ロストエンドスタート | ナノ


次の日は、ちゃんと菊丸も連れて改めて芽夢の見舞いに出向いた。すると病室には先客が居て、芽夢を囲う何人もの女子の姿に二人は唖然とした。その正体は、元ラクロス部員たち。一番扉の近くに居た何人かはこちらの存在に気付き振り向いたが、先頭の方は全く気付かず喋り続けていた。なんで調子悪いの言わなかったの、もうラクロス部なんてどうでも良いのかと思った、ラクロスできなくなるかもってなに、なんで勝手に入院なんてしてるの。そんなことを、涙声になりながら言っているのはどうやら部長だった黒木のようで。何とも居づらい雰囲気に飲まれそうで、不二と菊丸は出直すべきかと顔を見合わせた。しかし、二人が行動するより早く、最後尾にいた女子が最前列にいる黒木に部外者の登場を知らせてしまい、十人以上の視線が一気に集まって二人は更に逃げ帰りたいような気持ちを味わった。しかし、話の主軸であるはずの芽夢は二人の姿を確認すると、へらりと笑って手を振る。少し眉が下がって困っているような顔をしているのは、間違いなく黒木に泣かれたことが原因だろう。また来るから、とまだ震えたままの声で伝え、ラクロス部員たちはぞろぞろと病室を出て行った。本当に、芽夢はチームメイトに愛されている。


「水竿ー!心配したんだぞー!」


気まずい雰囲気なんてなかったかのように、菊丸はずかずかと芽夢のベッド脇まで寄って行った。今日はムードメーカーの彼を連れてきて良かった、本当に。「ありがとう、菊丸」そう言って笑う芽夢の表情は、昨日よりもずっと柔らかくて、不二も気付かれないよう胸を撫で下ろした。


「リハビリね、受けることにした」


そう言い切った芽夢に、菊丸はおおっと歓声を上げた。もう悩みはないというように、芽夢の目には光が宿っている。どれだけ時間がかかるか、どこまで元通りになるか、分からないことの方がはるかに多かったが、昨日も断言した通り彼女の決めたことにはとことん付き合うつもりだ。

それから、一週間。五度目の見舞いに病院に足を運んだ時のことだった。さすがに毎日来すぎて怪しいかもしれない。けれどもうすぐ頭の傷も完治して漸くリハビリに取り掛かろうとしていると聞いたら放ってはおけない。そんな自分だけの葛藤の末に芽夢の病室の手前までたどり着いた時、ガラリと音を立て目的地のドアが開け放たれた。無意識に足を止めれば、中から現れたのはスーツ姿の長身の男。見たことのない顔だった。父親、というにはあまりに若すぎるし、彼女は一人っ子のはずだ。明らかに家族以外の関係であろうその男に、不二は不信感を抱いた。


「それじゃあ、頑張って」
「はい、わざわざありがとうございました」


そんなやり取りがかろうじて聞こえたが、それだけで関係の把握は難しかった。男は静かにドアを閉めると、病室の手前で立ち止まっている不二に漸く気付く。ああ、と納得したように呟くと、彼は不二に向き合って笑顔を作った。


「彼女の友達かな」
「…ええ、まあ」
「そうか。どうか、彼女を支えてあげてほしい」


言われるまでもなくそのつもりだ。どうして見ず知らずの彼にそんなことを言われなければならないのかと、子供じみた文句を心の中だけで吐き出した。不二はその良く分からない男に適当な返事を返し、彼が廊下を曲がりきって見えなくなってから漸く芽夢の病室のドアを開けた。


「あ、不二」


いらっしゃい、と笑顔で出迎えてくれる芽夢に苦笑。もう、ベッドに腰掛ける彼女の姿にも慣れてきた。不二もすっかり定位置になったパイプ椅子に座り、率直な疑問を投げかけた。


「今の人、知り合い?」
「あ…スーツの?」
「そう」
「なんだ、見てたんだ」


なんだそれ、まるで見られたくなかったと言っているみたいじゃあないか。不二はほんの少し気持ちがざわめくのに気付かない振りをして、芽夢に続きを促す。


「前、話したでしょ、ラクロスのコーチ」
「ああ、スカウトされた」
「うん、まあ」


スカウト、という言葉に実感が沸かないのか、芽夢は曖昧に返す。しかし、芽夢の言っている人物と不二が見かけた彼はどうやら同一人物のようだ。なるほど、コーチならば見舞いに来るのもおかしくはない。しかし、「実はさ」と視線を下げた芽夢に意識が引っ張られる。


「治療費とリハビリのお金、用意してくれるって」
「え…あの人が?」
「うん」


驚いた。まだ高校一年の芽夢をスカウトするくらいだから相当だとは思っていたが、想像以上の入れ込みように戸惑いを隠せない。そこまで、芽夢にプレイヤーとしての素質を見いだしているのだろう。そのこと自体は非常に喜ばしいことだ。


「断っちゃった」


しかし、芽夢は悪びれもせずそう言う。なんとなく彼女らしいと思いながらも、治療費の魅力は大きいだろうとも思う。建て前のように、どうしてかと尋ねてみた。すると、彼女はその質問が意外だったのか、腕を組んでうんうんと悩み出した。理由を考えているというより、言葉を選んでいるような感じだった。


「なんていうかさ」
「うん」
「私、まだプロ目指すって決めたわけじゃないしさ。んー、なんて言うのかなあ……義理とか、お金とかを理由にラクロスやりたくない、って感じかな」
「…ふうん」
「ラクロス、楽しくやりたいじゃん」


