U・シンデレラヴィジョン | ナノ



暇だった。学校は休み、恋人は他校へ出払い、仲の良い友人は小学校の同窓会、家族は仕事。普通に普通の何もないとある休日。一日中ごろごろとして疲れを癒やすというのも醍醐味だろうが、前日の練習の疲れから日付が変わる前に寝てしまったせいで朝の八時に目が覚めてしまい、現在十時。ご飯を食べながら録画していたドラマも見てしまったし、非常に暇である。こんな日のためにアルバイトでも始めるべきだろうかと最近悩むことも増えた。浪人中にお世話になった駅前のコンビニならまた雇ってくれるような気がしないでもない。でもあそこ酔っ払いに絡まれるから周りが煩いんだよなあ、なんて、まだ決まってもいないアルバイトのことなんて考えても意味がないのは分かっている。結局、ああそういえばそろそろ夏服を揃えておかないとなんて適当な理由を付けて、芽夢は外出することにした。しかし、休日に女一人でショッピングモールに繰り出すのも気が引けるものだ。


「…私って、学習しない…」


そうやって、だんだん行きにくさを感じて当初の目的からかけ離れた場所に来てしまうのだ。しかしよりによってスポーツショップとは。まるで自分が四六時中ラクロスのことしか考えていないみたいではないか。まあ、来てしまった以上は入るが。大きい場所になるとラクロス用の備品なんかも置いてあるのだが、やはりメジャーな野球やサッカー、テニスにバレーと、芽夢には無関係なものが並ぶことが多い。いや、テニスは無関係とは言えないかも知れないけれど。なんて考えていたから、無意識にテニスラケットがかけてある場所に来てしまったのかも知れない。ラケット、なんて一言でいっても色々なデザインがある。それはラクロスのスティックにも共通することだからさほど珍しくはない。あ、あのラケット幸村さんのに似てる、色とか、…色とか。


「テニスに興味あったっけ?」
「はい?」


突然声をかけられた。店員だろうか、と軽い気持ちで振り返って、思わず目を見開いた。最近は偶然が良く続くものだ。幸村さん、と呟けば、彼は芽夢を先越して「やあ、こんにちは」と挨拶と笑顔を向けた。


「ふふ、水竿さんの後ろ姿は分かりやすいなあ。なあ、蓮二」
「彼女の私服が、この店の雰囲気に浮いていたのが余計に目立ったのだろう」
「確かに。そんなおしゃれして、またドタキャンでもされた?」
「い、いえ…今日は普通に買い物に」


元々ショッピングモールに行くつもりで、キュロットスカートにニーハイソックスなんて着てきたのが間違いだったようだ。確かに、スポーツショップに入る人はカジュアルな格好を良く見る気がする。あとはジャージ姿の中高生だとか。幸村は隣に立つ蓮二という人から離れて、芽夢の隣に立った。あれ、ていうか、蓮二って…蓮二…蓮二……柳、蓮二。あ、そうだ、中学二年の時にクラスが同じだった柳蓮二だ。名字ばかりが印象に残って忘れていたが、あの糸目には覚えがあった。そんな覚え方、本人からしたら間違いなく不愉快になるだろうから言わないでおく。向こうが自分を覚えているとも限らないのだから。


「で、なんでラケットなんか見てたの?」
「あ、それは…あれ、幸村さんのラケットっぽいなあ、って」
「…右から二つ目?」
「はい」
「……色だね」
「間違いなく色、だろう」
「だ、だってラケットのデザインなんて見分けつかないですもん」


二人して言い当てられて、少し恥ずかしかった。しかし、幸村はくすくすと遠慮なしに笑っているが、後ろに立つ柳は「水竿はラクロス一本だったのだから、無理もない」と優しいフォローをくれた。柳さん、優しい。って、あれ、もしかしてこの人、私のこと覚えてる?


