U・シンデレラヴィジョン | ナノ



自分のしたことを、真田には言わなかった。多分、体調がどうのと酷く叱られるだろうし、実際その翌日からくしゃみが止まらなくなってしまった事実もあって断固として黙っていることにした。
真田に喝入れされたその次の日、幸村の行動は早かった。学校が終わってすぐ、とある場所へ向かった。以前、芽夢の定期を拾った時に覚えていた彼女の家からの最寄り駅。そこまで行くことは大して難しくはなかったが、困ったことに改札出口が二つあった。芽夢がどちらの出口を使うか分からない以上は当てずっぽうに待つしかなくて、その日は夜の十一時まで待ち伏せして見事にあてが外れた。だから、次は反対の出口で。後々考えれば本当に子供みたいに単純な案だった。それで面白いくらいお約束通りに風邪をひいたのだから笑えない。それでも、芽夢じゃあなければこんなことはしないと思ったら、それだけで優越感があったのも紛れもない事実である。行動で、言葉の全部で伝えても、彼女にはきっと足りないくらいだろう。
自分の判断もさながら、芽夢も大概馬鹿だというのは何となく分かっていたけれど。彼女から河野の話を聞いて、どうして早く言わなかったのかと苛立ちを感じなかったわけではない。けれど、不安と混乱で追い詰められた彼女が考えた末のことなのだと分かったから。たとえそれが自分を遠ざける、なんて不愉快でしかない答えだったとしてもだ。怒るのは、ちゃんと芽夢が自分のところに帰ってきてからだろう。


「守るよ」


だから、そんな漫画みたいにくさい台詞を吐いた。らしくないかもしれないけれど、本心だった。


「精市」


不意に、校内で呼び止められて振り返る。そこにはよく見慣れた男の姿。最初に自分を名前で呼んだ時点で、大方の予想はついてはいたが。


「蓮二」
「風邪の具合はどうだ?」
「ああ、もう心配いらない。それより」


うっすらと、本題を匂わせる雰囲気に僅かに視線で訴えれば、柳は予想通りと薄く笑った。


「ああ、ほぼ間違いない」
「三日か…相変わらず仕事が早くて助かる」
「事情が事情だからな、俺も尽力させてもらうつもりだ」


全く、心強い仲間を持ったものだ。
あの日、芽夢を家まで送り届けた後、終電を逃した幸村は比較的近くに住まいのある柳の家で一晩世話になることになった。芽夢は酷く申し訳なさそうに「私の家使ってください」と言い出してなかなか引き下がってはくれなかったが、まあ、それはなんというか幸村の良心的な部分が許さなかった。たとえ彼女の両親が居ようが居まいが、だ。今まで溜まっていた鬱憤を、万が一にも最低な形で彼女にぶつけてしまいたくなかった。多分、流されることは何より容易い。けれど、今の自分たちが流された結果に在ることを思えば、繰り返したいとは思えない。
だから、全部片付いて、当たり前に一緒にいられるようになったら。そしたら、自分が感じたこと、彼女に伝えたいこと、全部与えてあげようって。そのためには、まず。


「明日だ。頼めるかい?」
「分かった。弦一郎には、俺から伝えておこう」
「ああ。…あの食えない男の鍍金を、根こそぎ剥ぎ取ってやろう」


あの子との約束を、守ってあげないと。


「幸村さん、どうも」


翌日、先日の雪でも降りそうな寒さとは打って変わった快晴のもと、幸村は慣れ親しんだ愛用のラケットを片手にコートに立っていた。そこに遅れて現れた男、河野俊明に声をかけられ、幸村は心情を悟らせないよう仮面のような笑顔を貼り付けて振り返る。


「やあ、河野。サークルは久々なんじゃないか?」
「あっはは、幸村さんから飲み会の知らせが来たら行かないわけにはいかないですって」
「酒の席なら河野は呼ばないとって思ってね」
「俺、そんな酒好きのイメージあります?」


