「・・・あれ、お前なにそれ」
朝、会って早々から泉に言われた一言。
それ、なんて聞かなくてもわかる。今日の結花が普段と違うところは一目瞭然だ。
結花は泉の惚けた表情にしてやったと笑みを浮かべ、原因であるそれをクイッと上げて見せた。
「ど?似合う?」
「いや、そーじゃなくて」
お前メガネなんてしてなかったじゃん。泉が疑うような目付きで言う。
うんまぁね、とにこにこしながら返せば予想通り眉間に皺を寄せる泉。
彼の言いたいことがそれではないと知りつつ、ついからかってしまうのはなまえの悪い癖だ。
けれどいつも散々直球な毒舌を吐かれているのだから、これくらいは許してくれなくてはこちらの身と神経が保たない。
さすがに苛々し始めた泉を煽てるように、メガネのレンズに触れないように指先で摘む。
「これね、伊達なんだ」
「はぁ?なんでわざわざ」
「いや、似合うかなーって」
たかがそれだけのために伊達メガネを買うなんて。泉に言ったら馬鹿にされることなんて重々理解している。
それでも新しいものを手に入れたら誰かに見せびらかしたくなるもので、それをするのに一番最適なのは泉なのだ。
思った通り、泉はそのメガネが伊達だと知るとあからさまに呆れた表情をつくった。目がこいつ馬鹿だと言っているのがひしひしと伝わってくるけれど、あえて気にしない。
「お前ホントにばかなのな」
「いーじゃんこれくらい。で、似合う?」
もう一度、メガネを見せるように身を乗り出す。
すると泉は一瞬身体を離し数回目を瞬かせた後、戸惑いがちにぽりぽりと頭を掻いた。
珍しく動揺した様子になまえはただ不思議がっていたが、泉からしてみれば突然近付いてきたなまえに慌てずにはいられなかったのだ。
けれどどこまで鈍いのか、なまえはレンズの奥の大きな瞳で泉を見つめる。そのせいで泉は、変に唸ってしまう。
「あー・・・、ちょっと貸してみ?」
しばらくして自分を落ち着かせ、動揺が去ったところで彼女の顔をじっと見てみる。
数秒して、そっと手を伸ばし結花のメガネを外す。
不意に頬に触れた時に反射的に目を瞑る、その一瞬の仕草に胸の中心が音を立てるのを感じながら、メガネを自分の手元まで持ってくる。
そっと瞼を持ち上げたなまえは、いつもの見慣れた彼女で。けれど先程との印象の違いのせいか、何となく新鮮に見える。
彼女の柔らかい髪が、不思議そうに首を傾げると同時にふわふわと揺れる。
その様子に頬が緩むのを感じながら、こちらを見上げるなまえの頭に手を置く。
「オレはこの方がいいと思うけど」
「んー・・・孝介が言うならそうする」
ほんの少し悩んで、結花は泉の意見に素直すぎるくらいに従った。
孝介が言うなら、なんて。
まるで彼氏みたい・・・いや、今オレはなまえの彼氏?いやでも、そんな解釈をしていいのか。そもそも結花はそんなことを気にして言ってたのだろうか・・・。
表情にこそ出さないけれど一人悩んでいる泉。おそらくなまえは無意識だったのだろう、それがわかるからこそ頭が痛くなる。
とりあえず、と、先程奪った彼女のメガネを、了解も取らずに自分でかけてみる。
「ど?」
「ふは、孝介メガネ似合うねー」
「あ、まじ?」
「まじまじっ」
似合うと言いながらもケラケラと笑う結花。
そんなに珍しいか、と二人して面白おかしくメガネの話ばかりをする。
孝介は顔立ち良いから何でも似合うねー。お前はフレームあった方がいーんじゃね?え、そう?うん、で、もっと明るい色。じゃあ孝介は黒縁!オレメガネいらねーし。ぶー、じゃあ私もやーめた。
そうしているうちに朝のSHR開始を知らせるチャイムが教室に響く。
やべっ、と慌ててメガネをなまえに返して、泉はばたばたと自席へ戻っていった。
ドサリと机の上に鞄を置いて、自分はその上に腕を組んで頭を乗せる。
朝練後の半端じゃない眠気にゆっくりと襲われ、だんだん眠くなってくる。
ふと、先程の結花との会話を思い出し、更には彼女のメガネ姿までもが浮かんでくる。
(・・・ほんとは似合ってたとか、言ってやんねー)
珍しいなまえの姿、自分だけ見れればそれでいい。学校に付けてなんか来させない。
ほんの小さな独占欲と嫉妬心。
彼女が気付いていない間だけ黙っていても許してほしい、なんて少し我が儘を言ってみたくなった。
そして泉の策略通り、次の日からなまえがメガネをかけて来ることはなくなったのだった。