U・シンデレラヴィジョン | ナノ



あんな別れ方で納得できるほど、聞き分けが良いわけではない。ただ、彼にあそこまで言わせて、性懲りもなく会いに行くほど前向きなわけでもないのだ。幸村に嫌われた。それも仕方のないことだと割り切ったつもりでいたのに、実際はそんなこと全然なくて、それからもずっと彼の後ろ姿を目で追っている。学校で、通学路で、その姿を見かける度に勝手に視線がそちらを意識してしまう。それでも、一度も目が合わないのは彼が故意的に避けているからとしか思えなかった。もう、顔も見たくないくらい嫌われたのか、それか最早意識する対象ですらなくなったのか。彼の真意を知る手段はないから、次々と嫌な予想ばかりが浮かんでくる。きっと、どれも外れてはいないのだろうけれど。またこうやって勝手な想像をして、自分を守ろうとしている。

幸村との関係がぱったりとなくなってから、もうすぐ一カ月が経つ。最初のうちは学校で見かけても、まるで知らない相手のように目も向けられなかった。そのまま夏休みに入って、それっきりだ。定期的にあるサークル活動の合間にテニスサークルを見かけることも少なくはないが、やはり彼と視線が合うことは一度もなかった。
そのまま二週間も経つ間に、なんとなく諦めの方が強くなってくるような気がした。仕方ない、なんて諦め方、昔の自分なら絶対にしなかったのに。これ以上嫌な思いをするなら、もう触れない方が良い。そんな弱い考えをするようになったのは、いつからだろうか。昔の自分が嫌い、誰の目にも映っていた頃の思い出が苦しい。同時に、羨ましくて仕方なかった。幸村に会って、その気持ちも薄れてきたと思ったのに。
もう、彼のことを考えるのはやめよう。何もなかったように、今までと何ら変わりなく生きていくのだ。ほんの短い期間のことだ、いつか忘れられる。


「芽夢、どこまで行くの」
「えっ」


後ろから声を投げかけられて、芽夢は前のめりになりながら立ち止まった。振り返れば、サークル仲間たちが揃って訝しげにこちらを見ていた。そのまま目線を上に上げて、芽夢はその意味を理解した。目的地である店の前を五メートルも通り過ぎていたらしい。早足で仲間のところに駆け寄れば、ぼけっとしすぎだと笑いながら背中を叩かれた。最近、気が抜けすぎだと注意されることが増えた。練習の間は、さすがに気をつけているから支障はないが。
先輩に飲みに行こうと誘われたのは一昨日のことだった。日本に帰ってきてから誰かと遊ぶことが減ったと話したことがきっかけだった。今年に入ってサークルメンバーで飲んだことがない、と誰かが言い出して、そのまま流れでその場に居た芽夢を含めた五人で約束を取り付けたのだ。幸村のことも、気にしないようにするうちにあまり考えなくなってきた芽夢にとって、丁度良い気分転換になるだろうと思って賛同した。日本で誰かと酒を交わすのは、恋人以外ではほとんど初めてだ。浪人中にアルバイト先の仲間と食事をする機会もあったが、回数は少なかった。久しぶりの飲み会に、気分も踊っていた。


「久々に飲むぞー!」
「ねえねえ何食べる?あっ芽夢、豆腐サラダあるよ」
「あ、欲しいです」
「芽夢って白いもん好きだよね」
「白いもんって…まあ乳製品とか健康食品は好きだけど」
「サプリとか?」
「ばーか白井、そりゃ食べ物じゃないだろ!」
「肉は食べないの?」
「普通に食べますよー。でも魚のが好きです」
「なんか年寄りみたいだね」
「菊川は年寄りに謝れ」
「生ビールの人ー!」


はーい!と二本の腕が上がる。残りの一人はカシスオレンジ、芽夢はウーロンハイを注文した。サークルでの久々の食事会とあってか、皆アルコールが入る前から何だか楽しそうだった。こういう空気は嫌いではない、むしろ好きな方だ。時間が早いからかすぐに運ばれてきたジョッキとグラスを持って、乾杯の声で一気にざわめき立つ。次々とテーブルに置かれるおつまみや焼き鳥に手が伸びる。豆腐サラダは頼んでもいないのに芽夢の前が定位置になっていた。
芽夢もお酒はわりと好きな方だ。アルコール自体もだが、誰かと飲んでいる時は普段以上に打ち解けられることも多いから。それが大学生活を共に過ごす人とならば尚更。遠慮がないのか、十分経つ頃には一つ目のジョッキが空になっていて思わず笑ってしまった。
サークルのことや、課題のことを話したり、時折どの教授が厳しいだとか、誰の授業が詰まらないだとかいう愚痴を挟んだりもして、そういう時間が楽しかった。ついこの間まで悩んでいたことなんて、すっかり忘れられるくらいには。三杯目に頼んだ白桃サワーがなくなる頃には、芽夢も何となく酔いを自覚し出していた。ちなみに企画者の一人は良い具合に出来上がっていて先ほどから事あるごとにげらげらと笑い続けていた。


