ロストエンドスタート | ナノ


それから、不二周助は度々芽夢のクラスに顔を出すようになった。教科書を貸してくれだの、一緒に購買に行こうだの、何かと構われるようになったのだ。ずいぶん高級な猫に懐かれた、その時はそれくらいにしか思っていなかった。しかし、彼と付き合うにあたり得をしたこともあった。何しろ彼は、とても頭が良い。頭というよりかは要領が良いのだ。単純に言えば、勉強を教えてもらえる。テスト前はよくお世話になったものだ。
それから数ヶ月して、芽夢の前に別の少年が現れた。廊下で出会い頭に「見つけたー!女版・菊丸!」と指差され叫ばれたのは今でも良く覚えている。どうやら、芽夢がラクロスをしている姿がテニス部一年の菊丸英二のプレイスタイルに似ているが故に、知らぬ間についた通り名らしい。しかし、それではまるで芽夢が菊丸の真似事をしているみたいではないか、と少しムッとしたのは秘密。ちなみに、その出会い頭に叫んできたのが本家本元、菊丸英二だった。しかも彼、どうやら芽夢もテニスで有名になっていると勘違いしたらしく、しつこくテニスやろう少しで良いからと誘ってきたのだ。廊下のど真ん中で。その非常に困った事態は、後から駆けつけた不二によって誤解が解かれ丸く収まったわけだが、その日から芽夢のテニス部の友達は二人に増えたのだった。

テニス部、ラクロス部共に一年の夏、秋と大きな大会が終わり少し時間に余裕が持てるようになった頃から、不二と菊丸、芽夢の三人は以前にも増して仲が良くなっていった。互いの大会の応援の時以外にも、プライベートで出掛けるくらいには、周りから見てもとても信頼しあっている友人と思われていただろう。ちなみに菊丸を通じて、一年生で一番の注目ルーキーだという手塚国光とも一度会ったことがあるが、彼とはあまり印象に残る話はしなかったため、それきりになっていた。
そうやってテニス部との輪を徐々に広げていった中学校生活に、変化が起きたのは突然のことだった。


「水竿って、勉強ができないだけじゃなかったんだ」


それはどう考えても、芽夢を貶す言葉だった。いきなり何だ確かにそうだけど、と芽夢は声の方を振り返って、言葉を失った。いつもの冗談を言う不二の顔じゃあなかった。テニスの試合中みたいな、身体の中心を貫かれるような視線。投げかけられた言葉があまりに軽かったから余計に、その様子に緊張してしまう。「な、なに…」漸く絞り出した声は、とてもか細かった。まるで蛇に睨まれた蛙。おかしいなぁさっきまでこんな雰囲気じゃあなかったのに。なんて、考えてる余裕はなかった。


「一年半、僕と一緒に居て何も気付かなかった?」
「は、はあ…?意味分からないんだけど…なに、不二が実は見た目に似合わず腹が真っ黒いとかそういう」
「僕は冗談で言ってるんじゃないんだけど」
「っ」
「それくらいなら分かるよね?」


真剣、だった。不二の言葉にふざけている様子はなかった。ついでに言うと、なにやら怒っているようにも見えた。不二に今まで、こんな目で見られたことはなかった。だから臆病な身体はそのまま凍ったみたいに動かなくなってしまう。怖かった。


「何回言葉で言っても、全然気付かないし、いつも警戒心もないし、僕が一日にどれだけ水竿のこと考えてるか知ってる?」
「不二…?何言って」
「いい加減、煩わしいんだ」
「っ…!」


強く、腕を引かれて芽夢は急に不二に接近した。間近で見る鋭い瞳に恐怖を感じて、思わず目を強く瞑った。殴られる。そんなことあるはずないのに、そう思ってしまうくらい、今の不二は怖かった。痛みは当然ながら襲って来なかった。代わりに、ふわりと覆い被さるぬくもりを感じた。驚いて目を見開けば、今までで一番近くに不二がいて、あの怖い瞳は閉じていて。くちびるに、自分のものじゃあない温かさがあった。


