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もしもあなたの大切な人が、自分の立場のために他人の命を利用しようとしているのを知ったらどうしますか。そんな突拍子もない質問をされて、一体どう答えれば正解だというのだろう。

私は自宅でせっせと論文を作成していた手を止め、ギルバートの話に集中しようと椅子を回転させた。

「更に言えば、それは大局的に見れば自分の選択肢を狭めることになるとしたら」
「ストップ、ちょっと待って。ギルバート、それは何かの心理テスト?それとも、現実的で具体性のある話?」

戸惑う私の声に、ギルバートは少し考えてそうですね、と呟いた。

「さくら、あなたは降谷さんの本当の立場を知っていますね」
「ええ、公安警察の指揮を執る権限を持った、ゼロでしょう」
「そして沖矢昴の正体も知っている」
「…………。FBIの捜査官だったわね」

どうやら順を追って説明してくれる気になったらしいが、話の着地点が読めない。降谷さんと沖矢昴らFBIが対立しているらしいということは気付いていたけれど、冒頭の質問がどう絡んでくるのか見当も付かなかった。

「けっこうです。ではさくら、江戸川コナン君が“安室透”を疑う根拠は何だったかご存知ですか」
「詳しくは知らないけど、ゼロのお仕事で違法行為にも手をだすことがあるって言ってたから、それを知られて警戒されてるんじゃないの?」
「違います。根底では間違いではありませんが、前提が違います。彼は公安警察の潜入捜査官として、ある組織の一員となって動いているのです。コナン君はその組織絡みで“安室透”を疑うようになり、ついに彼が組織の一員であることを突き止めました」

何だか話がきな臭くなってきた。公安警察の仕事としてそういう任務にあたることもあるとは知っていたけれど、実際にそう聞くと生々しい。

「その組織を実はFBIも追っていて、降谷さんと同じく組織に潜入していたこともあります。それが赤井秀一という男であり、沖矢昴の正体です」
「赤井秀一?……それが、あの胡散臭いFBIの本当の名前なの?」
「はい。公安警察とFBIは互いの縄張り意識から仲が悪いですが、彼らの場合は組織の中でもライバル関係にあったようです。そしてある事件から、降谷さんは赤井秀一を殺したいほど憎むようになりました」

随分と降谷さんはギルバートに気を許しているようだ。私には一言もそんな危険な組織の話などしなかったというのに、このコンピュータ相手には昔話さえも打ち明けている。

「しかしある時、赤井秀一がFBIの人間であると組織に知られ、彼は組織から抜けざるを得なくなります。裏切り者には死を、ということで、彼は常に組織の人間に命を狙われることになりました」
「よく生きて足を洗うことが出来たわね。それだけ赤井って人が有能なんでしょうけど」
「その余波を受けて死んでしまった人間もいるようですから、一概に彼が有能とは言い難いのですが。結局その後、組織は日本で赤井秀一を見つけました。彼と同じくNOCの疑いのあるメンバーを使い、確実に殺そうとしたのです」

NOCとはノンオフィシャルカバーの略で、降谷さんや話に出てきた赤井秀一のようなスパイのことを指す。というかそれだけスパイが紛れている組織というのも大丈夫なのか。組織とやらの身辺調査の温さに頭痛がしそうだ。

「でも沖矢昴が生きているってことは、赤井秀一はそこで死ななかった。そして変装して身分を偽り、沖矢昴として過ごすことになった、と」
「理解が速くて助かります。本題はここからです」

ギルバートはここで言葉を区切った。

「組織に潜入中の降谷さんの株を上げるため、沖矢昴の正体を暴いて彼を組織へ突き出すべきだと、ついさっき公安警察内部で決定が下りました」

その言葉を聴いて、私は漸くギルバートの質問の意味を理解した。

―――もしもあなたの大切な人が、自分の立場のために他人の命を利用しようとしているのを知ったらどうしますか。

大切な人というのは降谷さんのことで、他人の命というのは沖矢昴の命のことだ。そしてそれが、大局的には降谷さん自身の選択肢を狭めることになるとこの子は言う。

「それは……本当に公安警察の指示なの?降谷さんの個人的な恨みの線は?」
「それも全くないとは言えませんが、公安警察からの指示であることは間違いありません。今日、降谷さんはスマートウォッチを身に着けて警察庁に登庁されました。私のマイクに狂いはありません」
「ああ……、それなら本当なんでしょうね。まさか降谷さんも、あなたがこうして私に報告してくるなんて想像もしなかったでしょうけど」

