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※少年時代の降谷零ד死”という概念の擬人化。特殊設定注意。




僕が“彼女”と初めて会ったのは、僕がまだ小学生の頃だった。僕にとっての恩師とも言える相手であり、初恋の人でもあったエレーナ先生が僕の傍から消えてしまい、何かとお節介を焼いて来たエレーナ先生の娘もまた、どこか遠くへ行ってしまった頃のことだ。

当時の僕はやんちゃを絵にかいたような子供で、いつもどこかに傷を作っては絆創膏を張っていたような少年だった。それは遊びで作った傷跡だけではなかったが、それを見咎めて叱ってくれる相手はもう近くには居なかった。

その日、僕は幼馴染の景光と一緒に近所の川で遊んでいた。景光が年の離れた兄にもらったとか言うお古のテニスラケットと、今にも割れてしまいそうなテニスボールを使って、ラリーの応酬をしていたのだ。

しかし、舗装もされていない砂利道に足を取られて、景光の打ったサーブは明後日の方向に飛んで行った。水面に音を立てて落ちたボールを追いかけて、僕は靴が濡れるのも厭わずに川の中にざぶざぶと入って行った。

そして、川底に沈んでいた大きな岩に気付かずに、僕は川の中腹でバランスを崩して転倒した。眼前に濁った水が迫り、慌てて手をつこうとしたのだが、手に持っていたラケットが邪魔をした。結局、顔面から川の中に突っ込んだ僕は、思わず水を大量に飲んでしまい、そのまま意識を失ったのだ。

ゴボゴボと肺から空気が出て行くのを茫然と見ながら、幼馴染の悲痛な叫び声が自分の名前を繰り返し呼ぶのを、僕の耳ははっきりと聴いていた。



次に目を開けた時、僕は真っ暗で暖かな空間に佇んでいた。
確かに暗闇なのに、不思議と自分の手や着ている服の色ははっきりと見て取れる。とすると、これは夢でも見ているのだろうか。確か自分はついさっき、川で溺れたはずだったのに。

きょろきょろとあたりを見回しても、他に誰がいるようにも思えない。この空間がどこまで続いているのかさえ分からず、突然やってきた静寂と孤独感に僕はただただ立ち尽くした。

「……誰かいないのか?」

震える喉から発した声は、けれどどこにも届くことはなかった。この空間に生きている人間は自分しかいないという事実に気が付いて、頭から血の気が引いていくのが解った。

「誰か!誰か返事をしろ!……ヒロ、そこに居るんだろ!?」

あれだけ大声で自分を呼んでいたはずの幼馴染の声も、今はどこからも聞こえなかった。じわりと涙が滲みそうになって、僕は拳を作って乱暴に目元を拭った。
そんな僕を見て哀れに思ったのか、ようやく暗闇の中から応えが返ってきた。

「随分と珍しい顔ね。まだほんの子供じゃない」

あれほど待ち望んでいた返事を聴けたくせに、僕はびくりと体を震わせた。なぜならその声が、左のすぐ耳元から聞こえてきたからだ。思わず左手で耳をふさいだが、今度は右側から声は語りかけてくる。

「あなたはまだ、私を知らないはず。私を知らない人間は、私とこうして言葉を交わすことは出来ないはずよ」
「お前を知らない……?」

世の人間は須らく己を知っていて当然とでも言いたげな口ぶりだった。ひどく傲慢で不遜な物言いだが、同時にそれがしっくりくるような、威厳と知性を感じさせる声だった。

「お前は誰だ?何でボクをこんな所に閉じ込めたんだ」
「閉じ込めたなんて人聞きの悪い。私はあなたを助けてあげたのよ」
「助けたって、何からだ?」
「あなた、さっき自分が死にかけたことも忘れたの?川で遊んでいてひっくり返っていたじゃない」

女の指摘に、僕は頬を赤く染めて俯いた。そして同時に、僕は彼女の正体が何であるのか興味を持った。

(確かにボクは死にかけたはずだ。なのに今ボクはこうしてピンピンしていて、不思議な空間に閉じ込められている。それは全部、この女の力によるものなんだろうか。だとしたら、この女は一体何者なんだ?)

それは初めて、僕の中に彼女に対する能動的な感情が芽生えた瞬間だった。

「お前の顔を見せてくれ」
「私の顔なんて見て、どうするつもり?」
「顔を見れば、お前が誰か解るかも知れないだろ?」

僕の返事が思いがけないものだったのか、声の主は喉の奥を鳴らして嗤った。

「いいわ、少しの間目を瞑っていて。あなたの望み通り、姿を見せてあげる」

僕は女の言葉に従って大人しく瞼を下ろした。ふわりと懐かしい香りがしたような気がしたその時、一陣の風が吹き抜けた。
その風に促されるように目を開けると、そこに立っていたのはもう二度と会えないと思っていたあの人だった。

「エレーナ先生……?」

赤みがかった茶色の長い髪に、色素の薄い肌。目鼻立ちのはっきりした顔と、理知的な白衣と黒縁メガネ。これほど特徴的な外見の女性を見間違えるはずがない。いや、他の誰が間違えても、自分だけは絶対に間違えないだろうと、僕の中には自信があった。

憧れの女性の姿をした相手に縋るように詰め寄った僕に、女は目を細めて微笑んだ。



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