「私トイレ〜」


そう言って隣の席の荒木が立ち上がり、芽夢は通り道を作るように身体を反らした。悪いねえ、なんて歳に似合わない台詞を言いながらトイレに向かう彼女も、心なしか酔いが回り始めている気がする。ちなみに芽夢は誰も手を付けない豆腐サラダの処理に勤しんでいた。横目で時計を確認すれば、もう最初の注文から一時間が経過していた。楽しい時間というのは早いものだ。どうりでサラダがぬるくなっているわけだ。


「え!ちょ、マジー!?」


そんな、聞き覚えのある声が背後で聞こえて、芽夢は口に入ったキャベツを飲み込みながら振り返った。今の声は、ついさっきトイレに立った荒木のものだ。見れば、彼女はトイレではなく、別のテーブルも前で何故か爆笑していた。まさか酔っ払って見知らぬ人にでも絡んでいるのかと焦ったが、どうもそんな雰囲気ではない。荒木だけでなく、相手方も手を上げて騒いでいたからだ。ちょうど仕切りが邪魔をして向こうの顔は見えないが、雰囲気から察するに知り合いにでも出くわしたのだろうか。と、荒木はすぐに方向転換すると駆け足でこちらに戻ってきた。あれ、トイレは良いのか。そうは思ったものの、やけに興奮した様子の彼女にそんな水をさすようなことは言えなかった。


「ねえ菊川!盛岡たちあっちで飲んでんだけど!」
「え、盛岡?マジで?」
「でさー、一緒に飲まないかーって!あっちも五人らしいし!」


三年生二人の会話に、他の全員が首を傾げる。どうやら二人の知り合いらしい。ということは、同じ大学の学生なのだろうか。芽夢たちが首を傾げている間に、酔っ払い二人によって話はみるみる進んでいって、二つ返事で了承した菊川に荒木は「じゃあ呼んでくる!」と再び向こうに走っていってしまった。「あんねー、盛岡って荒木が惚れてる奴なのー、多目に見たってなー」なんて間延びした口調で言われてしまえば、もう反対するという選択肢はない。そうか、向こう側にいるのは先輩の片思いの相手ということか。それならば協力するしかない、こんな場所で会ったのも運命と思えばロマンチックではないか。


「よっす、ラクロスサークルの皆さん〜」
「おー盛岡!いらっしゃーい!」
「はいはい、お世話になりますよーっと」


一分もしないで現れた盛岡という人。ずいぶんとガタイが良いというか、見るからに逞しい人だった。向こうも五人ということで、まず最初に席移動が始まった。詰めて詰めて、と押されながらグラスを片手に向かいの席に移動する。酔っ払っているからか、想い人と一緒にいるからか、荒木のテンションがやけに高い。相手は先輩なのに、なんだか可愛いと思ってしまった。席の移動が終わって、男女が向かいになるようにラクロスサークルの面々が横一列になった。氷が溶けてほんの少しだけグラスに残った薄いサワーの飲み干して、芽夢は一息ついた。ふと、目線を落とす。そういえば、食べかけのサラダを持ってくるのを忘れていた。同時に、隣に座る白井が同じことに気付いたようで声をあげた。


「あれ?あんたの豆腐サラダないじゃん。サラダどっかにあるー?」
「サラダ?ここにあるよ」
「あ、どうも」


声と同時に持ち上げられた皿が目について、芽夢は何の躊躇いもなく身を乗り出してそれを受け取ろうと手を伸ばした。
瞬間、交わった視線に時間が止まったと錯覚した。皿を持つその手の先にある顔を見て、芽夢は上手く反応出来なかった。それは向こうも同じだったようで、二人の間にあるサラダの皿がぐらりと揺れた。

ゆきむら、さん。漸く正常に脳が働いたかと思えば、その名前は声にならなかった。身体も思考も動かない。酒が入っていなければ、すぐにでも目を逸らして逃げただろうに。
ただ、久しぶりに見る彼に、心臓ごと意識を持っていかれたような錯覚を起こした。
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -