alone | ナノ



十分、二十分と時間は過ぎても、孝介は部屋の前から立ち去ろうとはしなかった。強引で頑固で一度言い出したら絶対に聞かない。昔からの彼の性格からすれば、もう数時間はここに居座ることだろう。自分の膝に頭を埋めて、誰に見られるわけでもないのに顔を隠した。無言の時間が流れていく。一言も話さなくても、彼がドアの向こう側で胡座をかいて座っていることなんて容易に想像できた。喧嘩をした時なんかはいつもこんな感じだ。絶対に話さないのに絶対にお互いの側から離れようとしない。今回もいつもみたいに、いつの間にか仲直りできてしまえばいいのに。


「・・・なまえ」


必要以上に肩が揺れた。呼ばれたからじゃなくて、彼が馬鹿みたいに優しい声で話し掛けてきたから。さっきまでの怒った雰囲気とは一変して、ゆっくりと言葉を発する孝介。


「なまえ、オレ、別に怒ってねえから」
「・・・」
「出て来いって。・・・まあ、おまえが怒ってんなら、アレだけど、さ」


一生懸命言葉を選んでいる姿が目に浮かぶ。いつも言葉で語らない私達だから、少し話すだけのことがこんなに難しい。これじゃあクラスのみんなよりも他人みたいだ。
怒っているわけがない。怒る理由なんてどこにもないのに。だけど孝介はそれを知らないから、どうして私が閉じこもっているかなんて、知るはずもないのだから。今すぐ飛び出してごめんと言えたら。こんな弱虫で臆病な私なんて私じゃない、そう否定できたら。こつん、向こう側で、孝介が頭をドアに預けたらしい。「・・・なまえ」もう一度名前を呼ばれて、私はそれにも反応しなかった。


「・・・、う、っぅ・・・」


涙が、嗚咽が前触れもなく吐き出された。もうずっと縮こまっていた身体を更に小さくしても、それが消えたりしなかった。堰を切ったように泣き出したのを合図にしたのか、喉の奥から気持ち悪さが押し上げてきて、咳になって外気に晒される。ドアの向こうから、少し慌てたような孝介の声が聞こえた。けれど止まらない、咳も涙も。
悲しい。きっと今の状況に一番似合う言葉。他に思い付かない、とにかく悲しい。遠ざからず近付かない関係にももう疲れてしまった。
きしりと床の軋む音。こちらまで届くようなため息と共に、座っていた孝介が立ち上がった。そのまま何も言い残さず小さく軋む床に足を踏み出した。ゆっくり、離れていく足音と気配。やっと諦めたらしい。
足音が全く聞こえなくなってから、私の喉のつっかえもすうっと消えた。だけどまだ気持ち悪い。再び一人になった空間で、止め方を知らない涙だけは流れ続けた。
助けなんて求めても仕方ないのだ。私自身、どうすればいいのかわからないようなことなのに。孝介が行ってくれて良かったと思う。彼が側にいたら余計わからなくなるということも、その理由も私は既に知っているのだから。・・・知って、しまったのだから。
幼い頃は彼しかいなくて彼が全てで、当たり前に隣にいれる関係が何より嬉しかったのに。それが今では、想う度にナイフで心を裂かれたみたいに苦しい。けれど出会わなければ良かったなんて思えなかった。関係が変わっても気持ちが変わっても、私にとっての泉孝介がかけがえのない存在だということだけは、どうしたって変えようのない真実だった。この先、私達が大人になった頃、こんな気持ちを子供だったと思う日が来るのかもしれない。今以上に誰かを想って恋をするのかもしれない。それを間違いだと言い切ることはできないのだ。その可能性がないとも言えないし、何より私はこの気持ちの本質など何もわかってはいないちっぽけな存在だ。けれど。


「孝、介」


ただの独り善がりだと言われるかもしれない。私の気持ちなんて他人から見れば大したことのない、『よくある』ことの事例の一つに過ぎないのかもしれない。
だけど嘘ではなかった。このままなかったことのように消えてしまう想いだったとしても、決してそこに嘘偽りなんて存在しなかった。


「孝介・・・っ」


名前を口にすれば苦しさで涙が溢れる。切なさと胸の熱さで叫んでしまいそうになる。
気付くのが遅かった。本当はずっと想ってた。ただの言い訳に過ぎないけれど、私と彼の間に共存していた時間も想いも、今は確かなものに変わって、こうして私の中に在る。
今どうしようもなく叫びたい。彼の名前を、私の想いの答えを。他の誰でもなく彼に、聞いてほしいの。


「バカ。詰めが甘いんだよ、おめーは」


世界の色が変わった。無造作に開けられた窓から、風と声が入ってくる。丸一日見なかった彼が、酷く暖かく見えた。笑って、部屋に踏み込む。夢でも幻でも、ない。
伝えたい、誰よりも。やっと見付けた想いを伝え合って、もっと近くで感じたい。
思わず飛び込んだ肌の体温は冷たくて、だけど何より心を温めるたった一つの答えだったんだ。

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テーマ「人外ファンタジー」
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