U・シンデレラヴィジョン | ナノ



「スターティングメンバーを発表する」


その声に、芽夢は息を呑んだ。一人ずつ、名前を呼ばれ返事をしていく仲間たち。緊張と期待とが入り混じる。四人、五人、とメンバー決まっていくが、芽夢の名前はまだ呼ばれない。


「セカンドホーム、水竿」
「、はいっ」


緊張のあまり、返事を忘れてしまいそうになった。呼ばれた。スターティングメンバーに抜擢されることがこんなに嬉しいなんて、昔の芽夢には分からない感情だった。頑張ろう、あの人と、チームのために。心からそう思った。その日の練習は、いつも以上に身体が軽く感じた。

休憩時間中、飲み物を買いに自販機まで走っている途中のことだ。たまたま通りかかったテニスコートで、たまたまテニスサークルが練習をしていた。立海のテニス部、サークルは中学高校と通して活気で溢れている。あれだけ実績を残しているのだから当然と言えるだろう。何となく、あの知り合いの彼も居るのだろうかと足を止めて目を凝らした。実は視力には少しばかり自信がある。彼を見つけるのにそう時間はかからなかった。というか、相変わらず幸村は目立つ。綺麗な青みのある黒髪も、極端に茶髪金髪が増える大学では少しばかり浮いて見えるし、何故か彼は肩にジャージをかけたままコートに立っていた。あれを落とさないままプレーするなんて、良くやるものだ。動きに一切無駄がない。球の軌道を読んでいるのか反応も早いし、あれだけの反射神経があるならラクロスをやっても良い線をいきそうだ、なんて。彼はテニス一筋のようだし、夢のような話だ。それにしても、幸村は動きが的確なだけでなく、やはり綺麗だ。雰囲気だとか、身体のしなり具合もだが、スポーツをやっている者なら分かるであろうしなやかな動きについ見とれてしまう。そういえば、彼がテニスをしている姿を見たのは初めてではないだろうか。


「そこの女子、テニスサークルに何か用でもあるのか」
「え?うわあ」


思わず失礼な声を上げてしまったことに関しては、後で心の中で謝るとしよう。幸村を見るのに夢中になっていたらしく、そばに寄ってきていた人影に全く気づかなかった。大きい人、だと思った。身長もそうだが、全体的な雰囲気というか、威圧感が。はるか上方から見下ろされているというのも、原因の一つであろう。というか、どうしてこの人はこんなに怒っているような顔をしているのだろうか、別に悪いことをした覚えはない。まさか、テニスサークルは見学禁止、なんてルールでもあるのだろうか。とにかく、フェンスを挟んでいるといっても、その人の威圧する態度に冷や汗をかかずにはいられなかった。ここはさっさと謝って撤退するのが良いだろう。しかし、いざ謝罪しようとすれば「弦一郎」という静かな声に先を越される。目の前の彼が振り向いたということは、この人が弦一郎さんか。


「幸村、どうかしたのか」
「こっちのセリフだ。水竿さんと知り合いだなんて、聞いた覚えはないけど?」
「む…そうか、幸村の客人だったか」


いや違いますけど、とは思ったものの当の本人が「そうだよ」なんてしれっと答えていたため、芽夢は黙っておくことにした。良く見れば彼は身長は幸村とそう変わりないようだったが、幸村に対してあの圧迫されるような雰囲気を感じたことはない。やはり人相が出るものなのか。幸村はにこにこと笑っているけれど、もう一人はずっと仏頂面のままだ。結局一度も表情を変えることなく、彼はコートへと戻っていってしまった。


「こんにちは、幸村さん」
「うん、こんにちは水竿さん、何か用?」
「たまたま見かけただけなんですけど…あの人っていつも無表情なんですか?」
「真田?あ、真田って今の弦一郎ね」
「真田さんですか。…なんか、笑ったら格好いいと思うのに、もったいないですね」
「……笑う?真田が?」


はい、と芽夢は頷く。しかしはて、何かおかしなことを言っただろうか。思ったままを言葉にしたはずだったのだが、幸村はぱちくりとまばたきをしたあと、何故か吹き出して肩を震わせながら笑い出した。というか爆笑だった。自分がよほどおかしなことを口走ったのか、はたまた彼のツボが浅いのかは謎だ。フェンスをがしゃんがしゃん殴りながら腹を抱えて笑っているのを、噂の真田本人が遠くからものすごく訝しげに見ていることは知らせないでおこう。あ、ジャージ落ちた。縫い合わせているのではと思うくらい、練習の間さっぱり落ちなかったジャージが、こんなくだらないことで地面に沈んでいるのを見るのは何とも言えない気分になる。


「あー、もう、ばか、水竿さんのばか」
「私ですか…」
「当たり前だろ?…っく、ふふっ」


まあ、幸村が楽しいのならそれで良いが。一通り笑い終えた幸村が、涙を拭きながら「あっちで話そうよ」と誘ってきたので、何となく軽い気持ちで承諾した。休憩時間はまだあるし、大丈夫だろう。
テニスコートの外のベンチに二人で座る。隣に自販機があって一石二鳥だ。芽夢は麦茶、幸村はアクエリアスを購入していた。幸村によると、先ほどの爆笑の種である真田弦一郎。彼もずっと立海に進学してきたらしい。「ていうか、真田と柳と赤也は水竿さんと会ったことあるはずだけど」と言われたものの、ぎりぎり柳しか思い出せなかった。最後の赤也という人は本来なら芽夢と同学年のはずが、なんと進学試験に失敗して別の大学に通っているらしい。何となく人事とは思えなかった。頑張れ赤也君。