「あの、」
「私のこと分かりますか、とおまえは言う」
「え、あ、はい」
「ふふ…蓮二」
「…すまない。出しゃばりすぎたようだ」


柳が何を謝ったのか、身長差から幸村が優しい、限りなく穏やかな目で彼を射抜いたことに気付かなかった芽夢には分からなかった。


「水竿さん、この後は暇?」
「まあ、はい」
「じゃあ、俺たちこれから昼食を食べに行くところだったから一緒にどうかな」
「え、でも、二人で約束してたんじゃ…」
「俺は構わない。精市と水竿で決めてくれ」
「…だって。良かったら、でいいんだ。ただ、やっぱり花があった方が俺としても楽しいからね」
「…それじゃあ、お邪魔させてもらいますね」


とんとん拍子で、二人の昼食に乱入することになってしまった。しかし、面白い偶然があるものだ。店を出る前に、新しいグリップテープを買うという二人がレジに向かうのを、そっと見送った。花、と幸村に評価されたことに少し機嫌が良くなっていることは、出来れば気づかないでほしい。「精市、成長したな。まさかおまえが、女性に適切な言葉選びをするとは予測しなかった」「俺だって大学生だからね、社交辞令の一つや二つは覚えるさ」…社交辞令だったらしい。悪いが、自信があるのは視力だけではないのだ。グリップテープを購入して戻ってきた幸村が、若干機嫌を損ねて目を合わせない芽夢に少しうろたえていたのは、柳の記憶にしっかり焼き付けられた。


「あ、あの、本当に払いますから大丈夫ですから」
「良いから。女性を食事に誘って奢らないなんて、男の恥だろ?」


そう言いくるめられて、伝票を見ることすら適わなかった。ずるい、そんなに身長が高いなんて。昼食の場所は学生らしくファミレスだったが、ドリンクバーやらデザートまでつけてもらってそれなりの額にはなっているはずなのに。結局、何食わぬ顔をした二人によって一円すら出すことは叶わなかった。
「これから行くところがあるんだ、一緒に行こう」と半ば拒否権を剥奪されながら二人に連れられたのは、商店街を外れて少ししたところにある、ストリートテニスコートだった。二人してラケットバックを提げていた時点で何となくそんな気はしていたが、休日まで自主的にコートに出向くなんてずいぶん練習熱心らしい。「水竿さん、はい」隣からした幸村の声に振り向き、手渡されたそれを反射的に受け取った。自分の手に抱えられたものを見て、首を傾げる。


「え?」
「一本貸してあげる。一緒にやろうよ」


テニス、と付け加えられて本格的に混乱する。にこにこ。屈託のない笑顔に反応できずにいると、彼の後ろにいる柳が呆れたように軽くかぶりを振った。助けては、くれないらしい。


「あ、でも水竿さんヒールか。せめてスニーカーなら良かったんだけどなあ」
「あの、私テニスできないですし、靴もないから良いですよ。二人を見てるので」
「それじゃあつまらないだろ?えーと、どうしようかな…」
「あのー、良かったら使います?」


え?と幸村と二人して振り返る。突然割り込んできた第三者の声。柳ではなく、女性のものだった。ちょうどコートを使っていたのか、ラケットを持って近寄ってくる同い年くらいの女性。茶髪を肩のあたりで切りそろえている、すこし猫目の綺麗な人だった。彼女は二人のすぐ前まで歩み寄ると、ラケットを持つのとは逆の手で自分を指差した。


「私、橘杏っていうんですけど、分かります?」
「元不動峰中の橘の妹、だな」


真っ先に答えたのは柳だった。不動峰中、ということは中学時代の知り合いだろうか。柳の口振りからしてあまり親しい仲ではなかったようだが、良く何年も前のことを覚えているものだと感心せざるを得ない。どうやら柳に言われるまで幸村も分からなかったらしく、柳の説明に納得するように頷いていた。


「そこのお姉さん、シューズないんですよね?私、来る時スニーカーだったからそれで良いなら貸せますよ」
「…それじゃあ、せっかくだし使わせてもらおうかな」
「はい、じゃあ取ってきますね」


