U・シンデレラヴィジョン | ナノ



日高の人工呼吸器が無事外され、もう命の心配はいらないといわれるまで回復してから、数日。芽夢は相変わらず毎日のように彼の病室に通い続けた。最初は妹だと思われていた看護士たちからも、今では恋人を跳躍して良い奥さんね、なんて言われるようになった。もちろん、悪い気はしない。その度に、ありがとうございますと社交的な礼を述べて笑顔を浮かべる彼に僅かな違和感を感じてはいたが。共に過ごした、とはいっても会話すら出来なかった芽夢の誕生日。その時に買いそびれたケーキは、彼がちゃんと食事が出来るまで元気になったら一緒に食べるつもりだ。プレゼントは、彼が目覚めてくれたという奇跡でむしろ貰いすぎたくらいだと思っている。


「芽夢、学校は行ってるのか」
「もちろん。課題とかは出来るだけここでやれば良いんだし、心配しなくても平気」
「そんなこと言って、ここで課題やってるのなんて殆ど見たことないぞ」


あ、バレた。なんて笑ってみせる。それに合わせるように、日高も苦笑する。まだ起き上がることはできないが、ベッドの上で首を動かすくらいならもう問題ない。時折、彼は芽夢に学校のことを言う。いや、学校だけではなく、サークルや交友関係、とにかく自分の怪我に関わらないこと。それが、芽夢を早く病院から帰そうとしているみたいで、芽夢はあまり好きではなかった。もちろん彼は純粋に、芽夢の私生活を心配してのことだとは思う。が、芽夢にとっては毎日この病室に足を運ぶことが日常になっているのだから、改善すべきことなんて何一つない。怪我が治ればリハビリが控えている彼を、出来る限り近くで支えるのが、今の芽夢が最も優先すべきことだ。もちろん、そのために大学生活を棒に振るような真似は彼が望まないということは理解しているから、できることも限られてはしまうが。それでも、毎日会いにくることくらい何の苦痛もない。


「芽夢、今日みんなで飲みに行くんだけどどうする?」
「うーん…ごめんなさい、また今度」


苦く笑って、誘いを断る。芽夢がラクロスのスティックを持ち歩かなくなった姿が、もう当たり前になった頃だった。サークル仲間からの誘いだったため、断る理由は言わずもがな。たまには息抜きも、とも言われたけれど、迷わず首を左右に振る。人付き合いが悪くなったことは自覚しているけれど、もうしばらくは仕方ないと、彼女たちも理解してくれているだろう。サークルのメンバーは、彼の後遺症についてまだ知らない。怪我さえ治ればまた以前のように動けると思っているのだ。それは日高本人から頼まれたことでもあった。余計な心配をかける必要はない、完全に回復する見込みがなくなった時に初めて話すのだと。だから、芽夢もその意向に従うだけだ。
サークルの仲間に別れを告げ、もう習慣となった病院へ向かうべく、学校を出る。広い敷地内から一歩踏み出し、しかしそのまま芽夢は立ち止まった。偶然なのか、確信犯なのか。ばったりと、遭遇してしまった。一歩先に進んでいたらぶつかっていたであろう近い距離に立つ、幸村に。あ、と二つの声が重なる。ここのところずっと、遠くにいるのを見かけるばかりだった人がすぐ近くに居て、芽夢の身体はぴしりと固まった。どうやら、向こうも飛び出してきたのがまさか芽夢だとは思わなかったようで、ぽかんと口を開けてこちらを凝視している。


「…えっと、こんにちは」
「あ、うん、こんにちは」
「…………」
「…………」
「…………」
「……水竿さん、久しぶりだね」
「あ、はい」


挨拶、沈黙、会話、沈黙。校舎前に突っ立って動かないままの二人は、周りから見たら不審なのだろう。幸村と、ずっと会わないことは何度もあった。そもそも学部が違うのだからそんなしょっちゅう顔を合わせる方がおかしいのだが。ただ、今回は今までのようにどちらかが避けて通っていたわけではない。ここ数週間の慌ただしさのせいでタイミング悪く会わなかっただけだ。喧嘩をしたわけでも、気まずくなる理由があったわけでもないのに、どちらとも話しもしなければ立ち去ることもしない。否、動くタイミングを見失ってしまったのだ。稍あってから、あのさ、と呟く幸村に、芽夢はたどたどしく返事をした。


