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突如ポアロを訪れた女性の素性は、呆気なく知れた。

「彼女は私の親友で、本田さくらって言います。ドイツのDF……何だっけ?」
「D.F.K.I」
「そうそれ。そこで研究者として働きながら、カイザーなんちゃら大学でドクター(博士課程)の勉強をしてるんです」
「カイザースラウテルン工科大学ですか?」
「ええ。よくご存じで」

きっかり20分後に買い出しから戻ってきた梓さんは、店内に彼女の姿を見つけてはしゃいだ声を上げた。曰く、梓さんの高校時代の同級生で、学生時代には梓さんと共にポアロでバイトをしていたのだという。

「ああ、だからオーナーと梓さんを待っていたんですね」
「はい。二人にお土産を持ってきたんですけど、新しいバイトの人が入ったなんて知らなくて。だから最初に安室さんの顔を見た時は、間違えて別のお店に入っちゃったかと思いました」

彼女は僕が入れたコーヒーをいたく気に入ったようで、おかわりまで頼んできた。カップを片手に苦笑する本田さんは、梓さんが童顔と言われる分、年齢より落ち着いて見えた。

D.F.K.I、すなわちドイツ人工知能研究センターは、世界でも名の知れた情報系システムの研究機関である。ロボット工学、サイバーフィジカルシステムなど、最先端の工学研究がそこで行われている。ある種、未来を創造する機関と言ってしまってもいいだろう。
当然、世界中から指折りの秀才が集い、日夜研鑽を重ねている。その中の一人が、誰あろう目の前の彼女だと言う。

彼女は梓さんと同級生なのだから現在23歳だが、それならば本来は博士課程ではなく、修士課程を学ぶ年齢だ。所謂大学院である。

「マスター(修士課程)ではなくドクター(博士課程)を?」
「さくらは飛び級をしたんです。すっごく頭がいいんですよー」
「梓、恥ずかしいからその辺で勘弁して。まあそういう訳で、今はドイツに拠点を置いて研究をしています」

東都大学の工学部に通っていた彼女は、学士課程を3年、修士課程を1年で修了させ、本来学部生が大学院に進学する年齢で、単身ドイツに飛んだのだ。驚くべき秀才である。

「いつ日本に帰ってきたの?というか、いつまでこっちに居られるの?」
「今日のお昼に着いたばっかりよ。今回は2週間くらい居るつもり」
「2週間かあ。空いてる日があったら教えてね。さくら、トロピカルランドがリニューアルしてからまだ行ったことないでしょ?」
「うん。今回はそんなに講演も詰め詰めじゃないし、梓の都合にも合わせられると思うわ」
「講演?」

僕が驚いたような声を上げると、本田さんはあ、と短く呟いて口に手をやった。喋り過ぎた、とその瞳にはありありと書かれている。

「大学とか母校の高校から、今やってる研究についての講演依頼が来るんですって。さくらみたいに若い女の子が、世界の第一線で活躍してるっていうのが、同じ道を目指す人にとっても興味深いみたいで」

何故か梓さんの方が、得意げにそう教えてくれた。本田さんは擽ったそうに頬を掻いている。

僕は彼女の容姿をじっくりと観察してみた。日本人離れした体型にラフな服装がよく似合っている。細く、だがくっきりと引かれたアイラインが、意志の強そうな瞳を強調し、チェリーレッドの唇も口角が上がるように計算して描かれていた。
これだけを見れば、典型的な欧米かぶれの気の強い女性のように思える。だが彼女の本質は恐らく、見た目の通りではないのだろう。

と、癖のように初対面の人間の分析をしてしまっている自分に気付き、僕は一人で自嘲した。完全に職業病だ。だがそうでもして理屈をつけないと、自分が馬鹿みたいに彼女の瞳に魅入られた理由が解らなかった。

「そういや、今は何の研究してるんだっけ。なんかアプリだかソフトだか、難しいの作ってなかった?」
「えっとね、今は新しいインプットアプリを作ってるところよ。半年前に情報共有型のデジタルノートアプリを作ってみたんだけど、意外なところにバグを発見してね」

