短編たち | ナノ
22 side.響
そういえばここ何ヶ月も、時雨の笑顔を見ていないと思った。
ほろほろ、はらはら。
そんな表現がぴったりであろう涙が頬を伝う姿は初めて見る時雨。
長い睫毛が伏せられて、色濃く影を落とし、見ていられないのに目が離せないくらいきれいだった。
時雨はいつだって綺麗だ。
『根暗だよねあいつ』
そう陰で言われていたが俺はそう思ったことはない。
自分の勘違いなのか、実際にそうなのか、時雨は俺の前ではよく笑ったから。
薄く、赤みを帯びた唇が弧を描いて目がきゅうと細まって、花が咲くように笑う時雨は、心臓が壊れてしまうんじゃないかとおもうくらいうつくしかった。
と同時に誰にも見せたくない、という支配欲がうまれた。
俺と一緒にいるからこの笑顔は周りに見えてしまう。
そんなの耐えられない。
なら学校では離れよう。
それで、実家が遠いと愚痴る時雨を家に呼んで、そばにおけばいい。
家賃代わりと時雨に妻みたいなことをさせて、俺は虚しい幸せに浸った。
それでも時雨は相変わらず笑うし、俺の前では無表情も崩れてばかみたいに可愛かったからよかったのだ。
それさえも崩れたのは、時雨に向けられない欲望を女をつかって吐き出したときだった。
事後、ばったりと女に出くわした時雨は見たことのない悲しそうな表情を浮かべたのだ。
「ごめん、」
と気まずそうに踵を返した時雨に、どうしようもなく心臓が高鳴った。
嫉妬している?
時雨が?
俺に?
だとしたら。
頭の中に浮かんだのは最低な方法で。
たくさんの女を抱いた。
時雨にそれとなくわかるように香水の匂いをつけて帰って、見える位置にキスマークを残させて、
「時雨、飯」
お前なんてどうでもいんだと、そんな態度をとることで見せる切なげな表情に満足した。
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