ロストエンドスタート | ナノ


簡単に言おう。悪化した。


「なにこれ、鳥の羽根と…虫?きもちわる…」


ああもう、新品の上履きが血とよく分からない液体でめちゃくちゃだ。とりあえず、溢れ出す異臭に耐えきれずにそのまま下駄箱の蓋を閉じた。首謀者であろう女子二人を牽制した次の日にはなんともなっていなかったから、安心しきってそれまで毎日持ち帰っていた上履きを置いてきた。そうしたら土日を挟んだ週明けにはこの有り様だ。臭いからして今朝やったものではないだろう。わざわざ休みの日を使って、しかも虫の死骸が入っているということはおそらく男子生徒も関わっているのだろう。いや、さすがに、これは心が折れる。今までの不快感と比べ物にならない。グロいのは苦手なのだ。そしてご丁寧にも、今日も「菊丸君から離れろ」の紙。血と汚れで良く分からなかったが、毎日同じ脅迫文を見ていたら一瞬でも分かってしまう。これはさすがに、教師に訴えれば何とかなるのではないだろうか。あの二人の顔は覚えているわけだし……いや、証拠がないから無理か。しかし、どうしたものか。


「おっはよー水竿!」
「わあっ!?」
「うお、何なに?そんな驚いちゃって」
「き、菊丸…」


噂をすれば影。いやだがこのタイミングは非常にまずい。何故なら芽夢は未だにこの腐臭漂う下駄箱の前に立っているのだから。ああほら、菊丸がもうそれに気付いてしまったらしく、視線は芽夢の下駄箱へ。「なんか変な臭いしない?」と言いながら止める暇もなく、菊丸の手は取っ手にかけられた。


「っ、え……なに、これ…」
「…見ての通り」
「っなんだよこれ!いつから…っ」
「えーと、先週くらい…?」
「馬鹿!何で笑ってるんだよ!」


うん、まあ、普通は怒るか落ち込むかするよね。芽夢も怒っているし落ち込んでもいるのだが、どうもそれが伝わりにくいらしい。敵にあからさまに落ち込んでいる姿なんて見せたらお終いだから、都合良いといえばそうだが。どうやら菊丸にはそれが理解できなかったらしい。珍しく怒った顔の菊丸が、もう一度下駄箱に目を向ける。一秒、二秒。猫目が大きく見開かれた。ああ、見てしまったか。あれだけ汚れていたらギリギリ読めないかとも思ったのだが。


「…俺の、せい…?」
「違う違う。向こうが勝手に勘違いしたんだから」
「違くないだろっ!何だよこれ、こんなの許せるわけないじゃん!」
「まあ、そうだけどさ」
「水竿、これやった奴知ってんの?」
「は?ちょっと、菊丸」
「知ってんのかって!」
「ねえ、少し落ち着い」
「落ち着けるわけないだろ!?俺のせいで水竿がこんな目に遭ってるのに、俺っ」
「英二」


異常なほどに怒りを露わにしている菊丸は、とてもじゃあないが芽夢が止められる勢いではなかった。しかし、今にも殴り込みに行きそうな菊丸を止めたのは、彼でも芽夢でもない、凛と透き通るような声だった。瞬間的に、振り向いてはいけないと思った。芽夢はその声を良く知っている。しかし、いくら芽夢が反応しなかったところで、芽夢の向かい側に立っている菊丸にはその人物が見えているのだ。焦りと、困惑が芽夢を襲う。


「……不二…」


ああ、ほら。やっぱり、私が彼の声を間違えるはずがないのだ。あの日の言葉が、今でも記憶に貼り付いて少しも消えてくれないのだから。


「英二、彼女は被害者だろ?そんな責めるように言ったら駄目だよ」
「あ……ご、ごめん、水竿」
「う、ん…」


あんなに怒っていた菊丸を一瞬で去なしてしまった。相変わらず、不二の言葉には重みがある。冷静さを取り戻した菊丸、けれど芽夢は未だに背後の彼を振り向けずにいた。一年以上も聞いていなかった声が、すぐ近くに感じる。こんな状況で、柄にもなく緊張していたのだ。菊丸は自分のために怒ってくれたのに、なんて不謹慎な。すると、不意に彼が芽夢と菊丸の間に割って視界に入ってきた。思わず視線を下げる。顔が、見れない。不二は多分、芽夢の下駄箱を見ているのだろう。短く息を呑む音がした。


「…酷いね」


そう小さく呟くと、不二はゆっくり踵を返した。菊丸は当然、それが気になって声をかける。そのまま、見なかったことにしてくれ。芽夢は切実にそう思った。


「掃除用具置きから色々持ってくるから、英二は水竿を見ててあげて」
「え?あっ、ほいほーい!了解!」


くすり、と小さな笑い声がして、また足音。残された芽夢と菊丸の間に、妙に気まずい空気が流れる。なんで、来たんだろう。どうして名前を呼んだの、どうして知らない振りをしてくれなかったの、不二は関係ないのに。近付くなと言ったのは不二の方で、先に関わらなくなったのも不二の癖に、どうして。


「やさしい、よなぁ」
「ん?」
「不二。本当に困ってたら、助けてくれるんだもん」
「…そだね」


それから、三人でゴム手袋やほうきを駆使して下駄箱を掃除した。といっても、スプラッタ系統のものは見るのも駄目な芽夢は当然役に立たず、専らバケツの水替え係だったが。その間、芽夢と不二の間に会話らしい会話はなかったものの、不二が戻ってくるまでにほんの少し菊丸の胸で泣いたことは、おそらくお見通しだったのだろう。


「じゃ、水竿。俺ら教室行くけど、何かあったらすぐ言うんだぞー?」
「生活指導の先生には、話しておくから」
「うん、二人ともありがとう」


本当に、この数十分で何度のありがとうとごめんを言ったことだろう。二人とも、授業を無断で遅刻してまで付き合ってくれた。それが申し訳なくて、けれど今回は一人ではとても対処できなかっただろう。本当に、感謝してもしきれない。
しかし、いつまでもスリッパでいるわけにもいかない。どうにかしてこの状況を改善しなければ、とは思っているのだが。この間のあれでも駄目となると、どうしようもない。まさかこちらが先に手を上げるわけにもいかないし、だからといってこのままでは事情を知ってしまった二人にまた迷惑をかけてしまう。以前のボールカゴが倒されていたこともあって、芽夢個人への嫌がらせがいつ部活仲間に向くかも分からない。こうなったら、朝練を休んで朝一番で見張るしかないだろうか。下駄箱への嫌がらせがあるのは朝練の日だけなのを考えても、芽夢の登校が遅い日だけを狙っているのは明らかなのだ。明日はちょうど朝練を組んでいる日だし、今日のうちに部長に頼んでおけば…。


「なあ、一年の水竿芽夢?」
「え、はい?」


瞬間、腕を激痛が襲って呼吸が止まった。関節が逆向きに曲がるのではというくらい力任せに押さえられて、痛みから呻き声が上がった口には強引にタオルらしきものを押し込まれた。あ、まずい。そう思う余裕もなく、芽夢は身体が宙に浮く感覚を覚えた。強い力に引き摺られて、身体の小さな芽夢は抵抗するすべさえ既に奪われていたのだ。
あー、やばい、終わった。察したくもない事実を悟って、もはや涙すら出ない。
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