U・シンデレラヴィジョン | ナノ



いやあ、身も心も寒いなんて正にこのこと。馬鹿らしい、というか、どうでもいい。真冬というのは梅雨の次に嫌いな時期だけれど、今年は例年を遥か下回る寒さな気がする。特別な大会などなくてもシーズンオフに入ってしまえばスポーツをする機会も減る。毎年のようにそんな時期は筋力維持のトレーニングを何の苦も感じず日常的に繰り返していたというのに、もうラクロスのスティックを握らないままかなりの時間が過ぎていた。このまま一生、フィールドに立つことはないのかもしれないと、あの牢獄のような病院に居た頃のように思った。けれど、出来ないわけではない。やりたくない。スティックに触れるのも、ユニフォームを着るのもあのセンターサークルのラインを踏むのも、もうたくさんだ。もう、ラクロスに疲れた。
何度でも言う。今年の冬は寒いな。

あの日、彼からの電話を縋るような気持ちで取ったことを、後になって酷く後悔した。あれからもう三日、彼からのそれ以上の接触はないまま。きっと心底呆れただろうし、そうなるように仕向けた。だから良かった、これは成功例だ。ちっとも嬉しくないのに、安心している。あんなに自分が大事で仕方なかったくせに、案外自分のことなんてどうとでもなるらしい。その電話があった日の夜は馬鹿みたいに夜通し泣き続けたけれど、一晩経ってからは泣くことはなかったのだから。
河野からの話は、少し時間が欲しいと泣きそうになりながら頼み込んだら満足したように頷かれた。あの男に情があるのかは知らないが、もう自分の逃げ道が塞がれていることだけ確信させて泳がせている。まるで台本でもあるかのように誘導されている事実が、気持ち悪い。

携帯の電話帳に、幸村精市の名前はもうない。着信拒否に設定して、連絡手段は潰した。これで、もうお人好しな彼が自分に構うことも、愚かすぎる自分が彼に縋ることもない。気付いてほしいなんて思わない。これで良い。どうせ自分では彼を笑わせることが出来ないし、彼にまであの醜い男の毒牙にかからなければならない理由などない。全部、自分の身勝手さが引き起こしたことだ。


「、さむ…」


顔に吹き付ける風に身震いし、首もとに巻いたマフラーを口が隠れるまでまくり上げる。少し格好悪いけれど、寒さばかりはどうしようもない。地下鉄は暖かいのに、一歩外に出るとあまりの気温の差に一気に体調をおかしくしそうになる。びゅうびゅうと吹く風に痛みすら感じる。もう十二月も下旬に入るし、コンビニのアルバイト帰りでは十一時近くなってしまって寒さも最高峰になる。けれど見回せば、街も学校もどこもかしこもクリスマス一色に染まり、きらきらと光るイルミネーションが商店街を華やかに飾る時期だ。一人で過ごすクリスマスは、何年振りだろうか。独りなんて、慣れてしまえば大したこともないし、それに家族は一緒に住んでいるのだから。大学では試験の忙しさも重なってクリスマスのことなんて考えもしない。
ひとりで良いと思ったし、ひとりで居たかった。考えるのも面倒くさいし、考えたってどうせ間違えるから。適当で、良いや、って。

だから、そんな自棄みたいなことを考えて納得させようとして、何も見えていなかった。地下鉄からの階段を上がって、その途中から見えた壁に寄りかかる影を認識しながらも、逆光のせいでその形なんてまるで意識に入ってこなくて。地上まであと一段、限りなく近くなった頭の高さ。こんな時間に、待ちぼうけでも食らっているのか、可哀想に。赤の他人への同情なんて思い浮かべて、無意識に視線を向けた。漸く視界に映った横顔に時間が止まったような錯覚。まるで写真のように、動かない表情。それから、その人の吐く息が空気に溶けるのを見てそれが現実だと自覚する。地下から僅かに漏れる人工的な明かりを浴びて、髪と頬の輪郭が滲む。まっすぐ、遠くを見るような視線はまだこちらを捉えない。


「…………あっ」
「っ!!」


やがて、僅かに動いた目線が芽夢を視界の端に入れた。小さく上がった声に、本当に弾かれたみたいに勝手に足が動き出した。逃げないと。本能的に悟った身体が走り出したら、もう無我夢中だった。後ろから別の足音がして、それが誰のものかなんて考えるまでもなくて。