橘…杏という彼女は、幸村に軽く頷くと踵を返して走っていってしまった。自分のことなのに、何だか蚊帳の外のように感じるのは気のせいなのだろうか。幸村と柳は彼女の後ろ姿を見ながら「彼女は立海を嫌っていたと記憶しているが」「時間が立てば気持ちも変わるものだよ」なんて世間話を始めているし、どう考えても場違いだろう。
杏のスニーカーは若干、ほんの少しだが大きかった。体格を考えてラケットも彼女のものを拝借することになって、インターハイ三連覇したというとんでもない人に御口授頂くことになってしまった。


「水竿さん、振りが大きい。ラクロスみたいに広いフィールドじゃないんだから、もっと動きはコンパクトに。あとしっかりスイートスポットを意識して、毎回少し下にずれてる。そうやってボールの勢いを殺してばかりだといつまでもポイントは取れないよ」


幸村はスパルタだった。頼んでもいないのに。わずかな呼吸の乱れを感じながら彼の後ろに控える柳、杏を見ると苦笑を浮かべていた。やはり助けは求めるだけ無駄なようだ。多分、たかが素人の見解にすぎないが、初心者にいきなりスイートスポットだのスピードだの回転だのと言うのは少しおかしいのではと思う。彼はもしかして、ラクロス部だった頃の自分に予想以上の過大評価をしていたのではないだろうか。ラクロスこそ天才だのプロだのと持て囃されてはいたが、別に芽夢は万能ではないということを、彼は果たして理解してくれているのだろうか。けれど彼は、きっとくたくたになって汗をだらだらと流す芽夢にこう言うのだろう。ほら、楽しかっただろ、と。芽夢が打ち返したボールを、返すことなく去なしてキャッチした幸村は、ゆっくりネットのそばまで近寄ってくる。


「水竿さんってさあ」
「は、はい…」
「実戦向き?」
「え?ああ…確かに本番に強いとは思いますけど」
「じゃあ試合しようか」
「はい?」
「俺と」


え、なんでこの人こんなに楽しそうなの?という視線を感じて芽夢を哀れんだのは、もちろん幸村ではなく傍観者二名である。
無理です、有り得ない、絶対無理。と断固拒否する芽夢をけらけら笑いながら、幸村はコートの後ろに戻りベースラインの手前に立った。拒否権、ないんだ、そっか。
何が悲しくてそうなったのか、インターハイ三連覇というとんでもない人と、ろくにラケットにも触れたことのない素人との試合が幕を開けた。


「っ、返せるかあ!!」


芽夢があまりの理不尽さに声を荒げるのに、五分もかからなかった。ただラリーを続けるだけで大変なのに、彼はにこにこ笑いながら軽くラケットを振っている。間違いなくウォーミングアップにすらなっていないだろう。試合、と彼は言ったが、もちろん本気ではない。ただ、手を抜いているわけでもなく、ことごとく左右に振って際どいコースを狙ってくるのだから憎たらしい。


「次、ロブ上げるよ」
「っ!」
「なーんてね」
「ええ…!?」


こうやってからかってくるのもお得意のようだ。何がロブだ思い切りハードショットだったじゃあないか。どうせ文句を言っても心理戦に負ける方が悪いというのは、芽夢も重々承知していることだ。


「幸村さん、意地が悪いですよ…っ」
「っえ、あ」


幸村のサービスを返して、不機嫌な顔を晒して睨む。瞬間、戸惑ったように声を上げながらもしっかりと返してくるあたりさすがだ。まっすぐ飛んでくる球に向かい、構える。スイートスポットを意識して、振り遅れて勢いを殺さないように。しかし、ラケットにボールが触れることはなかった。芽夢が、瞬時に腕を引いたからだ。ボールは芽夢の真横をすり抜け、大きくバウンドする。振り返ってその軌道を目で追えば、ボールがこすれたであろう跡は白いラインから、十センチ以上も離れたところに残っていた。「アウトだな」柳が頷きながら呟く。ナイスウォッチ、と杏に手を振られても、素直に返す気になれなかった。


