「孝介・・・」
こちらに気付いたなまえが、早足で駆け寄ってくる。
なんでここにいるんだ。いつから、いたんだ。
疑問がぐるぐる頭の中を駆け巡って、近付いてくるなまえの傍に寄ることも逆に逃げることもできなくて、じっとそこに立っているしかできなかった。
目の前まで来た彼女の表情は暗闇でよく見えなくて、じっと見つめてみるけれどそれ以上どうすればいいのかわからない。
すると、結花がいきなり泉の手のひらを握った。唐突に感じたそれに、ビクリと身体が震えて思わず一歩退くものの、更にぎゅうぎゅうと握り締められどうしたらいいかわからず泉は不機嫌そうに眉を寄せた。
「こ、孝介!あのねっ・・・!」
「な、んだよ」
夏だからか夜遅くにもかかわらず暖いなまえの手からじんわりと熱が伝わってきて、それが身体中に広がるまでそう時間はかからなかった。
話を切り出したものの、彼女はそれっきり進めようとはせず、あー、とかうー、なんて唸ってばかりでどうも読めない。
すると不意に、握られているなまえの手が小さく震えていることに気付いた。
見れば、彼女自身も泣きそうな顔をしていて、何ともいたたまれない気分にさせる。
きゅ、とほんの少し手を握り返して、それによって顔を上げた結花を安心させるように苦笑を浮かべた。
すると、ようやく話す気になったのかなまえはまた、あのね、と口を開く。
「孝介っ、ごめんね!」
「は・・・?」
彼女の口から吐き出された言葉。謝罪を示すそれに、泉の触れている手が小さく反応を見せた。
想像していたものとはまるで違う、むしろ真逆の言葉。
なんで、なまえが謝るんだ。
結花は何もしていないのに、どうしてこんなに泣きそうになりながら、謝るんだ。
そう思いながらも、必死にごめんと言う彼女を見ているとそんな疑問も全て消えていってしまった。
はあ、と泉はため息をつき、強張っていた身体をぐらりと前方に傾けた。背筋の曲がったこの体制が、一番楽だったりする。
「お前・・・バカだバカだとは思ってたけど・・・」
「はい?」
「ほんっとーにバカなんだな」
とりあえず思い付いた暴言を、とりあえず言ってみる。
すると彼女は、一瞬ぽかんと間の抜けた表情をした後、今まで下がりきっていた眉をキッと吊り上げて泉を睨んだ。
「なにバカって!人が折角謝ってんのに!孝介のあほ!」
「だから言ってンだろ。なんでオメーが謝ンだよ。逆だろ、普通」
変なところでずれているのがなまえという奴で、なんで謝ったのかもわからなければどう対応したらいいかも全く考えられない。
すると今度は泉の手を思いっ切り握り締めてきて、予想外の打撃に素直に痛みを訴える声を上げた。
むっとして同じようにすれば、いったー!と情けなく叫ぶ結花。
しばらくお互いに相手を攻撃し続けて、ふとなまえからの痛みが止み、降参する気になったかと思い顔を上げる。
すると、どうだろう。
目の前の彼女は、音もなく小さな雫を幾つも落とし、ぽたぽたと地面に斑な染みをつくっていた。
「だって・・・孝介とけんかしたら、どうしたらいいかわかんないよ・・・っ」
「、なまえ?」
「こ、すけ・・・いつもすぐ、許してくれるから・・・全然、わかんないっ・・・」
なまえはごしごしと袖で涙を拭うけれど、次から次から溢れるそれを止めることはできない。
だってそれでいいと思っていた。
オレだってなまえと喧嘩したままなんて嫌だから、彼女さえ怒っていなければすぐに仲直りしていた。
だけどそれが、逆に彼女を悩ませているなんて。
喧嘩したって、頭冷やしてすぐに笑って、それがオレ達の仲直りの仕方だった。
けれど、それでは駄目なんだ。
どんなに近くにいたって、言葉なしでは伝わらないものがある。
また震え出した結花の手を軽く引いて、顔を上げた彼女の肩口に頭を乗せる。
「あー、なんかもういいや」
「孝介・・・?」
「すき、だけどいいや。もう止めるから」
束の間に感じた彼女の感覚。
ゆっくり離れて、がしがしと結花の頭を掻き回す。
うわっ、と声を上げた彼女の涙はもう止まっていて、そのままぐいぐいと腕を引いて、彼女の家の方向に足を向ける。
それだけで送るつもりなのだと察したなまえは、途端に緩んだ表情を見せて泉の隣に並んだ。
「ごめんな」
「んー」
気持ちを押し込めるのは辛いことだと思っていたけれど。
急がなくてもいいんだ。一つずつ、理解してくれればいい。
オレが君を好きであることに、変わりはないから。