U・シンデレラヴィジョン | ナノ



ああ、馬鹿な私は自分から開いてはいけない扉を蹴破ってしまったようだ。そう、理解しきるまで半日以上かかった。何があった、と言われればはっきりとは答えられない。よく、覚えていないのだ。幸村に告白をした。自分の気持ちに決別するために、思い切り振られようと思って。文字通り、当たって砕けるつもりだった。恋は下心とは言うが、何もこんな時にその下心を叶えてくれなくても。


「水竿さん、好き」


がつん、と頭を壁にぶつけたくなった。実際、それに引けを取らないくらいの衝撃はあったわけだが。
好き?幸村さんが、私を?いつも、私と雅人を応援してくれていた彼が?そんなはず。
そこまで思って、芽夢は自分の頬を軽く平手で打った。馬鹿。あの時の彼の顔を忘れたわけではあるまい。あんなに、切なそうに眉を顰めて、熱があるのかと思うくらい頬を染めて、あんなに強く手を握られたではないか。必死に絞り出したような好きの二文字に、鈍い自分でもはっきり分かるくらい彼の気持ちが込められていたではないか。本気、だった。それが分かってしまったから、逃げたんだ。
ごめんなさい。それだけ言って、芽夢は幸村の手を振り払って逃げ出した。混乱していた。背後から幸村に強く名前を呼ばれても、振り返れなかった。まさか、まさか彼が自分を好きでいてくれたなんて。初恋だと言ってくれたことがあった。けれど、そんなの昔の話で、事実彼と大学で会った時には彼には恋人がいた。思い出、だと思ってそんなこと考えもしなかった。いつから?大学で再会してから?それとも、もしかして中学のあの時から…。
そこで、気付いた。そんなことを考えてどうしようというのか。決まっている。嬉しいんだ。彼の気持ちが自分にあるという事実に、別れようとしていたはずの傲慢な気持ちが帰ってくる。だけど、自分で決めたじゃあないか。私が帰る場所は一つだけだ。たとえ彼の気持ちを知ったとしても、変わらない。
言わないと、彼に。きっと傷付ける、今度こそ嫌われてしまうかも知れない。それを知っていて、幸村と恋人を天秤にかけたのだ。


「幸村さん」


一日経って、芽夢は幸村を訪ねた。といっても、たまに見かける場所を手当たり次第に探しただけだが。本当は、携帯に入っているメールアドレスを使えば早かったのだろう。けれど、どうしてもメールで済ませるつもりになれなかった。結局芽夢は、今まで彼のアドレスを使ったことがない。見つけた背中に声をかければ、振り向いた彼はいつもの笑顔ではなかった。芽夢の姿を見るなり早足で寄ってきた彼に、強く腕を掴まれる。昨日よりも強い、少し痛いくらいの力で。


「水竿さん、昨日どうして逃げたんだい?俺、何か困らせた?」
「…ごめんなさい。少し、びっくりして」


問い詰めるような聞き方は、なんだか彼らしくないと思った。納得がいかないという様子の幸村に、芽夢は困った顔をするしかなかった。歩き出した幸村にゆっくり手を引かれ、芽夢は身体を傾ける。廊下の真ん中でできる話ではないと、悟ってくれたのだろうか。無言のまま幸村に着いて行って、たどり着いたのは良く彼と会うテラスだった。あの日と同じ、一番端の目立たないテーブルに腰掛けた彼。その正面に、芽夢も腰を下ろした。授業中だからか、他の人影はない。芽夢はぽっかり空いた金曜日の三限の暇を潰すのに良くこの場所を利用するが、幸村がどうなのかは知らなかった。もしかしたら授業が入っていたのかも知れない。そうだったら迷惑なタイミングだが、きっとこれを逃せばチャンスはない。
「幸村さん」意を決して、名前を呼びながら俯いた顔を上げれば、いつになく真剣な表情をした彼がまっすぐこちらを見ていた。言わなきゃ。名残惜しさを感じてしまう前に、ちゃんと。


「私は、幸村さんが好きです」
「うん」
「だけど、すごく大事な人がいます」
「……あの人?」
「はい」


素直に頷けば、彼の表情が僅かに歪む。そんな顔を、させたいわけじゃあなかったのに。浅はかな考えが引き起こした、今の状況。悪いのは自分なのに、どうして彼にこんな顔をさせてしまうことになったのだろう。自分には、ただ頭を下げることしか出来ないなんて。


「ごめんなさい。私が言ったこと、忘れて下さい」
「…なんでだよ。君は俺が好きなんだろ?俺だって君のことが好きだ、なのに」
「私には、雅人しかいません」
「っ…水竿、さん」
「あの人を、愛しています」


これが、自分自身の嘘偽りない気持ちだ。彼を愛している。私を愛してくれた彼を心から。幸村と彼を天秤にかけて、恋人を取った。悲しげに名前を呼ばれても、返事は出来ない。ナイフで抉られるように胸が痛んだけれど、きっと何倍も傷付いた彼の前で表情に出すことは許されない。縋るように向けられた視線が伏せられて、唇がきつく結ばれる。苦渋に満ちた表情。そうさせたのは他でもない自分なのに、そんな顔をしてほしくないと思うなんて。


