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授業中、その後も、泉は一度たりともこちらを見ようとはしなかった。
彼と喧嘩をしたのはいつ振りだったろうか。いつもいつも、原因をつくっているのは自分の方だ。
けれどいつだって、彼はすぐに許してくれた。
悪いのは私なのに、私がごめんねを言う前に必ず、彼は笑ってくれた。それが、喧嘩の終わりの合図だった。
甘えていたのだ。彼が、泉が優しいから。それが当たり前だった。
けれどもう、今回ばかりはどうしようもないのかもしれない。


「孝介・・・」

「・・・部活あっから」


放課後、彼を引き止めようとすれば、その一言だけ残し泉は教室を出て行ってしまった。
その様子を見ていた友達に「喧嘩したの?」と心配されたけれど、成り行きを説明するわけにもいかず苦笑を返すしかなかった。

帰り道、泉が練習の時はいつも一人なのに、今日はそれがやけに寂しく感じた。
彼が怒った理由はわかっている。自分の軽率な行動のせいだ。
だってそうしなければ、また一人になってしまう気がした。小さい頃からずっと一緒で、結花は泉のいない世界を知らない。
今では大好きになった野球のルールも、全部全部、教えてくれたのは泉だった。

彼と過ごして教えられなかったことは一つ。
『すき』の意味、それだけだった。

小学校、中学校と成長していく内で、結花が恋という感情を抱いたのは泉以外の別の人だった。
笑い方、泣き方、怒り方、仲直りの仕方。全て泉と過ごす上で学んだ感情だった。
けれどどうしても、恋愛の仕方を彼から学ぶことはなかったのだ。

大好きだった。大切だった。
きっと今まで恋した人より、一番大事なのは彼だ。
それでも、それは恋ではない。


『キスしたい、って言ったら?』


彼の言葉に頭が追い付けなくなったのかもしれない。突然すぎて、何を言っているか理解できなかった。
キス、って、なんだっけ。
ぼんやりと考えてやっと行き着いた答えに、今度は疑問ではなく驚愕を覚えた。
付き合っているという関係なのかすらもわからない自分達。今まで泉は、これといって前と変わった態度を取ったことはなかった。
初めて、だったんだ。あんな彼を見たのは。
だとしたら何か思い詰めていることでもあったのだろうか。
もし、その原因が自分だったとしたら。


「・・・」


キーンッ、鋭い音が鼓膜を揺さぶる。
どうしても気になって、野球部が練習する第二グラウンドまで足を運んでしまったのだ。
緑色のフェンスの向こうは結花の知らない世界。
泉が、田島が、三橋が・・・野球部のみんなが、夢の舞台を目指して努力を積み重ねていく場。
こんな細い金網をくぐってしまえばすぐ近くに行けるはずなのに、どうしても遠く届かない存在のような気になる。
みんなみんな、泉も、結花の知らない別の人の顔をしているのだ。
かしゃん、と掴んだフェンスは酷く冷たく感じ、また彼らとの距離を感じる。


「・・・こうすけ・・・」


小さく小さく、誰にも聞こえないくらいの声で名前を呟く。
呼ぼうと思ったわけではなかった。何となく、口をついて出たのがそれだった。


「!」


けれど、それに気付いたのかそうでないのか、タイミング良く泉がこちらを向いたのだ。
キラキラ汗を光らせて、いつもより何倍も真剣な瞳と視線が合う。
幼馴染みであろうとドキリとしてしまう。それは予想外の偶然への驚きなのか、それとも鋭い視線に捉えられたからなのかは定かではない。
何か言いたい。けれど、ここからでは届かない。
そして、結花が言い淀んでいる内にとうとう、泉は表情一つ変えないまま再びそっぽを向いてしまった。
小さくもう一度、こうすけ、と呼んでもまた彼が振り向くことはなかった。

話したい。言いたい、何かを。そう、謝りたい。
傷付けてしまったこと、気付かなかったこと、甘えていたこと。
何より、私にとってあなたは大切な人だと。たとえそれに彼の求める感情がなくても。
伝えなければ、何も始まらない。


「・・・っ」


ぎゅっ、と強く拳を握って、結花はグラウンドに背を向けた。

言うんだ。大切なこと、いちばん伝えたいこと。
歪んだ歯車がどんなに狂おしく悲鳴を上げようとも。
私のため、孝介のため。
ふたりが、ふたりのままで居られるように。

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