インプットアプリとは、ワードやエクセルが情報を作成してアウトプットするツールだとすれば、その逆に情報を一纏めにして収集するツールのことを指す。ソフトウェアの種類を問わず、同じ画面上に必要な情報を揃えることが可能であり、手書きの文字やウェブサイトの情報も貼り付けられることから、ウェブ情報のスクラッチブックのような役割を果たすことが多い。それらをネットワーク上で同期させることで、世界中の誰とでも等しく情報が共有できるという、画期的なシステムである。

正しく今、自分が携わっている犯罪に近い話題が出たことで、否応なしに関心をそそられた。歓談する梓さんたちに背を向けつつ、全神経をもって会話の内容を聞き取ろうとする。

「バグ?」
「うん。なんかね、共有した相手の端末から勝手に情報を吸い上げていく誤作動があって」

相手の端末を1分間フリーズさせたあとで、痕跡が残らないようにアプリごと消えちゃうんだよね。

そう紡がれた本田さんの言葉に、僕はくっと目を見開いた。

「ええっ、何それ。怖いね」
「でしょ?まあ、同期を試したのが自分のお古のパソコンで良かったけど」

彼女はそう言ってコーヒーカップを煽ったが、僕は動揺を飲み込むことで精一杯で、おかわりは?と問うことも出来ずにいた。

―――まさか、こんなに早く手掛かりが見つかるとは。

僕が今追っているサイバーテロの手口と、彼女が語ったインプットアプリのバグの特徴はほぼ一致している。彼女がそのアプリを作ったと発言した時期と、サイバーテロが発生するようになった時期も合致する。

これほど特徴的なアプリケーションであるにも関わらず、半年間も全く手掛かりが掴めなかったことにも納得がいった。アプリを作ったと思われる人物が国内に居なければ、なかなか尻尾は掴めないだろう。犯罪が起こっている範囲が国内に限定されていることから、犯人が日本に居るものだと思い込んでいたのだ。

これほど共通点がある事例を偶然と呼べるだろうか。答えは勿論、否である。

僕は落ち着き払った態度を装い、彼女に向き直った。

「ところで、本田さんは今晩ご予定は?」
「今晩ですか?時差ボケが酷いので、ホテルに戻って寝ようかと」
「あ、そっか。よかったらご飯でもって言おうと思ったけど、長旅で疲れてるもんね。ご飯はまた今度にしよっか」

彼女の発言を受けて、梓さんも神妙な顔をした。本田さんがそれに快く応じる前に、僕は不自然にならないように口を挟む。

「でしたら、僕ももう上がりますので、ホテルまで送りますよ。ちょうど車で来ていたので」
「えっ」

僕の突然の提案に、彼女と梓さんは目を丸くした。当然の反応である。

「いえ、初対面の方にそんなご迷惑を掛けるわけには」
「迷惑だなんてとんでもない。梓さんも言ってましたけど、長旅でお疲れでしょう」
「それはまあ、そうですけど」
「決まりですね。ホテルはどこを予約されてるんですか?」
「……米花プリンスホテルです」

有無を言わせない笑顔で迫ると、彼女は訝しみながらも宿泊先を教えてくれた。僕はそれに満足しつつ、では着替えてくるので待っててください、と言ってカウンターを離れる。
僕が奥に引っ込んだ頃合いで、梓さんのはしゃいだ声が響いた。

「ねえねえ、今のってもしかして、安室さんさくらのこと気に入ったんじゃない?」
「ええー?まさかあ。きっと本当に親切心で言ってくれたのよ」
「親切心にしちゃ、強引だったじゃない。安室さん、普段お客の女の子にあんなこと言わないよ」
「そうかなあ。私がポアロの先輩だからじゃない?」

暢気な会話が店内から聞こえ、僕は着替えながら小さく嗤った。そうやって笑っていられるのも今のうちだ。
半年間も日本警察がてこずった相手を、みすみす逃してやるつもりは毛頭ない。情報収集のプロであるゼロの名に懸けて、必ず彼女から犯行の証拠を突き止めてやる。

僕が不穏なことを考えているとも知らず、女の子二人のはしゃいだ会話はしばらく終わりそうもなかった。


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