「幸村さん、今のわざと外しましたよね」
「え?」
「私がちゃんと見送るか試したんですよね?」
「…ばかだなあ」


え、と今度は芽夢が首を傾げる。どうして馬鹿にされたのかさっぱり分からない。幸村はといえば、人を罵倒しながら何だか嬉しそうな顔をしている。「俺だってミスくらいするさ」なんて言うけれど、いまいち信用できなかった。
更に五分後。そのワンポイントを取ったきり、芽夢が活躍することなくお遊びの試合は終わった。分かってはいたが、清々しいまでのストレート負けである。あれ、なんで私ここにいるんだろう。と今更ながら思った。


「お疲れ様ー」
「あ、ありがとう、橘さん」
「杏で良いわよ」


次に幸村の相手をするという柳にバトンタッチをして、それまで彼が居た位置に移動すれば杏が手を振って出迎えてくれた。その時初めて知ったが、彼女も大学一年生らしい。同い年だね、と嬉しそうにする彼女に実は一つ上ですとは言えず、笑って誤魔化しておいた。


「テニス初心者なのに、よくあの人相手に一試合保ったわよね」
「一試合って言っても十分くらいだけど…」
「十分保たない人だっているもん、すごいわよ。…あ、でも…」


そこで、杏は一度口を噤んだ。何だか言いにくそうな雰囲気だが、尋ねない方が良いのだろうか。彼女の視線を追ってコートを見れば、幸村と柳がベースラインに張り付いてラリーを続けている。さすがインターハイ出場者なだけあって、二人とも動きが他のコートにいるプレイヤーとは桁違いだった。スピードから、打球のパワーから。それに引き寄せられるように、少しずつギャラリーも増えてきた。二人ともさすがとしか言いようがないが、必要最低限の動きしかしていないように見える幸村は柳よりも遥かに余裕があるようだった。その様子を眺めながら、杏は漸く重い口を開いた。


「…私、前は立海のテニスって好きになれなかったの」
「どうして?」
「うちのお兄ちゃんがさ…中三の時に立海の人に試合中、酷い怪我をさせられて、それはあの二人じゃなかったんだけど…それを許容してるっていうか、勝つためなら手段を選ばないって雰囲気が許せなくて、怖かった。あの人たちは、テニスを楽しんでないんだって見て分かったから」


少し、彼女の言うことが分かるような気がした。芽夢が所属していたラクロス部も、似た部分があった。強いからこそ、守らなければいけないものがある。期待、プライド、夢、すべてを背負って戦うのは、とても辛いことだ。それは経験した者にしか分からない。芽夢がずっとラクロスを楽しめたのは同じフィールドに立つチームメイトがいたから。それでも肩に重くのしかかるものは決して消えなかった。テニスは、時には孤独でなければならない。それを身に感じた時、芽夢は自分が素直にスポーツを楽しめるのか自信が持てなかった。挫折を経験したことがあるから、余計に。


「でも、今のあの人たちは違うね。楽しそう」
「…そうだね」


自分に勝利を強いることを止めたからか、敗北を知って乗り越えたからか、今コートに立つ二人は心からテニスを楽しんでいるように見える。以前の彼らが、どんなテニスをしていたのかは分からない。けれど、楽しんでスポーツをする人は、好きだ。


「ねえ、私たちもあっちのコートでやりましょうよ!」
「えっ、え、私?」
「あの人たち見てたら試合したくなっちゃった、ねっ!」


杏にぐいぐいと腕を引かれ、芽夢は戸惑いながらも着いていく。
結局、その日は太陽が沈みかける頃までずっと彼女に連れ回された。たった数時間のプレーで劇的な成長を遂げ、杏と対等にラリーをするまでに至った芽夢を見た幸村と柳の度肝を抜かせたので、まあ良しとしよう。


「やっぱり実戦向きだったんだ…」
「それにしても、恐ろしい成長振りだ。いや、もともと素質があったのだろう」
「なんかラクロスやらせとくの惜しいな…テニスに転向しようよ、水竿さん」
「え、遠慮します…」


杏と別れた帰り際、ひたすら幸村と柳にテニスサークルへの勧誘を受ける羽目になった。
あれ、なんで今日こんなに充実してたんだろう。と疑問に思ったのは帰宅してシャワーを浴びた後になってからだった。あ、杏ちゃんのメールアドレス聞くの忘れた。
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