そう言って笑う彼女に、一週間前の影はなかった。まだ、リハビリが始まったわけでもない。ラクロスが出来るようになるのか分かったわけでもないのに、彼女は酷く穏やかに笑うのだ。
おかしい、と人は言うかも知れない。自分でもそう思う。そんな前向きな彼女を見て、自分はその穴を見つけようとしている。別に見つけた穴を広げるわけでもなく、ただ本能的に彼女の欠陥を探していた。寂しさだったり、不安だったり、怒りだったり。何でも良いから、外に見せない彼女の人間らしい部分を見つけたかった。むくりと、あの日引っ込んだはずの醜い欲望が顔を出す。


「…不二……?」


二回、その睫毛が愛らしく揺れて瞳がまばたいた。彼女の髪をかき分けるように頬に当てた手でするりと撫でれば、くすぐったかったのかぴくりとまた睫毛が震えた。何も分かっていないような顔をする芽夢に、じわじわと加虐心にも似た感情が沸き立つ。


「…君が」
「え?」
「今にも折れてしまいそうな姿を見ていたい」
「……なにそれ、え?いじめ?」
「違うよ」


くすり、と笑うと彼女は訝しげに眉間に皺を寄せた。まあ、当然の反応だ。単純な芽夢は不二の思惑なんてきっと一ミリも理解できていないのだろう。そんな彼女だから良いのに、一ミリの半分でも良いから気付いてほしいと思うのは我が儘だろうか。段々と込み上げてくる感情は、非常に名前を付けがたい感覚を心に刻みつけていく。


「水竿が、誰にも見せない顔が見たい、気持ちを知りたい」
「…?」
「僕だけに見せる水竿が、欲しい」
「ほ、しいって」


物じゃあないんだから、と。そういう意味ではないのにと苦笑。それに、と彼女が続けるものだから、首を傾げてその先を聞こうとする。


「みんなに見せる顔なんて、ないよ」
「え…?」
「不二には不二だけ、菊丸には菊丸だけ、部長には部長だけ…一緒じゃないよ?みんな同時に居る時は違うけど…」
「ああ…」


そういう意味。不二は少なからず落胆したが、そんな表情を見せれば芽夢はきっと困ってしまうから、内に留めておく。確かに、そうかも知れない。菊丸と居る時の芽夢は、彼の元気さに呆れたり突拍子もない行動に声を荒げたりすることが多い。けれど、不二と居る時は比較的大人しいし、聞き上手な不二との対談は彼女からの話題提供が多い。みんな同じ、なんてことは確かにない。彼女はきっとそういうことを言いたいのだろう。
けれど、違うんだ。


「わ、っ…」


小さく上がった声が可愛らしくて、不二は小さく笑った。安っぽいパイプ椅子から立ち上がり、頬を包んでいた手をそのまま背中に回せば芽夢の身体は面白いくらいガチガチに固まって、それも面白くて吹き出しそうになった。両手いっぱいに使って抱き締めれば、自分よりずっと小さい身体は難なく包み込めてしまう。珍しく自分相手に緊張しているのが肌から伝わって、少し異常なくらい嬉しくなった。そのまま細い首筋に頭を埋めるようにすり寄れば、慌てた芽夢の声が上がる。ああ、可愛いなあ、なんて。言ったらどんな反応が返ってくるのだろう。


「え、な、なに不二、え?どうしたの?」
「…君のそういうところ、本当に憎たらしいね」
「…っ」


そっと、吸い付くように首筋に唇を当てれば、小さく息を呑むのが分かった。ガチガチに固まった身体、初めての反応。その瞬間、不二は自分が抱えていた訳の分からない感情の名前を見つけた。
独占欲。つまるところ、不二は誰も知らない芽夢を見つけて、自分に閉じ込めてしまいたくて仕方ない、ただの我が儘な子供だったということだ。自嘲。


「水竿」


名前を呼べばどんな時だって反応があって、それだけで嬉しくなる。でも、それだけじゃあ足りない。ほんの少し身体を離して目を合わせる。なんとなく、彼女の視線に熱が籠もっているように感じたのは気のせいではないと信じたい。


「君がこれから先、苦しいことや躓いたことがあったら、誰よりも先に知りたい」
「…どうして?迷惑、かけるのに」
「迷惑?まさか。僕はそれが嬉しいのに。リハビリで辛いことがあったら全部聞きたい、ずっと君を支えていたいし、それが必要ない時だって君を見ていたい」
「ずっと、は、無理だよ。学校も、テニス部だってあるし」
「関係ないよ」


そう言い切る不二に、芽夢の疑問はきっと深まるばかりなのだろう。不安げに揺れる瞳に、自分が映るのが分かった。


「馬鹿だと思われるかも知れないけど、おかしいくらい水竿のことばかり考えてる。僕は卑しい欲張りな人間だから、一度は突き放したはずの君が、今も欲しくてしょうがないんだ」
「……馬鹿」
「言うと思った」


予想通りの返答に、自然と笑みが零れた。そっと、髪の間に指を差し込んで、すくい上げるように両頬を包んで上を向かせる。柔らかい肌に赤色が挿し、瞳が落ち着きなく揺れる。手の甲にそっと指先が触れて、その小さな爪さえも愛しくなる。見つめ合うことが、こんなにももどかしく幸せだなんて知らなかった。熱に浮かされたのか、彼女は抵抗もなく、しかし何か言いたげに唇を開く。けれど、それは音にはならず、微かな呼吸の音が不二を更に駆り立てた。

夕焼けの朱がすっかり色落ちた頃、二度目のキスの温かさは酷く心を安らげた。
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