「…そ、っか」
「……幸村さん」
「考えてみれば当たり前か。分かっては、いたけど…どうしよう、二回も同じ子に失恋とか、かっこわるいなあ」


くしゃりと髪をかき乱しながら、幸村は手のひらで顔を覆った。かっこわるくなんか、ない。悪いのも、傷つけたのもこちらなのに。わざと明るい口調にして、全部自分に溜め込んで。だけど、それは芽夢が触れていいものではない。こんなに、こんなに優しくて素敵な人なのに、どうして自分だったのだろう。違う誰かだったのなら、きっと何よりこの人を大切にしていただろうに。こんなに酷いことをしても、許してくれようとする彼に、どうしようもなく切なくなる。


「幸村、さん」
「…なに?」
「もう、私に構ってくれなくて大丈夫です」
「え?」
「こんな最低なことして、優しくしてもらう資格ないです」


それが、きっと一番良い。今までが近すぎたのだから。距離を置いておくべきだと思った。自分のためにも、彼のためにも。
なのに、見開かれた瞳はみるみる鋭く研ぎ澄まされたように細められ、彼の雰囲気の色が一変した。今までの悲しんでいるような様子から、苛立ちを全面に出したような表情に身体が竦んだ。強く睨まれて、怖いのに目がそらせない。


「なんで、そう思うんだよ」
「っ、だって…」
「俺がいつ、君と離れたいなんて言った?」


それは、そうだけれど。けれど、何故怒るのか分からなかった。彼の気持ちを無碍にした時よりも、ずっと辛そうに眉を吊り上げながら怒る幸村の思考が、少しも分からなかった。だって、それが一番だと思った。こんなに酷いことをして、今までのように接してもらおうなんておこがましい考えだ。だからこそ、もう間違いのないように離れる決心もして来た。けれど、それがどうして彼の癇に触ってしまったのか分からない。じりじりと燃えるように鋭い視線に射抜かれ、嫌でも身体が勝手に畏縮する。彼の口が言葉を発するのを、こんなに怖いと思ったことはない。


「君はいつもそうだ。自分の物差しで人の気持ちを決めつけて、勝手に納得しようとしてるだけだろ」
「、そんなこと…」
「そうだろ?俺がなんで、今まで好きだって黙っていたか…君は何も分かってないじゃないか!」


びくりと肩が跳ねる。幸村に怒鳴られて、浴びせられる言葉が怖くて仕方なかった。けれど同時に、彼の言うことがぐさりと心に刺さった。図星、なのかも知れない。他人の勝手な物差しでしか自分を見てもらえないと嘆いていたくせに、自分も同じことを彼にしていたのだろうか。きっと、離れるのが一番だと思った。けれど、それは彼の意思を聞いたわけではなく、勝手に芽夢が思っていたに過ぎない。それがまた、二重にも三重にも幸村に嫌な思いをさせたことは、彼の態度と言葉から分かる明白な事実。何か、言わなければ。そう思っても、挽回の正しい言葉が見つからない。口を開いては、声を発せられないまた紡いで、結局何も言えない。そうしている間に、苛立った表情を隠さないまま幸村は乱暴に席を立った。顔を背けられ、冷たい声だけをかけられる。


「もう良い。勝手にしろ」


そのまま、彼は一度も振り返らないままテラスから出て行った。取り残されたまま、芽夢は呼吸することも忘れたみたいに動けなくなってしまった。以前とは違う。完全な拒絶だった。彼と離れようという、その考えは結果的には成功だった。けれど、違う。こんな、何もかもが想像と違う結果になるなんて。
何より、彼の言葉はあまりに正しかった。彼の心は彼にしか分からないのに、勝手に知った気になって、挙げ句にその考えを押し付けてしまっていた。
「勝手にしろ」離れようとしたのは自分なのに、突き放されたことが悲しかった。今までにないくらい冷たい声が、怒りに満ちた瞳が怖くて、けれど彼に失望された事実が一番心に突き刺さった。どんな自分でも、いらないなんて言わない。そう言ってくれた人だから、余計に。
嫌われる覚悟で来たなんて、笑えるくらい下らない嘘だ。我が儘で狡い私は、彼が許してまた友達として一緒にいてくれることを期待して、理想を押し付けていただけだ。距離を置こうと言っても、引き止めてくれるのだと心のどこかで思い込んでいた。思えば、いつだって彼の優しさに甘えてばかりで、自分から彼に何かしてあげられたことが一度でもあっただろうか。そんな単純なことにも気付かないで、失ったら勝手に傷付いて。何を一人で悲劇のヒロインぶっているんだか。
やっぱり今も、私は私が嫌いなまま。幸村さんが好きだと言ってくれた私が、憎らしくて仕方ないんだ。
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