U・シンデレラヴィジョン | ナノ



水竿芽夢がアメリカへ渡ったのは十五歳の時だった。家族を日本に残し、たった一人で言葉も通じない国に旅立ったのだ。もっとラクロスが上手くなる、その頃の芽夢にとってそれほど素晴らしいことは他になかった。
アメリカでも芽夢の成績は目覚ましいものだった。幅広い年代の選手が集まるスポーツ養成学校で、背の高い外人にも引けを取らないだけの技術があったのだ。多くの大会に出場し、ゆくゆくは母国にもその名の知れ渡る選手になる。その頃の芽夢の、一番の夢だった。
しかし、その夢は長く語られることなく、ある日を境に潰えたのだ。

十六歳の春のことだ。芽夢が練習中に突然倒れた。本人も理解出来ないまま、動かない身体は病院へと運ばれた。
神経の病気、に近いものと診断された。脳からの信号の伝達が不自由になり、突然身体が動かなくなったり、思ったのと逆の方向に動いてしまう。芽夢はその日から、身体の自由とラクロスを奪われたのだ。
母国の両親はすぐさまアメリカに渡り、ベッドに寝たまま生気のない目をした娘の姿に酷く悲しんでいた。医師にも両親にもリハビリを勧められたが、芽夢は頑なにそれを拒否した。リハビリで治る確証なんてない。もし治らなかったら…否、たとえ症状が回復したとしても、病気というハンデとリハビリで取った遅れを抱えたまま、以前のようなプレーなど出来るはずがなかった。病気にかかった時点で、学校にももう居られない。怪我や病気は、どんな些細なものでもスポーツ選手にとっては致命傷だ。それが、自分のように数年の年月をかけるものだというなら余計に。未来のない芽夢に、学校に居場所などない。
芽夢は、自分を諦めたのだ。

リハビリをするでもなく、日本に帰るでもなく、ただ宙ぶらりんになったまま病院の一室で過ごす芽夢に転機が訪れたのは、入院から一カ月が経った頃だった。一人の日本人が、芽夢を訪ねてきたのだ。名前を日高雅人という、スーツが良く似合う長身の男性だった。彼は初対面の芽夢を見るなり、その細い肩を掴んでこう告げた。「君のプレーが見たい」初めは、また医師や両親のように下らない期待をしている人だと思った。大方、学校の記録にでも残っていた芽夢のプレーを見て自分のことを知ったのだろう。芽夢は正直に告げた。リハビリには長い月日がかかること、治ったとしても以前のようなプレーは全く出来ないということ。そう言えば、自分の周りから人が消えると分かっていた。どんな症状かも知らないスポンサー関連やスカウトをしにくる知らないチームの監督は、その話をすれば苦い顔をしながらさっさと帰ってくれる。未来のない子供に興味がないのだ、彼らは。金にならない選手は必要ないものだ。
けれど、彼は出て行かなかった。それどころか、意地でも帰るまいと言うように備え付けの椅子にふてぶてしく座り込んだのだ。「上手いプレーなんてどうでも良い。俺は君のプレーが見たいんだ」と、一点の曇りもなく言い切った彼に、初めて芽夢の荒んだ心が揺らいだ。生まれて初めて、誰かのためにプレーがしたいと思えた。
それから、実に一年以上にも及んだ芽夢のリハビリ。そのそばには、いつも彼の姿があった。上手くいかない欠陥のような身体に何度も諦めかけた芽夢を、誰よりも近くで支えてくれた。リハビリの費用も、彼自ら援助してくれたのだ。見返りも求めず、ただ芽夢のプレーを見たいということを理由にして。そんな彼に、芽夢が強く心惹かれるのにそう時間はかからなかった。リハビリが終わっても、病院を退院しても、国に帰ってからも、彼のそばに居たい。日高雅人という人の傍らに立つ存在でありたいと、願うようになった。

一年後の秋、日本でラクロスのコーチをすると帰国を告げてきた彼に、芽夢は迷わず自分も行くと名乗り出た。医師からの許可が降り、ようやくスティックを振れるようになった頃だった。
必死だった。とにかく想いを伝えることで精一杯で、自分が何を口走ったかも覚えていないくらい。ただ、混乱のあまりに脈絡のない言葉を言い切るより前に、彼の体温に優しく包まれたことは、芽夢にとって忘れられない思い出となった。彼のために、彼と大好きなラクロスを通じてずっと一緒に居る。それが芽夢の新しい夢。
芽夢が十七、彼が二十五の時のことだった。


「ところがどっこい見事に受験に失敗、一年間はラクロスどころじゃなかったですね」


恥ずかしそうに笑いながら語る芽夢を、幸村は相変わらず真剣な目をしたまま見つめていた。どれだけ茶化してても分かってしまったのだろう。思い出を語る芽夢の表情が、心から幸せだと言っているようで。


「…ごめん、俺が聞いて良いことじゃなかったね」


本当に、そう思ったのだろう。気まずそうな顔をする幸村に、芽夢は首を左右に振った。確かに話したのは彼が初めてだ。けれど、それで良かったと思える。彼も、過去に似た思いをしたことがあるはずだ。テニスができない、周りでどんどん進んでいく人の背中を眺めることしかできない、悔しさやもどかしさ。勝手な仲間意識は迷惑だろうか。幸村なら、変な同情はしない。もちろんふざけてからかってきたりもしないと思ったから。人を好きになれないという、彼の助けに少しでもなれば良い。


「彼は、フィールドで輝いている人たちじゃなくて、輝きをなくした私を見つけてくれました」
「……なんだか、シンデレラみたいだね」
「シンデレラ?」


不思議に思って聞き返せば、彼はゆっくり頷く。とても穏やかな表情をしていた。
シンデレラ、と彼は言った。童話の中の王子は、一夜で恋をした娘を広い町から見つけ出してしまう。美しいドレスを着ているわけでも、高価な宝石を身に付けているわけでもないのに、王子の目は娘を見極めた。そのことを、幸村は芽夢と恋人にたとえたのだろう。自分にはもったいないない言葉だと思ったけれど、誰かにそう言われることはとても嬉しかった。


「…幸村さんにも、きっとできますよ」
「え?」
「時にはテニスよりも、大切に感じる、ずっとそばに居たいと思える人が」
「…そう、だろうか」
「はい。そうなれば良いって、私は思います」


もう二度と、そんなふうに悲しまなくて良いように。そんなこと考えることがなくなるくらい、彼が想える人が現れてほしい。出来れば、その人と彼が笑い合う日を見れたら、嬉しい。
ありがとう、と。まだ切なさを拭いきれない表情で笑った彼に、自分ができる限りの笑顔で返した。
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