なんで。なんで、なんで!もう会いたくないのに、顔も見たくなかった!なのになんでまた近づいてくるの!お願いだから、ほっといてよ、もうやだよ、もうっ


「っ芽夢!」


さわん、ないで。そう言いたかった言葉は音にならなくて、呆気なく掴まれた腕に引っ張られてがくりと身体が傾いた。


「っや、やだ、はなしてっ」
「じゃあ逃げるなよ!ちょっと、俺の話聞いて」
「なんでっ、なんで来たの!?話したくなんかないっ、帰してよ!」
「ここまで来て、帰れるわけないだろ!」
「やだ、本当にや、なの…やだ…っ」


どうにかして離れたくて、掴まれていない方の手でその大きな身体を押すのにびくともしなくて。だんだんと息苦しくなるような感覚が嫌で、顔を見たくなくて視線をコンクリートに落とした。走っていたせいで乱れた呼吸が戻らない。いつもなら少し走ったくらいでこんなふうにならないのに。悔しい。あんなに鍛えていても簡単に追いつかれてしまうことが、このひと一人の存在くらいで簡単に乱れてしまう感情が。指先が震えるのが嫌で背中を曲げて縮こまれば、胸を押す芽夢の手も彼に包まれて、とうとう逃げ場どころか死角をつく隙さえも失った。


「…俺のこと、怖い?」
「……」
「俺も、君が怖いよ」
「、は…」
「嫌われるのが怖いし、何考えてるか分からないとこも怖い。変に傷付きやすいからそれも怖い」
「っ、」
「でも、好き」
「っわ、たしは」
「好き。大好き」


握られた手に力が込められて、投げかけられた言葉に何も返せなくて口を噤んだ。なんで、どうしてこの人はまだそんなふうに言ってくれるのだろう。今だけじゃあない、ずっと、何度も酷いことをしてきた。受け入れてくれる彼に甘えきって、それなのに裏切った。怖い。この人が怖い。突き放してくれない彼が怖くて、顔が上げられない。こんなの、都合の良い夢だ。そう思えたら良いのに。笑っているのか、それとも真剣な顔をしているのだろうか。単調な声色からは分からない。不意に、腕を引かれて抱え込まれるように彼の両腕に抱き締められた。あ、と上がりそうになった声が思わず引っ込んだ。つめ、たい。手のひらもだったけれど、頬に触れる髪も、屈んで肩口に埋められた頬も。彼の身体中、全部がまるで凍っているみたいに冷たかった。


「芽夢…」


それなのに、名前を呼ぶ声があまりに熱っぽくて、優しくて。それだけで絆されてしまったみたいに、心が疼く。自分から彼を突き放したあの日以来、おかしいくらい出てこなかった涙が、今になって。
ねえ、何時間あそこで待っていたの?いつ通るかも分からないのに、あんなに最低なことを言ったのに、こんなに冷たくなるまで、一体どれくらい。どうしてあなたはいつも、こんなにも全身で私を許そうとしてくれるのだろう。


「ごめん、なさい」
「うん」
「ごめんなさい…っ」


一度崩れてしまえば、それまでの虚勢なんて酷く脆いもので。今まで押しのけていた幸村の胸にすがりつく頭に、彼は何の躊躇いもなく手のひらを回した。あまりに自然な彼に涙がまた溢れて、道端で子供みたいに恥ずかしげもなく泣きじゃくった。
多分、涙声と支離滅裂な言葉で理解出来ないくらい酷い話し方で、馬鹿みたいに隠していたこれまでの出来事を全部吐き出した。河野がほのめかしてきた脅迫まがいな言葉なんて、もう何の妨げにもならなかった。抱きしめてくれる腕が、溶け合っていく体温が、愛しくて苦しい。
全てを話して、まだ嗚咽の止まらない芽夢の背を幸村の手のひらが子供をあやすように撫でる。軽蔑されるようなことを、たくさんやったし、言った。それでも彼は変わらず接してくる。嬉しいのに苦しい。悲しいのに愛しい。こんな感情を、この人に何度抱いたのだろう。


「ありがとう」


抱きしめる力を緩めず、本音ごと包み込んでくれるこの人が、どうしようもなく。


「守るよ。俺が、芽夢を守る」
「っ、でも…」
「信じてほしいなんて、言わないから。黙って俺を信じろよ」


好きだ。
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