そりゃ、飲み会の席になら必ず参加するのを半年以上も見ていればな。そんな嫌味を腹の底に据えて、まあね、なんて笑ってみせた。


「あ、でも名目上は部長の誕生日祝いだから気付かれないように頼むよ」
「はい、分かってますよ」


どこまでも食えない奴だ。一緒にサークル活動をする上で、常に笑顔で人当たりの良い、間違っても他人の意思を無碍にしない、そういう人間だとばかり思っていた。柳ならば何か掴んでいたのかも知れないが、その底で息づく正体に、幸村は芽夢から聞かされるまでまるで気付かなかったのだ。中学、高校とテニス部員たちに数え切れないほど支えられてきた。だからこそ、チームというものに信用を置きすぎてしまったのだ。秋穂からの噂を聞かされた時、真っ先に疑ったのが河野でなく芽夢だったことを、今は悔やむしかない。

午後六時半。まだ河野が来てから一時間程度しか経っていないが、おそらく十分なくらいだ。そっと目線をやって、視界の隅で真田が小さく頷いたのを確認した。


「なあ、河野。俺と試合してみないか?」
「え?幸村さんと?冗談はよしてくださいよー、インターハイ三連覇なんて人に始めて一年の俺が適うわけないじゃないですか。それに、店予約してるんでしょ?そろそろ行かなきゃ」
「店?」


けらけらと笑ってラケットを肩に置く河野。その口が発した言葉に、後方にいた一人が反応して口を挟んだ。まるで何のことかと言うように不思議な顔をしているのは、話題の中心であるはずのサークル部長である。誰でも感じるであろう、わずかな違和感。河野が眉間に薄く皺を刻んだ。


「え、今日飲み行くんですよね?」
「?いや、俺は聞いてないけど」
「はっ?だって幸村さんが、っ」
「…どうしたんだい、河野?」
「あんた…じゃあ、部長の誕生会ってのは」
「あっはは、河野、俺の誕生日は九月だぞ」
「っ!!」


騙された。見るからにそんな顔をしている河野をじっと見据えれば、今までの笑顔が嘘みたいに眉間に深い皺を刻んで睨みつけてくる。罠にかけられたことに漸く気付いたらしいが、今更遅い。何も知らない部長が笑いながら肩を叩いても反応できないくらい焦っているんだろう?そう思うといっそ愉快にさえ感じる。


「時間はたっぷりあるんだ。早くコートに入りなよ」
「…負け惜しみですか?」


踵を返してコートに入ろうとする背中に投げかけられた声に、幸村はぴたりと足を止めた。横目で一瞥するように振り向けば、今までと違った嫌みな笑顔をした河野が短く息を吐いた。


「好きな女取られてテニスで八つ当たりとか、そういうことでしょ?諦め悪いですよ」
「…違う。って、言いたいところだけど、強ち間違ってもない。正直腹が立って仕方ないよ、おまえのしたことを考えると」
「……チッ。あの馬鹿、喋ったのか」
「河野」


予想以上に、早かった。今までちらりとも見せなかった本性に、気持ちはまだ僅かに戸惑っている。芽夢の話を信じていても、自分の中で現実味がなかったのだと思い知った。短く名前を呼べば、河野は心底気だるそうな目で幸村を一瞥する。


「言っときますけど、試合で負けたくらいじゃどうもなりませんよ」
「どうだろうな。試合が終われば分かることだ」
「幸村さんも大概ですねえ。俺はロリコンじゃないんで、あんなの願い下げなんだけどな」
「ふふっ…見てくれでしか良し悪しを判断できないなんて、惨めだな。御託は良いから、早くコートに入れよ」


河野はまだ気づいていない。ゆっくり毒が回るように、蛇に身体を締め付けられるように、危機が浸食していっていることに。蛇に睨まれていることにさえ気づかないおまえは、最高に滑稽な蛙だよ。
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