たとえば。
生まれる前から二人が出会うことが決められていて。
この世に誕生した瞬間から君に恋すると定められていたとしたら。
何十、何万、何億という選択肢の中から、彼女という存在だけが確かに自分の中に在ったとしたら。
こんな苦い思いも、初めから決まっていたのだろうか。
「こうちゃん、だいすき!」
幼い、懐かしい顔が笑う。
こうちゃん、それが自分の呼び名だったのを思い出した。
そうだ、言わなきゃ。大事な、大事なことを。
おれも、好きだって。
「、・・・ん」
いつの間に閉じていたのか、瞼をゆっくり持ち上げる。
ぼうっとする頭に片手を当てて、こてんと首を傾ければ視界には自分の枕。
まだ怠い身体を起こして、ひとつ欠伸。
ベッドには窓から差す朝日が当たっていて、もう朝なんだと自覚する。と、同時にさっきのことを思い出す。
「・・・夢」
考えてみればそうだ。
さっき見た彼女はまだ幼い頃の姿で、昔の呼び名で泉を呼んでいて。夢じゃなければおかしいのだ。
それがわかって、泉はベッドの上でがっくりとうなだれる。
「・・・あー、くそ」
夢に見るとか、どれだけ欲求不満なんだ。
夢なのに、まだ小学生くらいの頃の姿だったのに。
黙れ心臓。いっそのこと止まれ。
どんなに頭で整理しても、先程の夢の言葉が浮かぶ度に胸の真ん中が痛いくらいに音を立てる。
すき、なんて、もう何年も言ってないし聞いてない。
子供で、まだ好きなんて感情は知らなくて、だからあんなに口に出せていた。
人間ってなんでこんなに面倒なのだろう。
やっとその感情の意味を知って、しっかりと自覚したのに。
伝えたい気持ちとは裏腹に言葉は上手く表せなくて。
できることなら、あの頃の素直で子供だった自分に戻りたい。
「・・・、やっべ」
気付けば、時刻は既にいつも起きる時間を過ぎていて。
時計の示す時間を見て、泉は慌てて毛布を剥いだ。
部屋を飛び出してリビングに行けば、やはり母親が遅いと顔を怒らせていた。
適当に謝罪をして、急いで支度と朝食を済ませると、泉は慌ただしく朝練へと向かった。
自転車で駆け抜ける道はうっすらと霧がかかったようで、まだ夜が明けたばかりだというのを表していた。
頬に当たる風が冷たくて気持ちいい。
家を出る時に屋根伝いにある隣の家のある部屋を見てしまうのは、高校に入ってからすっかり癖になってしまった。
当然彼女が起きているわけがないのだが、それでも気になってしまうのは仕方のないことなのだろうか。
自転車を駆ること20分。ギリギリで間に合った泉は、普段より遅い到着に何となく恥ずかしくなり、紛らわそうとグラウンドに入る際に大声で挨拶をした。
「ちわっ!」
「あ、泉ー!はよー!」
「おー」
「なんだよ、ギリギリじゃん。寝坊?」
「そんなとこ」
めずらしー、と言って笑う田島を横目に、ベンチの陰で素早く着替える。
今日は泉が一番遅かったため、グラウンド整備はもう終わってしまっていてなんだか申し訳なく思った。
朝練の内容はいつも通りで、だけどどうしてか集中できない自分がいる。
理由なんて考えるまでもない。
情けない。たかが夢の中の出来事なのに、こんなに気にするなんて。
「こーぉすけー!」
「、は・・・?」
突然グラウンドに響く声、しかも叫ばれたのは泉の名前。
何事かと振り向けば、フェンスの向こう側でぶんぶんと手を振る幼馴染みの姿が。
え、何で、どうして。
だってまだ7時半で朝練も終わってなくて、帰宅部の結花が学校に来るのはもっと遅いはず。
だけど彼女はいる、グラウンドのすぐ傍に。
ちらりとモモカンを盗み見て、隙があったので駆け足で彼女に近寄った。
「おま、何、なんで来てンの」
「んー、たまには野球部の練習見ようかなって!」
フェンスを挟んでにこりとなまえは笑う。
ああそういえば、と。自分の影響で彼女も野球が大好きだった事を思い出す。
早起きが苦手な結花が珍しく朝早くに学校に来ていて、しかも泉のいる野球部の練習を見ると言うのだ。それもこんな近くで、だ。
「、別にいーけどさ」
舞い上がる気持ちとは裏腹に、口から出るのは素っ気無い言葉。
それでもなまえは嬉しそうに笑うから、泉の鼓動は高まるばかり。
絶対いいとこ見せる、と意気込んで、軽くなった足を走らせて朝練へ戻った。
「ガンバレ孝介ー!」
きっと後ろで手を振っているであろう彼女の笑顔を想像して、自然とにやける口元を押さえた。
やっぱり、夢よりも現実の方が、ずっと良い。