ロストエンドスタート | ナノ


中学生の時、喧嘩別れをしてから一度だけ、不二の試合を見たことがある。そう本人に告げると、彼は酷く驚いたような顔をした。公式戦ではなかったし、見るつもりなんてなかった。本当に偶然、試合をしている彼を見かけたに過ぎないのだ。三年生の、夏のことだった。ラクロス部の練習が終わって真っ直ぐ帰ろうと思っていた。そんな時、たまたま通りかかったテニスコートに、不二の姿を見つけた。そういえば、テニス部は全国大会への出場が決まっていたなと思い出す。少し前からテニス部恒例の校内ランキング戦を行っているのも噂で聞いている。
試合を見たところで、彼に何か言えるわけでもない。今更、彼のテニスを見る気にもならない。前の年の冬から、芽夢は頑なにテニス部を視界に入れようとしなかった。それなのに、視線がコートに張り付いて離れなかったのは、不二が今までにないくらい真剣だったのが遠くからでも分かったからだ。大会の時だって、あんなに必死になっている不二を見たことはなかった。走って、走って、全力でプレーする不二は、まるで彼ではないみたいだった。相手は同じ三年、部長の手塚国光。
どうして、そんなに必死になっているのか。見たことのないような目をしているのか。今まで試合を見に行った時はいつだって芽夢に気付いていたのに、今はまるで周りの景色さえ見えていないみたいに、視線は真っ直ぐ手塚だけを捉えている。気付けば、今まで見向きもしなかった、見たくもなかったはずの彼の試合に没頭している自分が居た。

泣いていた、あの不二がだ。涙を流しながら「悔しい」と笑っていた。その時、芽夢はそれが本当に不二周助なのかと疑った。同時に、自分は彼のことを何も理解できていなかったのだと気付く。駆け寄ることも、声をかけることも出来ない自分を、恨みたくなった。いっそ、できることなら、そんな不二なんて知りたくなかった。


「どうして?」


静かに、芽夢の話を聞いていた不二が声を上げた。小さな疑問を投げかけられ、芽夢は眉を下げて笑う。


「私、あの試合を見た時に思ったの。不二には、私はもう要らないんだなって。私がいないところで、あんな顔する不二見たら、そう思わずにはいられなかった」


本気で、そう思ったのだ。不二はきっとテニス部の仲間たちと過ごすうちに、自分のことなんて忘れてしまうのだろうと。始めから何の関係もなかったように、二度と言葉を交わすこともないのだと。それを心のどこかで否定したいと思いながらも、芽夢は踏み出すことが出来なかった。仕方がないと、自分に言い聞かせて。
不意に、身体を引かれて彼の腕に落ちる。どうしたのだろうと上を向くけれど、両腕を使ってきつく抱きしめられて顔が見えない。


「不二?」
「…これって、偶然なのかな」
「え?」
「僕も、同じことを思ったよ」


心から楽しんでラクロスをプレーしている時、部活仲間と笑い合っている時。そのままどこか遠くに行ってしまうような気がした。自分がいなくても、時間は問題なく過ぎて行く。いつの間にか一緒に居ないことが当たり前になっていたように、これから先も互いの存在が居ないことが普通になっていくのだと、そう思った。


「でも、今こうして話したり触れたりしてることが、もう当たり前に思えてくるんだ。欲しがってばかりで、いつか罰が当たりそうだね」


顔は見えないのに、何となく彼が寂しがっているように感じた。同じような気持ちを抱いて、互いに知らないまま長い時間を別々に過ごしてきた。その時間があったからこそ、今こうして大切だと心から思い合えるようになったというのに、欲深い自分は離れていた時間さえも惜しいと思ってしまう。欲しがりで罰が当たるというなら、それは自分こそ相応しい。けれど、そんなことを言ったら優しい不二は、自分も同じだから一緒に罰を受けたいなんて言うのだろう。菊丸に話したら、それは優しいわけじゃあなく重いんだ、なんて言われること間違いない。それでも良い。菊丸は良く不二が、不二はと言っているが、存外芽夢も変わらない。あの試合を見た時、芽夢は確かに思ったのだ。自分の知らない不二なんて見たくなかった、と。同時に、自分のためにも泣いてくれないだろうかなんて考える最低の女だ。
まだ、不二は知らなくて良い。気づかないで。やっと離れた彼のまぶたに、そっと唇で触れた。
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テーマ「人外ファンタジー」
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