U・シンデレラヴィジョン | ナノ



「わっ」


突然後ろから回ってきた腕に視界を遮られた。何だ何だと困惑しているうちに手が離れ、同時に耳元にあった違和感が持ち上げられる。一体誰の仕業かと振り返れば、頭一つ分違う誰かの鎖骨あたりが目の前にあった。思った以上に近い。首を真上に上げると、ふわふわの髪が視界につく。こちらを見ず遠くの景色を眺めるように真正面を向いている幸村は、「おお」と何の感動か知らない声を上げて眼鏡を押し上げていた。


「なんだ、レンズついてたから度入ってるかと思ったのにやっぱり伊達なんだ」
「幸村さん…おはようございます」
「うん、おはよう。水竿さんって目良いの?」
「2.0ありますね」
「すごっ」


幸村が取り上げたのは芽夢の伊達眼鏡だ。度が入っていないと分かると、もう興味をなくしたように眼鏡を返してくる。いかなる時も挨拶を欠かさないのは、アメリカで学んだ上下関係のルールである。幸村は何気なく芽夢の隣に並ぶ。学校までの道のりを共に歩くことも、最近は少し増えた。幸村は色んな意味で目立つので芽夢から声をかけることもあるのだが、向こうから来ると良く低身長の自分を見つけられるものだと感心する。芽夢がかけ直した伊達眼鏡を、幸村が指差した。人に指を向けることは、あまり失礼とは思わないらしい。


「今日は赤なんだ。いつもの黒縁は?」
「ああ、あのアラレちゃん眼鏡、お気に入りだったんですけど…この前満員電車で壊れちゃいまして」
「え?かけたまま?」
「いえ、ここに入れてたら」
「ああ、女の子やるよね。シャツの襟元に眼鏡挟むの」


芽夢が胸元を指差せば、幸村も真似をして服の襟元を軽く摘んだ。時々、行動が可愛い人だと思う。


「あれって流行り?」
「おしゃれの一環なんじゃないですか?」
「あー…でも分かるかも。なんか胸元に眼鏡挟むの色っぽい」
「…そういうものですか?」
「あ、水竿さんはそういう感じじゃないよね」
「色気がないのは重々承知してるのでわざわざ言わなくても…」
「あははっ、そんなこと言ってないだろ?」
「言ってるのと変わりませんよっ」


ふい、と顔を逸らして歩くペースを早める。けれど、歩幅も全然違う彼にとっては大した抵抗にもならず…というより、芽夢が早足になって漸く彼にとって丁度良いくらいなのだろう。
分かっている。背は低いし、童顔だし、昔からスポーツをしていたから筋肉はそこそこあるにしても女性特有の脂肪は明らかに足りていなくて、理想のボディラインなんかには程遠い中学生のような体系のまま成長してしまった。だけどその分ファッションや化粧にはしっかり手間をかけている方だし、胸も…まあ多少パッドで誤魔化せばBくらいはある。けれどやはり幼いイメージを完全に拭うのは不可能で、だから伊達眼鏡で幼い顔を隠したり、化粧やヒールのある靴で少しでも歳相応に見せる努力をしている。人間誰しも、見た目に少しのコンプレックスくらいあるものだ。


「…幸村さんって見た目にコンプレックスなさそう」
「え、あるよ?」
「えー、たとえば?」
「髪…とか?俺はくせっ毛だからね、ストレートって少し憧れるな」


真田は髪質堅いし量もあるから日本男児って感じだし、柳なんかはさらっさらのストレートだし。と、友人の髪の話をする彼をぼんやり見つめた。そうか、彼にもコンプレックスというか、誰かの外見を羨む気持ちはあるのか。考えみれば当然だ、自分のルックスに完璧な自信を持った人間なんてそうそう、本当に稀にしか居ないだろう。