「…彼氏、目覚ましたんだってね」
「、はい、おかげさまで」
「そっか、良かったね」
「ありがとうございます」
「…………無事、で、…よかった」


絞り出すように、小さく零した言葉。それは芽夢に向けたものか、話したこともない日高へのものか。けれど、その台詞とは反して無理をするように苦く笑う幸村。どうしてそんな顔をするのか、芽夢には分からなかった。どこかよそよそしくなる幸村に違和感を覚えながらも、それを尋ねる勇気は芽夢にはなかった。ありがとうございます、と色んな人に何度も言った台詞を吐いて、芽夢は笑顔を作った。この人も知らない。彼と芽夢の長くなるであろう戦いは、まだ始まってすらいないことを。そんなこと、知らなくて良い。きっと必要のない心配をかけてしまうだろうから。


「じゃあ、わたし病院に行くので」
「あ、水竿さん」
「はい?」


あまり長く居て、ボロを出してしまってはいけない。そう思い別れの言葉を出したのに、それは意外にも彼に呼び止められたことで無駄に終わった。既に背中を向けていたため身体を捻るようにして振り向けば、もうあの戸惑いの色は消え去った幸村が、こちらをまっすぐ見据えていた。


「無理、してない?」


心配するように投げかけられた言葉に、はい?と先ほどと同じ返答をしてしまう。何がですか、なんていつもの考えなしな言葉が出そうになって、慌てて飲み込む。


「してませんよ、私は元気です。大変なのは、彼の方ですから」


当たり障りのない会話、というのは実は苦手ではない。今まで不器用ながらに自分に都合の良いことばかり考えていたせいか、そういうことにばかり長けてしまったらしい。幸村はどこか苦い顔をしながらも、そっか、と短く呟いた。自分から尋ねてきたのに、まるで彼の方が何か無理をしているように見えてしまった。


「芽夢」
「……あ、うん、なに?」


小さな呼びかけに、芽夢は弾かれたように顔を上げた。その先には、まだベッドに縛り付けられたままの恋人の姿。学校から病院に移動してからも、今日はなんだかぼうっとしてしまうことが多い。開いたカーテンの向こうは、もう殆ど真っ暗になっていた。最近は日が落ちるのも早くて、夕焼けが見れることもない。そろそろ、彼が帰るようにと言い出す頃だ。たまには聞き分け良くならないと、とベッドサイドに投げ出された携帯を掴み鞄に突っ込んだ。


「芽夢」
「うん?」
「昼間にな、おまえのご両親が来たんだ」
「え、お見舞い?」
「いや、俺が呼んで来てもらった」


鞄の留め具を付けて、芽夢は日高に顔を向けた。白い部屋に白いベッド。いつも太陽の元に居るイメージのある彼には、あまり似合わない部屋だと常日頃から思っている。というか、おそろしく入院服が似合わないのだ。個人的に、背が高く日本人らしい黒髪の彼には黒いスーツが似合うと思っている。おっと、失念。
彼と芽夢の両親は、端から見ても仲が良い。彼の家族は実家である長野に住んでいるためあまり会うことはないが、彼が芽夢の家に来ることは多い。だから、両親が芽夢に言わず彼の見舞いに来たといってもおかしいことは何もない。はずなのだが。来てもらった、と彼は言った。それは、見舞いでない用事があったからに違いない。やけに真剣な面持ちの彼に、芽夢にも僅かに緊張の糸が張る。ざわざわと胸騒ぎのようなこの感覚は、勘違いだろうか。「なんの、はなし?」平然を装いながら尋ねれば、切れ長の瞳が僅かに伏せられる。そして。


