U・シンデレラヴィジョン | ナノ



雨の日は嫌いだ。大好きだという人の方が珍しいが。
私が雨が嫌いな理由は主に二つある。一つは、屋外スポーツがまとめて出来なくなること。もう一つは、通勤ラッシュが普段の倍も二倍も混んでいること。
その日、私は嫌な予感を感じつつも地元駅に向かい、想像通りの光景に思わずため息を零した。雨というだけでじめじめして出掛けるモチベーションが下がるのに、右も左も人混みばかり。今日も約三十分、サラリーマンや学生にもみくちゃにされることはまず間違いない。私の身長は百五十センチと少し。さばを読むのは嫌なので身長を聞かれたらそう答えるようにしている。低身長というだけで、雨の日の通学は一種の地獄のようである。満員電車で、チビにかけられる情けはない。まるで戦争だ。
立海大学。私が通う学校の名前だ。私は今年の春にその学校に入学し、最初の定期試験を終えこの生活にも慣れてきた頃だ。大学生にはとても見えない、とは友人にも親にも言われ慣れるくらいに言われている。身長が低いのも、比較的童顔なのも事実で、それを少しでも良く見せようと大学生になってからは毎朝化粧を欠かさず、ヒールの高い靴を愛用している。今日のような雨の日はさすがにスニーカーか、かかとの低い靴を選ぶようにしているが、それが満員電車で押しつぶされる原因にもなっているから憎らしい。せめて音楽でも聴きながら気を紛らわせないと、鬱憤と人酔いで通学を諦めてしまいそうになる。
今日も私は満員電車に揺られ、サラリーマンの肘に頭をど突かれたりしながら三十分を過ごすのだ。


『次は、立海大学前』


そんなアナウンスをかすかに聞き取って、顔を上げる。耳元ではアップテンポなポップスが鳴り響いている。首が痛くなるくらいまで見上げないと車内の電子プレートが見えないのも困りものだ。サラリーマンの頭に遮られながらも、そこには確かに立海大学前と表示されている。地獄の三十分の終わりが見えた。ゆったりと電車が停車し、ドアが開くなり人が塊になって出入りする。その間ももれなく四方から押しつぶされながら、慌てて電車から降りた。漸く吸えた外の空気に肩の重荷が降りた、のも束の間。いつものように人の波に乗りながら改札を出た時、不意に流れていた激しいギターリフが遠のいた。一番好きな部分で取り上げられたそれに目をまばたかせる。見れば、今まで耳に収まっていたはずのイヤホンのコードが、すぐ目の前を歩く見知らぬ誰かの肩掛けバッグの金具に引っかかっていた。


「え、ちょ、あっあの…!」
「え?」


突然のことに戸惑いながらも、危うくウォークマンから外れそうになるコードを掴んでその背中に声を投げかけた。この人混みの中でも、運良くそれに気付いてくれたその人は立ち止まりこちらを振り返った。
う、わ。と上がりそうになった声はすんでのところで呑み込んだ。綺麗な人だ、と思った。少し女性のような雰囲気を感じさせる穏やかな顔立ち、短く癖のある青みのかかった黒髪が余計にそれを引き立てる。けれど私よりも遥かに高い身長と、細身でありながらも半袖シャツから伸びる筋肉質な腕が、美人としか言いようのない顔をしている彼を男性だと主張していた。顔立ちもさることながら、私は彼の身体に惹かれた。何かしらスポーツをしているであろう、無駄のない筋肉のついたスタイルは幼い頃から憧れていたスポーツ選手を彷彿とさせる。その上、身長は自分より頭一つ以上に高いのだ。見惚れない方がどうかしている。
と、そんな私の勝手な人間観察に痺れを切らせたのか、振り返った状態のまま今度は彼が「あの」と声を上げた。瞬間、我に返る。


「あ、すみません!あの、私のイヤホンが」
「え?…あ、ああ。すみません」


彼の視線が限りなく下を向いて、繋がれた白いコードを捉えると納得したように頷いた。彼の手が鞄の金具とコードに触れる。大きい手に、長い指。てっきり顔と同じく傷ひとつない綺麗なものだと思って見つめると、意外にも手のひらは男性そのものだった。やはり何かしらスポーツをしているのだろう、親指の付け根に胼胝を見つけた。そうやって観察している間に、彼は絡まったコードを綺麗に解いていた。イヤホンの部分を差し出され、慌てて受け取る。


「はい、どうぞ」
「あ、すみません。ありがとうございます」
「こっちこそ、気付かなくてすみませんでした」


ふわりと、まるで花のように微かに笑った彼に目を奪われる。見れば見るほど綺麗な人だ。どこか繊細なイメージを感じさせる表情と、男性らしいスタイルのギャップにも無性に惹かれる。こればかりは女に生まれたが故の性といえる。けれど、だんだんと見つめているのが恥ずかしくなって、もう一度早口で例を述べて私は再び歩き出した。絡まっていたイヤホンは取れて彼にも引き留める理由も当然在るわけもなく、若干の名残惜しさに振り向いた時はもう通勤ラッシュの人混みで彼の姿はどこにも見えなかった。惜しいことをしたかも知れない。どうせなら、何のスポーツをしているのかくらい聞いておけば良かった。

けれど、私は知らない。


「…あれ?」


このほんの一分にも満たない会話が、始まりだったのだ。


「これ、女の人の名前…?」


小さな偶然が重なり、まるで運命だとでもいうように物語のページは開かれた。
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