「水竿さんは中学ではストレートだったね」
「はい、実はパーマかけたのはこれが初めてだったんですけど…やっぱり変ですかね」
「んー…俺個人の好みで良いなら、今のが好きだな。なんかお揃いっぽいし」
「あ、確かに」
「でもやっぱり、黒髪ボブだった頃の写真が見たい」
「そんなに珍しいんですか…?」
「ふふっ、まあね」


あの日以来、昔の話を振られてもさほど気にならなくなった。吹っ切れた、とでもいうのだろうか。今なら彼にラクロスの試合を見られても大丈夫な気はするのだが、あの一回きり、彼が見たいと言うことはなかった。
思っていることを伝えろ、と言われたものの、芽夢が恋人にその話をすることはなかった。意地を張っているわけでも怯えているわけでもなく、芽夢自身の中でそのこと自体が解決に近付いていっているからだった。


「でも、髪何回も染めてるんだろ?良く痛まないね」
「多少は痛みますけど…手入れは欠かせませんね」
「ふうん、さらさらに見えるけど」
「触ってみます?」
「えっ、いいの?」
「わたし、そういうのあまり気にしませんし」


気にしろよ。そんなふうに目で訴えかけられた。そうはいっても、三年かけて海外のスキンシップに慣れ親しんでしまった以上、髪を触られるくらいの行為なんて気にする要素すら見当たらない。日本人はやっぱり謙虚だ、とこういう時に思い知らされる。そっと、幸村の手のひらが芽夢の髪を一房掴む。指を絡ませて、髪質を感じるように毛先まで滑らせる。二、三度それを繰り返し、満足したのかその手はすぐに離れていった。


「んー…俺の勝ち」
「あはは、さすがに地毛には適いませんね。幸村さんの髪、へにゃんてしてて可愛いですよね」
「へにゃんってなんだよ」


薄く笑う彼。恋人の時も思うが、やっぱり美形の笑顔は眩しい。って、これじゃあただの惚気にしかならないではないか。
まあ、それよりもだ。


「幸村さんの手」
「手?」
「綺麗だけど、やっぱりスポーツしてる人の手ですね。大きくて固くて、ちょっと憧れます」


それは、あの日駅で会った時にも思ったことだ。彼はガーデニングが趣味だと言っていたし、そのせいでもあるのだろう。あまり詳しくはないものの、肥料を運んだり何時間も土を触ったりと意外と力仕事も多いと聞いたことがある。


「水竿さんって手フェチ?」
「え?あ、あー…そうかも、しれないです」
「ふふ、まあ良いや。ありがとう」


手フェチ、とは初めて言われた。芽夢は身体の大きさに比例して、比較的に手も小さい。ピアノをやっている同級生に「これじゃあ楽器はきついね」と言われるほどだ。小学校の鼓笛隊では真っ先に打楽器に回された。指は短くないものの、同年代の女性と比べると関節半分か一つ分は違うのだ。だからなのか、手の大きい人には昔から憧れを抱いていた。


「水竿さん?」
「はい?」
「君、あっちだろ?」
「えっ、あ、あー…」


幸村が指差した東棟。ぼうっとしていた芽夢が幸村に着いて向かおうとしたのは、西棟。危うく真反対に行くところだった。それにしても、水曜の一限が向こうだと良く覚えてるものだ。恥ずかしいことをしてしまった。


「えっと、それじゃあまた、幸村さん」
「あ、うん」


からかわれる前に行ってしまおう、と芽夢は踵を返した。もう声が届かないくらいのところに来て、小さくため息をつく。駄目だな、最近。彼に気を緩めすぎて、失敗したり手間をかけさせている気がする。信頼している、と言えば聞こえは良いが、良い歳をしてあまり人に世話をかけさせるわけにはいかない。安心すると途端に穴が広がる性格なのは自分でも良く分かっているはずなのに、なかなか直らないものだ。
もっと、大人にならないと。見た目だけの背伸びではなくて、もっと。
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