「娘さんをお返しします、って話だ」


吐き出された言葉は、一気に冷め切った芽夢の中にすとんと落とされた。


「っ、なんでッ!!」


まるで何かに弾かれたように、芽夢は叫ぶなり日高に詰め寄った。まだ怪我が完治しない彼を揺さぶるような馬鹿な真似はしなかったが、両手で目一杯握りしめた入院服に幾つもの皺が刻まれる。ショックを受けているというよりも、まるで怒っているような芽夢の態度は、おそらく異常だった。きつく眉を吊り上げて睨まれても、日高は決して動じなかった。


「おまえ、事故の前に言ってたこと覚えてるか」
「っ、あれは…でもっ」
「芽夢」
「ちがうっ、違うの…嘘で言ってるんじゃない…雅人が、大事なの…っ」


じわり、涙の薄い膜が視界を滲ませる。嘘じゃない。全部、本心なのに。
幸村が好きだった。過去の自分と、誰も受け入れてくれないと思っていた卑屈な自分を認めてくれた。たくさんの優しさに包まれた、強さに助けられた。だけど、あの日、日高を失うと思った瞬間、そのショックで自分も死んでしまうかと思った。自分のせいで自由を奪われた彼の傍らに寄り添いたいと、本気で思ったのだ。それなのに、伝わらない、この人には。それが、苦しくて仕方ないのに。芽夢、と。もう一度名前を呼ばれて、大袈裟ではなく肩が跳ねた。


「芽夢、俺言ったよな。勝手にしろって」
「っだから…!」
「好きなようにして、良いんだ」


意味の分からないこと、言わないで。私は自分の意思で一緒に居ると決めたのに、まるで無理やりそうしているみたいに言わないで。
無理、してない?と、夕方に言われたことを思い出す。してない、無理なんて。
昔、彼がそうしてくれたように、自分も彼のそばで支えたい。それだけなのに。何がいけないの。どうして、遠ざけようとするの。
わたしはっ。


「初めてだったな」
「…?」
「俺のためにって怖い思いしながらラクロスを続けてくれたり、何でも受け入れてたおまえが、怖がりながら初めて自分の意見を優先させただろ。俺は嬉しかったよ。芽夢に、辛い思いをしても譲れないものが出来たんだって思って」


絶句した。彼が、今まで芽夢が嫌々ながらラクロスを続けていたと思っていたことに。けれどそれ以上に、すぐにそれを否定出来なかった自分自身に。この人のために、この人が望むなら、どんな評価をされようと、この人にずっと見てもらうためなら。そんなふうに、考えていたことは事実だった。自分の世界とも言えるフィールドを失った芽夢には、それだけが希望だった。ああ、だけど、だけどいつから。
ラクロスをしたくない、と。思っていたのだろうか。


「…っ」


分からない。何も分からない。自分の本心も、彼の言うことも。ぐしゃぐしゃにかき乱された思考をコントロールできないことが気持ち悪くて、勝手に溢れ出る涙が頬を伝って白い部屋に落ちる。涙を拭うこともせず無我夢中で彼に腕を伸ばした。太い首にしがみついて、肩口に額を押し付けて嗚咽を漏らした。子供みたいに泣きじゃくっても、両腕を使って縋りついても、彼から触れてくることはない。それは、腕が動かないからではない。それくらい分かる。
いつもそうだ、この人は。自分が決めたことには一途で、強引で、少し横暴。もう、嫌だと髪を振り乱して言っても少しも動揺しないのだろう。こんなに、愛されたいと思ったことはない。こんなに、愛してもらうことに必死になったことは。ああ、でも。
わたしが愛したいと、思う人は誰だろう。幸せになって欲しいと願っていたのに、私が幸せにしたいと、そんなおこがましいことを考えるようになったのは、いつからだろう。
背中に触れない手が、温度が、恋しいよ。幸村さん。
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