッドの計画を阻止できたという情報は、僕の耳にも入っている。

「それでさくらと入れ替わったのか。だとすれば、さくらはまだあのホテルに居るのか?」

何も知らずにホテルで眠っているのだろうか。それとも、別の場所で身動きが取れないように拘束されているのだろうか。どちらにしても早く無事を確かめないと、と逸る気持ちで僕がその疑問を口にしたとき、デッキの入り口から1つの足音が聞こえてきた。

「安室さん、私はここです。今までずっと、コナン君や蘭ちゃんと一緒に、パーティー会場に居ました」

コツコツと淀みない足取りでこちらへ向かってきたのは、今度こそ間違いない、本物の本田さくらだった。その首にはいつものヘッドホンが掛かっていて、ドレスアップした姿にはひどく不釣り合いだった。
それを見て、僕はずっと左手首の相棒が沈黙していた理由を悟った。

「さくら……。そうか、君も共犯だったのか」
「ええ、そうです。昨日の晩、キッドが私のホテルを訪ねて来たんです。そこでこう提案されました。鈴木相談役の喧嘩を買うついでに、ちょっとした悪戯を仕掛けてみないかって」

鈴木次郎吉相談役のメンツをつぶさないように、売られた喧嘩を買った振りをしただけで、キッドには最初からブルーダイヤを盗むつもりはなかったのだとさくらは言った。

「それで、私達が入れ替わったことにあなたがいつ頃気付くのか、折角だから賭けてみようって話になったんです」
「お前は、僕を試すつもりだったのか?」
「落ち着いてください、安室さん。結果的にそうなってしまっただけで、鈴木相談役が私に本物のダイヤを託すつもりでなければ、キッドだって私に成りすまそうとはしませんでしたよ」
「そっ、そうだよ、さくらさんの言う通りだって!なあ、だからこの手錠を外してくれよ!ダイヤだって返すからさ、ホラ!」

痴話喧嘩に巻き込まれては堪らない、と言いたげにキッドはもがいた。僕は冷めた目でそれを見下ろして、大きな溜息を零した。
本当は、警察に属する人間としては世間を騒がせる怪盗を逃がしたくはない。だが、今回だけは犯行の意図がなかったということで、目を瞑ってやってもいいかと思った。

「いいだろう。さくらに免じて、この場は見逃してやる。……だが、」

あからさまにホッとした顔をしたキッドの頬に、僕は笑顔で手を添えた。
さくらを利用し、この僕を騙そうとしたのだ。このまま逃がしてもらえるなんて、甘いことを考えてもらっては困る。

「その前に、お前の素顔を見せてもらうぞ」

僕の言葉に、キッドは死刑宣告を受けたかのように取り乱して暴れた。

「ひぇっ!ちょちょちょちょ、ちょっと待てって―――」

だが、そんな抵抗も手錠で拘束されていては何の意味もなかった。ビリ、とマスクが破れる音がして、あと少しでキッドのご尊顔と対面すると思ったその時、

「安室さん!」

横からさくらの声が響いて、僕の顔は彼女の手に従って横を向いた。間を置かずに彼女の顔が目の前に迫り、あっと思った時には、僕の唇は彼女のもので塞がれていた。

「―――」

突然のキスに僕が動きを止めた瞬間、ポン、と何かが弾けるような音がして、押さえつけていたはずのキッドの体が手の中から消失した。

(っ!しまっ―――)

た、と思った時にはもう遅かった。どんな手を使ったのかは解らないが、キッドは僕の手錠を擦り抜けて、特徴的な真っ白のハンググライダーで夜空に飛び立って行ってしまった。

「…………」
「……ごめんなさい。怒ってる?」

僕の顔から唇を離したさくらは、しゅんと肩を落として謝罪した。その顔が叱られるのを恐れる子犬のように見えて、僕は色々と言いたいことがあったのをぐっと堪え、その頬に指を滑らせた。

「……いや、怒っても仕方ない。それに今回は、正式な令状を取った捜査じゃなかったからな。だからもういいんだ」
「……零さん」

それでも申し訳なさそうに僕を見上げるさくらのいじらしさに、僕はにっこりと微笑んで顔を近付けた。

「だが、君が本気で悪いと思っているんなら、こんなものじゃ足りないな」
「え?」
「キス1つで、この僕が満足する訳がないだろう」
「零さ、んぅ……っ」

何度も何度も角度を変え、僕はさくらの唇を貪った。彼女も最初は苦しそうにしていたが、段々と瞳を蕩けさせて僕の背中に縋り付いて来た。
一度だけの口付けで解放するつもりなどさらさらない。自分に非があると思っているのなら、それ相応の誠意を見せてもらおうじゃないか。

「僕を心配させた代償は大きいぞ」

精々朝まで頑張って、僕のご機嫌取りをするんだな。
そう言って再びキスを仕掛ける僕に、彼女は最早涙目で頷くことしか出来なかった。

この後、“麗しの科学者さん、この借りはいつかお返しします”と書かれたメッセージが、指輪と共に甲板に残されているのを見つけて、怪盗キッドの大ファンであるという園子さんが大騒ぎすることになるのだが、それはまた別の話である。


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