「…さすがに分かったよね?」


唇を離してからも、混乱やら何やらで放心したままの芽夢を、不二はまた怖い顔に戻って睨みつけた。分かったって、なにが?そんなことを聞いたら、今度こそ手が上がるかもしれない。そう思うくらい、芽夢の心は不二の一挙一動に追い込まれていた。分かって、しまったから。


「その気がないなら、もう僕に近付かないで」


ゆっくり、身体を押されて離される。そのまま、不二は芽夢の顔を見ることなく踵を返した。きっと、気付かなかった。芽夢がぼたぼたと涙を零していたことに。どうして泣いたのか、自分でも分からなかった。不二が怖かったからか、突然のキスが嫌だったのが、一方的に拒絶されたのが悲しかったのか。ただ、知らず知らずのうちに自分が不二を傷付けていた事実を急に突きつけられて、彼を引き留める勇気なんて芽夢にはなかった。不二を追う。そんな考えすら、芽夢には浮かばなかった。
中学二年、冬休みの前日のことだった。


――――


「―と、いうわけ。満足?」
「いやいやいやいや!だから!なんでそんな重い話すぐにしちゃうの!?」
「だから、聞いてきたのは菊丸じゃん…しかも聞かない方が良いってちゃんと忠告したのに」
「うっ…」


図星。菊丸は聞くんじゃなかった…と机にうなだれた。芽夢の机に。どうやら、喧嘩の原因が分かれば仲直りの力になれるかもしれない、と思ったらしい。「で、どうにかなりそう?」と分かりきった問いかけをすれば、菊丸は力無く首を左右に振った。うん、知ってる。


「でもさ」
「ん?」
「水竿が不二を追いかけなかったのは、やっぱり…その気、がなかったから?」
「え?」
「え?」
「…………考えたこともなかった」
「え、おま、それは」


さすがに不二に失礼だろう。と言いたかったのだろうが、芽夢は彼の丸見えの額に額に手のひらを押し当て騙された。そうか、その気…か。確かにあの時に何も行動を起こさなければ、そう捉えられてもおかしくない。


「なんていうか、さ」
「ほい?」
「確かにその気はなかった、んだけど…それよりあの時はショックが馬鹿みたいに大きくて」
「でも、一日もしたら少しは落ち着くんじゃないの?」
「確かにそうなんだけど、次の日になったら不二が本当にガン無視してくるし、なんか……私も、腹…立ってきて…」
「はあ?」
「だ、ってそうじゃん!言いたいこと好きなだけ言って、私のことなんてお構いなしで、勝手に怒って、いきなりあんなこと、されて」


本当に、怖かったのに。そんなこと、菊丸に言っても仕方ない。分かってはいるけれど、今まで誰に話すことも出来ないまま、もう一年以上も抱え込んでいたことなのだ。しかし、それを聞いた菊丸はぽかんと口を開いて、そのまま数秒静止したのちに深く溜め息を吐いた。


「あのさー…」
「…?」
「あー…のな。水竿が知らないだけで、不二はめちゃめちゃおまえにアピールしてたんだけどにゃ〜…」
「…………え?」
「ちなみに三回くらい告白して、全部流されてた」
「う、うそだあ!」
「不二じゃなかったら一年半もしないで愛想尽かすレベルで、おまえは鈍感だった」


好きだと言った時には、ありがとう私も好きだよ。ずっと一緒にいたいと言った時には、じゃあ一緒にまた青学に上がろうね。春先の肌寒い時期に手を握ったら、告白の言葉を言う前に寒いなら言ってよと手袋を渡されたらしい。一つ一つ菊丸に説明され、思い返すと……確かに、そんなことがあったような気がしないでもない。だんだんと蒼白になる芽夢の顔色を眺めながら菊丸は苦笑するしかなかった。しかし、本当に全く意識されていなかったとは。ある意味、早めにキレておいて良かったなと菊丸は自分のクラスにいるであろう不二を想った。


「もう、俺はおまえらをどうしたら良いのかわからんにゃー」
「わ…私にもさっぱりわからん…にゃあ」


動揺のあまり気を落ち着かせようと菊丸の真似をしたら頭をはたかれた。痛い。
それ以上に、もう遠い過去のように思っていたあの日の思い出が、胸の奥で酷く痛んだ。
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