U・シンデレラヴィジョン | ナノ



気付いたことが、ある。
気付いたというか、そう気付かされたと言った方が正しいか。


「…?精市く、んッ…!?」


ずきり、首筋あたりに鋭い痛みが刺して声が上擦った。今まで肩口に顔を押し付けていた彼が何をしたか、想像するのには時間を要した。いや、だって、普通そんなことをするなんて思わないじゃないか。今の今まで、優しく動物とでも戯れるかのようににこにこふわふわと笑ってじゃれあっていた彼が、まさか。
首筋に思い切り噛み付いてくるなんて。
痛い痛い、精市くん!そう訴えてみるものの彼は反応を示さず、芽夢はひぃいいと内心で悲鳴を上げながら痛みに耐えるしかなかった。
漸く彼が離れた頃には、目に涙が浮かんでいるのが自分でも分ってしまった。じくじくと痛みの余韻を残す場所に触れると、肌に不規則に残る凹凸。うわ、思いっ切り歯型ついてる。それを付けた張本人は、目の前で何故か満足げに、それ以上に芽夢が大好きなはずの優しい笑顔を浮かべていた。しかし、今の状況とその表情はあまりにもミスマッチで、違和感しか感じない。


「痛かった?」


首を傾げて尋ねる笑顔に、彼でなかったら当然だろうと怒鳴っていたかも知れない。ひくひくと自分の表情が強張っているのを自覚しつつ、精一杯の苦笑いで「そりゃあ…」と濁して肯定すれば、彼は更に満足そうに笑みを深めてそのまま覆い被さるように抱きついていた。いやあの、あなた自分の体格分かってますか。痛い重い、首折れる。そうは思ってもはねのけられない自分も、大概だと思う。


「そりゃ痛いよな。ごめん」
「ん…別に良いけど。こんなので満足するの?」
「しないよ。満足なんて少しも。でも、ちょっと安心する」
「…そう」


興味のない振りをして、意外と芽夢の頭の中は色々な感情がごちゃごちゃに絡み合っていた。

彼、幸村精市と正式にお付き合いをするようになって、それまでは分からなかった部分を垣間見る機会は驚くほど増えた。
彼は、一見余裕のある大人な雰囲気を他人に見せておいて、実は独占欲や嫉妬心、闘争本能なんかがやたらと強い割と我が儘な男だ。この素顔を見てしまうと、本人が言っていた「良い人に見せようとしていた」というのは芽夢から見てもあながち間違いではないと分かる。以前、元テニス部という人達と会ったときの幸村は、自分のイメージと噛み合わないと感じた。けれどそれは、彼が二重人格だとかいうことではなくて、自分が彼をあまりに知らなすぎただけなのだと、今なら分かる。気を遣わせていたのだろう。彼は芽夢の中の優しい先輩のイメージを崩さないために、いつも穏やかに接してくれていた。真田や柳、切原たちへのあの言動や態度こそ、本来の彼の姿なのだろう。信頼、からなる関係。彼は本当に、心からテニスとそれに通じる仲間たちを信頼していた。芽夢に対してそれが向けられなかったのは、自分のふがいなさ故。


「芽夢?」


そう。この人は、まだ私を信用してはいない。
手を繋ぐようになって、すぐそばで笑い合うようになってもうしばらく経つけれど、その勘ともいえる確信はなくなるどころか余計に色濃くなっていく。信じられないのも無理はない、と思う。これまでの自分を思い返せば当然だと思う。自分たちはもう他人を盲信するほど幼く、純粋ではない。彼を好きだと言ったことに偽りはないし、彼もそれは重々理解しているのだろう。それでも、感情というものは簡単に操作できるほど単純にできてはいない。
特に、この人の場合は。


「芽夢…」


返事もせずにずっと目の前を見つめている芽夢に痺れを切らしたのか、幸村は背を曲げて身を屈めるとそっと唇を重ねてきた。飽きもせずに何度も繰り返してきた行為なのに、彼はこうして大切なものだと優しい行為で示してくる。だけど、それに含まれるもう一つの感情を、芽夢は知ってしまっている。
嫌わないで、と言っているのだ。自惚れではない、怯えるように触れる熱が、唇が離れたすぐ後の深い青の瞳が、確かにそう訴えている。痛いくらいに。
自分はその懇願するような要求に確かな形で応えるすべを知らない。
自分たちの絆は常に危うく軋みを立てている。少し押しただけで崩れてしまうような、脆いもの。受け止めることはできても、包み込む方法を知らない。


「…精市君」
「ん、…なに?」


戸惑いがちに、けれど迷いなく唇を触れあわせる彼は、小さく呼びかければ至近距離で首を傾げ微笑んだ。ああ、好きだなあ。自然と目を細める仕草も、促すように頬を撫でる指先も。けれど、自分はそれを余すことなく伝える言葉を持ち合わせてはいないし、もしもあったとしても芽夢限定の疑心暗鬼みたいになってしまっている彼にそれを吐きかける勇気もない。
だから、ぼんやり。なんとなく。だけど確固たる気持ちで、言葉にせず呟くのだ。

好き。あなたが好き。


「甘いもの食べたいな」
「は?」
「食べたくない?なんとなく」
「……仕方ないなあ」


子供のわがままを聞いてやるみたいに、苦笑をしながら幸村は芽夢の頭に手を置く。犬か猫が縋るみたいに噛み付いたかと思えば、すぐに恋人らしいキスを落として。それなのにこんな触れ方、なんて狡いのだろう。


「帰り、喫茶店でも探そうか」
「うん」
「ふふっ。じゃあ、今は俺に集中」
「あ、」


まるで絵に描いたような綺麗な笑顔が、何の躊躇いもなく肩口に落ちる。今さっき歯を突き立てたところを熱い舌でなぞられて、大きな手に指を絡め取られたらもう全て彼のペース。

私はまだ、許されていない。彼の心に。
どんなに笑顔を貼り付けても、言葉で繕っても、心は簡単には揺るがない。良くも悪くも、だ。彼はそれを私に悟らせることを良しとしない。だから、私も決して口には出さない。けれど、こんなことを言えば呆れられてしまうだろうか。
私は彼の疑心が、心地良くて仕方ないのだ。許されるばかりだった今までの方がおかしかった。だから、こうして彼が疑りをかけ、探るように触れてくることが嬉しかった。彼の不安からなる支配欲も怖くはない。ああ、でも。満足なのか、なんて余計なことを言ってしまったから。今日は多分、甘いものは食べられないだろう。


「芽夢のそういう、実は俺より余裕あるとこ本当むかつく」
「ん、ごめん」
「謝るな。むかつくけど好きだよ」


なにそれ。小さく笑って見せれば、彼が適当に作った不機嫌な表情が綻んだ。肩口に残る甘い痺れだけが、未だ彼の内側の不安を訴えているのだ。
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