U・シンデレラヴィジョン | ナノ



馬鹿だ。と彼女は泣いた。何を思ってか、何に嘆いたか、知る者はいない。ただ、スポットライトから外された世界の淵で、誰にも受け入れられることなく悪とされた者への涙を、彼女は流した。

その場所は心を洗うような白で統一されているにも関わらず、隔離され、異常とうたわれた者たちの世界。映し出されるのは憎しみと、嘆きと、失望と、虚無感と。ここは外れ者が住む場所。そんな場所に訪れる者は、しばしの異常者とされる。


「ドアホ」


吐き出された言葉の、まるで女とは思えないほどの低い呻きに、今は注意を促す人間はいない。出会い頭の暴言、ふてぶてしい態度。自分が女らしくないことを彼女は自覚してしたし、よもや直すつもりなどもうはるか昔に捨て置いてきてしまった。ただ、ただこの瞬間、彼女にはそれ以上の言葉を持ち合わせてはいなかった。ぶつけたい感情は山のようにあったのに、実際この無に等しい寂れた白の中、まるで絵に描いたようにベッドの上から微動だにしない男を見て、言葉にし難い激情が溢れかえってしまった。
男は異常だった。まるで女から異常の部分を奪って飲み込んでしまったかのように。男は悪魔に魂を売り渡した。心と、良識と、愛情を売って狂気を得た。


「ゆるせなかった」


しんとした空間に、零れ落ちるように呟かれたその一言。感情らしいものは一切感じ取れず、そこに込められた真意はおそらく彼以外は誰にも理解できない。


「許せなくても、人を傷付けちゃ駄目なんだよ。知ってんだろ」
「うん」
「わたしは、うれしくなかった」
「うん、わかってる」


小さく、僅かに男の口角が上がる。笑いたいはずがない。本当なら、泣いても泣いても足りないくらいなはずなのに、それすらできないほど、男は異常になってしまっていた。

嫌いだった。可哀相な子のふりをして、誰にでも取り入って愛される、あの子供みたいな女を、悪魔か魔女のようだと思った。自分の抱える妬みや苛立ちが、すべてあの女に植え付けられた猛毒のようだとさえ思った。

水竿芽夢は知らないのだ。本人の意識しない間に、誰かの心を傷付け腐敗させていることに。誰かが愛した人に愛される呪いを振りまいていることに。
そのくせ、自分はまるで愛情に枯渇しているかのように振る舞う。ほら、私ってなんて可哀想なのでしょう。そう言っているかのように、簡単に綻びを見せる。まるで男に好まれるためのような小さく華奢な身体、あどけなさが抜けきらない顔立ち、気の抜けたような甘ったるい声。男を、人間を惑わす。本人の意思ではなかったとしても、芽夢はそういう女だ。

だけど、嫌いだったけれど、決して消えてほしいなどと思ったことはない。一度たりともだ。
それは、水竿芽夢という人間の呪いのような魅力に、自分も引き付けられ始めたからだろう。


「すきだったよ」
「知ってた。ドアホ」


あまりにストレートすぎる告白に、躊躇いもなく返す。愛の告白にしては、あまりに苦しい。ベッドに張り付けられた手首に繋がれた太いベルト。まるで、男を獣みたいに扱っているようにも見えた。

河野俊明と越知美加子が中学、高校時代の友人と知っている人間は、おそらく立海大学の校内にはいないだろう。
その関係が大学に上がると共に途絶えた理由とまでなれば、本人たち以外の知るところではない。

まだ一年だ。それでも、ずっと昔のことのようにさえ思える。卒業式に告白して、振られた。言葉にしてしまえばほんの一行で終わってしまうような、子供にありがちな話だ。ただ、河野と越知はそれっきり友人関係に戻ることもしなかった。
互いに想い合っていたはずだ。それなのに、河野が越知の想いを跳ねのけて関係を絶って、今こんな閉鎖された場所にいる理由を、越知は一年も過ぎた今になって気付いたのだ。

純粋な想いを受け入れる資格なんてなかった。
おかしくなっていく自分に巻き込みたくなかった。
許せなかった。自分が愛した人を苦しませる女の存在が。
彼女の方がずっと、ずっと彼を想っているのに。


「私、嬉しくなかった」
「知ってる。俺のためにやったから」
「あんたを、言われるままに離した私が、馬鹿だったよ」


それっきり、彼は黙り込んでしまった。一度道を違えた男と女では、あまりに遠すぎる。彼の不格好な笑顔が、作り笑いなのか、素顔なのか、もう分からない。様々な環境と、目まぐるしい心境と、意志が負けてしまった根元が、そんなおかしな笑顔を彼にさせるようにしてしまった。


「馬鹿な私を、待っててほしいんだけど」
「…逆じゃないの?普通」
「普通なんてクソクラエ」


からからと、あまり女らしいとは言えない笑い方をすれば、彼の下がり眉が更に情けない様になった。


「水竿に、話してないの?」
「あの子に何言ったって仕方ないよ。馬鹿だもん。でも、ラクロスは辞めるって」
「へえ」


全てが収まった今になっても憎いのか、彼は自分から振った話題につまらなそうに呟いた。きっと、もう二度と会うこともないだろうに。

知らなくていい。互いに互いのことなんて、知らない方が良いのだ。またあの馬鹿な女の必要としてもいない罪悪感を向けられるのも困る。彼がこれ以上、水竿芽夢を憎んだところでどうしようもない。出来るなら、初めから出会わない方が良かった。だから、もう二度と巡り会わないように、何も知らないままで。


「また、来るよ」


誰も知らない。これから先に知ることもない。
舞台から降ろされた者たちの、暇つぶしにもならない話をしに。





(以下、補足)


分かりにくい話だと思うので少し解説を。

本編に登場した二人のオリジナルキャラクター。河野は本編でも少し触れていましたが、実はラクロスサークルの越知も青学出身でした。
大まかな設定として、河野が薬に手を染めたのはだいたい高校三年くらい。それまで良い友人だった越知との関係を切って、気まずさから進学しても知り合いであることを互いに隠していました。ということを踏まえると、夏休みの飲み会で一番気まずかったのはこの二人なのでしょうね。
越知は、サークルに入ってから日高に憧れを抱いていました。恋愛感情なのか、単なる尊敬の意なのかははっきりとさせていません。越知の気持ちを知っていた河野は、当然のごとく彼と別の人間の間をフラフラとする主人公が憎く見えたのでしょう。それがあんな形に出てしまったのは、やはり薬の影響もあるのかなと思います。
その事実について、主人公と幸村は何も知りません。知ることのない舞台袖での一幕として、番外編という形で考えさせていただきました。100パーセントの悪意なんて存在しない。それを描きたかっただけです。
都合上、原作キャラクターを登場させられなくてすみませんでした。ご一読ありがとうございます。
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