短編たち | ナノ



「時雨、」

「やめろって!」

「しぐれ、」


後ずさってもついて離れない。
こわい、こわい、こわい。

近づくことでまた奪われるのが怖い
また好きになるのが怖い

背中がトン、と窓に当たった。

雨のせいで結露ができていて、それを含んだシャツがじんわり冷たくなる。
つん、と雨のじめじめとした薫りがした。


「時雨」


耳もとで囁かれるように名前を呼ばれる。
なんなんだ、いまさら

呼んでほしかったときは一度も呼ばなかったくせに。

見てほしかったときは一度も見なかったくせに。

頬をツゥと撫でられる。
その指は予想よりも冷たくて肩を震わす。


「ごめんな、時雨」


その言葉を聞いて、なんとか繋ぎとめていたいろいろなものがプツンと切れた。
パシ、と響の手をはたき落した。


「……んなんだ」

「え、」

「なんなんだよ、もう」


目の前が歪んでいく。
すぐ近くに見えた響のまっすぐな視線もゆらゆらと揺れている。
目の端から熱いものがぽろりと落ちる。


「何に対してのごめんなんだよ、それ」

「…無理やりヤッたこと」

「じゃあいらない」

ピシャリと言い返せば響が息を呑んだのが伝わった。
分かんないよ、きっと

響には俺のほしいものなんて分からない

ボロボロこぼれる涙を手の甲で拭って、困惑した響の顔をキッと睨みつける。


「もう響なんてどうでもい…「…………綺麗だな」……………は?」


突然の脈絡もない響の言葉に眉をひそめる。

綺麗?

見たこともないような甘い顔で俺の頭をくしゃりと撫でた。

「お前ってほんと、すげぇ綺麗だよな」

「は?」


なに言ってんのこいつ。

意味わかんない
意味わかんない

意味わかんない

でも一番意味わかんないのは、そんな言葉に顔を熱くする自分だ。


「お前は綺麗だから結構人気なの、知ってた?」

「っ、はぁ?」


髪をくしゃりと撫でていた手がゆっくり頬を滑る。あやすように滑った手は顎のしたを撫でた。


「時雨って、笑うと花が咲いたみてぇに綺麗で」

「何言って、」

「でもな、俺が周りに見えねぇように隠してた」

ごめんな、と響が困ったように笑う。

なんでお前が困ってるんだよ、困りたいのはこっちだ。
花が咲いたみたい、なんてそんな言葉このご時世誰も使わないだろ。


「なぁ時雨、なんで顔赤いの?」

「あ、かくない」

「赤い」

「うるさい」


うるさい
涙は止まらないし、熱い頬が冷たくなることもない。

なんでそんな目をこっちに向けるんだよ

なんでそんな優しい声で俺を呼ぶんだよ


全部全部今更なのに

ふと撫でるのをやめた響が憂げにため息をこぼした。


「那月とは別れた。つーか振られた。」

「は?」

「自分を好きな人と付き合いたいってな」


なにそれ、
響はちゃんと那月くんを好きだったじゃないか。

俺はとことん響に甘いから、ちゃんと那月くんを好きだったのに振られたなんてそんなの、すこしだけ、いやかなりカッとなる。


「おこんなよ、お前ほんと俺に甘いな」


苦笑した響が俺の手を掴んで引き寄せる。
抵抗する間も無く響の体に包み込まれて身が硬くなった。


「那月は俺が那月を見てねぇって分かってたんだ。だから、もういらねぇってさ。」

「な、にそれ、どういう……」



「そのまんま。今更だけどな、時雨。

俺はお前が好きみたい」






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