ロストエンドスタート | ナノ


芽夢と二回目のキスをした。
その翌日から彼女のリハビリ生活は始まり、退屈な日々は一変したようだった。頭の怪我はもう完治していて検査結果も良好、神経系の異変も四六時中起こっているわけではないので事実上いつでも退院できる状態らしいが、最初の数日はリハビリに慣れさせるために芽夢は未だ入院生活を続けている。本人は至って元気なわけだし、会いに行けば以前と変わらない笑顔で出迎えてくれる。入院したままの生活なんて些細なことだと、彼女は笑った。
それから、不二は以前にも増して彼女の病室を訪れることが増えた。もともと、ほぼ毎日顔を出していたのだからあまり変わらないかも知れないが。練習のあと、決まってジャージ姿で現れる不二を芽夢はいつも心待ちにしていた。今までのように他愛もない話をしたり、元ラクロス部員の人と鉢合わせたこともあって随分仲良くなったとも思う。ただ、二人で居ると時々ふいに彼女が恋しくなって、誰にも見つからないように頭を撫でたり、抱きしめてみたり、本当に稀にキスをしたり。毎回毎回、抵抗なんて言葉さえ知らないみたいに芽夢は自分を受け入れてくれて、一方通行ではない行為に心を踊らせた。
恋人なのか、と聞かれればきっとノーと答える。まだ互いに気持ちを伝えたわけではないし、彼女がそんな発想を持ち合わせているかさえ怪しい。なんとなく、犬の親子が戯れるような愛情表現だと思った。唇と唇がくっついて、離れる。年相応の子供じみたキスが、こんなに愛しくさせるなんて思わなかった。人間なんて、触れればもっと奥を探りたくなるし、一つ手に入れたらその先も欲しくなる。そんな貪欲な生き物なのに。もちろんそういう感情がないわけではないし、不二は芽夢の全てを知りたいとさえ思っている。誰も、芽夢自身さえ知らない彼女を引きずり出して、自分だけのものにしてしまいたい。ただ、今はそれ以上に、馬鹿みたいに子供っぽいキスにすっかり魅せられてしまっている。好き、だけじゃあない。誰かを愛しく、大切に思う気持ちを初めて知ったような気がする。


「水竿」
「ん…?」
「今日のリハビリ、どうだった?」
「んー、ふつう」


そう言って笑う芽夢に、不二も同じ表情を返した。あの日以来、不二の定位置はパイプ椅子からベッド脇にすっかり変わっていた。その方が芽夢と視線が合わせやすいし、すぐに撫でられる距離でいられるから。「私チビなのに目線が合うとか、座高のが高いのバレるからなんかやだ」といつか零した不機嫌な芽夢を見た時は、思わず声を上げて笑ったものだ。


「明後日ね、退院だって」
「そっか、じゃあ朝練がない日は迎えに行くよ」
「えー、いいよ。家真逆じゃん」
「朝練よりは寝坊できるから、大丈夫」


有無を言わせずな不二に、芽夢は唇を尖らせる。「それで、部活がない日は一緒に帰ろう」と提案すれば、今後こそぶんぶんと激しく首を振りながら拒否される。


「そこまで迷惑かけらんないって」
「どうして?僕は迷惑なんて少しも思わないし、君をずっと見ていたいって言ったのも僕だよ」
「え、っと…でも…」
「ああ、そういえば英二に言われたんだけど」
「…?」


急な話題転換についていけないのか、芽夢は目をぱちぱちと瞬かせて首を傾げる。確かに、これは物分かりの悪い彼女じゃあなくても脈絡のない話に混乱するかも知れない。


「不二は歪んでる、って言われたんだ」
「え?」
「僕もそうかなって思ってる」
「ん、んん?」
「でも仕方ないかな、って」
「はあ……」
「水竿が可愛いのが悪い」
「!?」


何を突拍子もないことを、と芽夢は目を見開いてベッドの上で後ずさった。驚くのは無理もないけれど、どうして逃げるかなあ。本当に少しだけ傷付いた。不二はぐっとベッドの上に乗り出して、壁際にぴったりとくっついている芽夢の髪に触れた。


「本当だよ」
「え…?」
「芽夢が可愛くてすごく困ってる。君のことばかり考えてるのに、君のこと全部知りたいって思ってる」
「あ、う、えっと…」
「これだけ口説いても、多分半分も伝わってないんだろうなあって思ったら悲しくなるし」
「く、口説…っ!」
「だから、一緒にいたい。できる限り長い時間、ずーっと」
「ん、」


そっと、唇を押し当てるだけでぴたりと黙る芽夢。本当に小さな動物みたいだ。なるほど、歪んでいるというのも良く分かる。すぐに顔を離せば、珍しく真っ赤に染まった頬にじわじわと愛しさが込み上げる。指先で黒い髪を絡み取って遊んでいると、くすぐったさに身じろぐ姿に勝手に頬が綻ぶ。


「ただでさえクラスも違うんだし、送り迎えくらいさせてくれないと僕の方がどうにかなっちゃうかも」
「……ずるい」
「くすっ、そうだよ。知らなかった?」


悔しそうに見つめてくる芽夢に、くつくつと笑いが込み上げる。こんな恋人みたいなやり取りばかりしていても自分たちを表す言葉は「友人」なのだから、人間はよく分からない。
無理やり取り付けた送り迎えの約束に、芽夢は最後まで納得いかなかったようだ。変に頑固なのも、彼女の個性。前髪を横に分けて額に唇を落とせば、普段と違う雰囲気に酔ったのか芽夢はすぐ顔を赤く染める。良いな、そのままずっと酔ったままでも良いくらいだ。そう思ってじっと見つめていると、芽夢は困ったような顔をしながら頭を振った。ふわり、髪が舞ったかと思えばその小さな頭が胸の辺りに落ちてきて、不二は反射的に彼女の身体を支えた。顔は見えないけれど、髪の間から覗く耳はやはり赤い。


「は、ずかし…ばか」


とてもじゃあないけれど、人を罵倒する態度ではなかった。どうしようもなく溢れ出す笑い。ああ幸せだ、と心の奥底から溢れ出てくるみたいだった。柄にもなく、激しく脈打つ鼓動に果たして彼女は気付いているのやら。
両手で優しく顔を上げさせて、更に赤みの増す頬を撫でた。言葉にならない想いを込めるように、いつもよりほんの少し長いキスを落とした。
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