「今日はラクロスサークルもあるんだ」
「はい、週末に試合があるので」
「試合?水竿さん出るの?」
「はい、久々のスタメンです」


そう言えば、幸村は自分のことのように喜んでくれた。やっぱり基本的には良い人だ。たまに意地が悪くて破天荒なところはあるけれど。この間の話をきいたから同情したというだけかもしれないけれど、こんなふうに喜んでもらえるのは素直に嬉しい。


「…応援、行っても良いかな?」


しかし、その言葉は全く予想していなかった。思わず聞き返した芽夢に、今度ははっきりと同じ言葉がかけられる。そんな、小さな練習試合に過ぎない。応援されるようなことではないのに、どうして。否、そんなことはどうでも良いのだ。ただ。


「ごめん、なさい」
「…俺が行ったら迷惑?」
「迷惑、ってわけじゃ…」


途端に歯切れの悪くなる芽夢を、幸村は不思議そうに覗き込む。緊張、というか不安そうな表情に疑問が生まれる。迷惑ではない。むしろその気持ちは嬉しいくらいだ、けれど。駄目、なのだ。


「ごめんなさい、幸村さんには…見られたくない…」
「どうしてか、聞いてもいい?」
「…昔の、私を知ってるから」


不思議そうな顔している彼に、申し訳ない気持ちはある。大学で一緒にプレーしている人たちは知らない。中学生の頃、まだ都大会止まりだった立海のラクロス部を全国大会まで導き、テニス部と並び常勝と言わせたのが水竿芽夢だということを。自分から話すつもりは、今までもこれからもない。知られたくないのだ。あの頃輝いていた選手が、たった病気一つで大学の準レギュラー止まり程度に落ちこぼれてしまった姿なんて。昔のプレーを知っている人には、絶対に見られたくなかった。今も昔も、両方の芽夢を知るのはたった一人で良い。


「なんだよ、それ」


小さく、ただ聞いているばかりだった幸村が呟いた。何となく怒気が混じったような声に顔を上げれば、理解出来ないとでも言いたげに眉を潜めた顔がそこにあった。


「水竿さん、ラクロスが好きだったんじゃないの?」
「…す、きです」


好きでなければ、今も続けたりしない。そう言いたいのに、彼の威圧感に気圧されてそれだけで精一杯だった。今の幸村は、何となく、あの真田という人と似ているような気がした。誰から見ても、幸村は怒っていた。けれどどうしてそんな顔をするのか、そんな質問をするのか、芽夢には分からない。


「中学生の時に」
「…?」
「君は覚えてないみたいだけど、今の俺みたいに聞いてきたことがあった。テニスが好きかって」


俺が頷いたら、君は嬉しそうに笑ってくれて、俺が聞き返した時、ラクロスが大好きだって、本当に楽しそうに言ってた。
そう言う幸村の話を、一体誰のことだろうと思いながら聞いていた。そこまで言われても、芽夢は幸村との会話を思い出せなかった。中学生の記憶なんて、あまり残っていない。仲の良かった友人の顔だとか、世話になった担任の名前だとか、そんなことばかり。あの頃は何も考えずに生きているだけだった。何も考えずとも、苦しまずに生きられていたから。


「あの時、本当はもうテニスは出来ないだろうって言われてたんだ。水竿さんは知らなかったけど、それでも俺にテニスが好きって気持ちをもう一度くれた」
「…私、」
「どん底からの再スタートでも、這い上がって奪い取ってやるんだって思わせてくれたのは、君だよ」


だから、君も同じだと。そう言いたいのだろうか、彼は。


「やめてください」


耳を塞ぎたい気持ちを必死に抑え込んで、半ば投げやりになるような気持ちでそう言い放った。


「あの頃の私は、ただ世間知らずで気楽だっただけなんです」
「、そんなこと…」
「覚えていないとはいえ、何も知らず無神経なことを言ってすみませんでした」
「っやめてくれ!俺はそんなことを言ってほしかったんじゃない、俺はずっと君に…」


そこで、彼は言いよどんだ。彼が過去の芽夢にどんなイメージを抱いていたのかは知らないが、今の自分は中学生の頃の直向きに走っていた少女ではない。失望しようがそれは彼の自由だけれど、昔の自分を今に期待されるのだけは、堪えられない。あの頃と同じように、無知ではなくなった。昔のプレーももう夢の世界の話だ。


「子供、なだけだったんです。もう違います」
「…分かった。もう、何も言わない。これ以上、俺の初恋の子を悪く言われたくないし」


俯いていた顔を上げられなくて、幸村がどんな表情をしているか分からなかった。きっと怒っているのだろう。一人先にベンチを立った幸村は、挨拶をすることもなくテニスコートの方へと戻って行った。後を追う気にもならない。
みんな、みんなそう言うのだ。昔のあなたの方が良かったと。ひたむきで、明るくて、強くて。
だけど私は、そんな私、いらない。
彼も、同じだった。今の芽夢を昔と重ねて、比べて、今を否定する。彼も、芽夢に昔のままを期待して、求めてばかり。選手としても人間としても、今ここに居る水竿芽夢を必要としてくれる人なんて、家族と恋人くらいしか知らない。昔と違うと分かると否定して、勝手に落胆して軽蔑して、離れていくのだ。
どうして私は水竿芽夢なのだろう。それ以外の、もっと普通の学生でいられたなら、こんな思いせずに済んだのに。他人の物差しで過去に負けて、こんなに惨めだと思い知らされているのに。
幸村、彼も所詮、思い出の中の芽夢しか見ていなかったのだろう。


「、雅人…っ」


唯一の拠り所の名前を呼んでも、彼は現れない。分かっている、彼は芽夢を認めてくれたけれど、自分だけのものではないのだ。けれど、芽夢は彼だけのものだ。今も、抱きしめてほしくて仕方ないのに。
もう、水竿芽夢なんてやめてしまえたら。そう思わずにはいられないのだ。
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