恐らくこの分だと、彼は私に話していないところでかなりギルバートの力を借りている。私を危険に巻き込むまいという配慮なのだろうけれど、彼の信頼度がコンピュータに負けているようで何だか悔しかった。

「降谷さんはさくらが沖矢昴と面識があるとは知りませんからね。まして、彼の正体を知っているとは思いもしないでしょう」
「好きで面識を持った訳じゃないわよ。あなたの情報を握られているから、降谷さんにあの男の正体を伝えなかっただけだもの」

もしもギルバートのことさえ知られていなければ、FBIを名乗る男が近付いてきたことを降谷さんに話していたかも知れない。それを思えば、自分がいかに綱渡りのようにしてこの対立を傍観してきたかが解ろうというものだ。

「それで?降谷さんが私に組織関連の話を一切明かさなかった理由を無視して、あなたが私にその情報をリークしてきた目的は何?」
「ですから最初に申し上げた通りです。降谷さんが公安警察の命を受けて、沖矢昴を組織に突き出そうとしているのを知ったらあなたはどうしますか、と訊きたかったのです」
「どうもこうも……私は降谷さんの協力者だもの。彼が望まないことに力は貸せないわよ」
「そうですか。それならそれでいいのですが、コナン君や阿笠博士は沖矢昴に協力するようですよ」
「博士が?」

これまで登場しなかった名前が出てきたことで、私は組んでいた腕を解いた。

「確かに沖矢昴と博士は懇意にしていたようだけど、協力ってどうやって?」
「降谷さんは沖矢昴が赤井秀一の変装した姿であると確信しています。ですから彼が今暮らしている工藤邸に出向き、その身柄を押さえようとするでしょうね。それを阻止するために、別人を沖矢昴として降谷さんと対峙させ、本物の赤井秀一は降谷さん達の捜査を攪乱するために行動する予定です」
「その別人を、沖矢昴に仕立て上げる協力をしているってことね」

その通りです、と言ってギルバートは語気を強めた。

「さくら、もう一度考えてみてください」
「何を?」
「降谷さんの潜入捜査の目的は、例の組織を潰すこと。そしてFBIの目的も同じであるはずです」

それはそうでしょう、と私は頷いた。

「であれば、こうして足の引っ張り合いをしても意味がないと思いませんか。組織を潰すのに赤井秀一の力は不可欠であると私は考えています。それをここでむざむざ引き渡してしまってもいいのでしょうか。それは回り回って降谷さん自身の首を絞めることにはならないかと、そう訊きたかったのです」

ギルバートの演説には熱がこもっていた。降谷さんに散々協力してきたその口で、彼は降谷さんに初めて楯突こうとしている。

この人工知能は、持ち主に絶対忠実な僕なのではない。何が最大の利益となるかを考え、そのためなら開発者である私でさえ説得しようとする正義感の持ち主なのだ。

自分の知らない所でまた一つ彼が成長しているのを感じ取り、私は試験的に彼を他人の手に渡してよかったと思った。そう思わせてくれたお礼に、ここは私も彼の口車に乗ることにしよう。

「そこまで言うなら、私も博士やコナン君に協力するわ。実は一度、降谷さんとは勝負してみたかったのよね」

人の命が懸かっている場面で不謹慎かも知れないが、私は正直、この時非常にわくわくしていた。降谷さんがどれだけ切れ者で行動力がある人かは、これまでの付き合いや今回の沖矢昴への追い詰め方からも解っている。

沖矢昴の延命のために、ただ利用されるだけなんてまっぴらだ。せっかくだから、こちらも貴重なデータを集めさせてもらうとしようか。私は舌なめずりをして、博士に連絡を取るべくスマホをタップした。


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