ロストエンドスタート | ナノ


翌日、テニス部は見事ストレートで勝利を収めた。時間にしても、一試合に三十分前後という好成績だ。不二、菊丸の二人は軽いミーティングを済まし、ユニフォームのままラクロス部の試合会場へと走った。芽夢の活躍と、ここ二週間の猛練習の成果を期待していたのだ。


「な、なんだよこれ」


そう呟いた菊丸の息は上がっていた。試合はハーフタイムが終わった直後、会場は氷帝への声援が沸き立っていた。得点差は十ポイント、たった今到着した二人からでも良く分かる一方的な試合となっている。フィールドを駆ける芽夢をいち早く見つけたのは、やはり視力の良い菊丸だった。しかし、その動きは普段の練習の姿からは想像できないくらい別人のようだった。悪い意味で。


「水竿、なんかおかしくない?動きが鈍いっていうか…」
「うん、なんか、実力を出し切れてない感じだね」
「あ」


菊丸が呟いたのを不二が確認するより、彼女の行動は早かった。今までの中途半端な動きが嘘のように駆け出し、前方に構えていた氷帝選手二人の間を抜けると同じタイミングでパスが回された相手ボールを跳ねさせることなくすっぽりとスティックのヘッドで包んだ。そのまま止まることなく駆け出し、全くマークがついていなかった芽夢は相手のディフェンスウィングが反応できていない隙を軽々と抜いてみせた。瞬く間にゴール前のクリースに到達し、ゴーリーとの一騎打ちになる。「いっけー、水竿!」と菊丸が叫んだのと、ボールがネットを揺らしたのはほぼ同時だった。一瞬の静寂の後、氷帝の半数にも満たない青学の応援団が一気に沸き立った。


「よっしゃー!さっすが水竿!」
「なるほど、今まで動きを抑えてたのはこのためだったんだね」
「いっけー!一気に巻き返すんだにゃー!」


前半での体力温存と、相手の目を欺くプレイスタイル。その作戦通り、氷帝は芽夢を完全にマークから外していた。高校では芽夢の名はまだ知れていない、こんなプレイヤーがいること自体、氷帝の選手は知らなかっただろう。
それから二点、三点と点差は縮まり、漸く危機を察した氷帝選手は芽夢のマークへと動いた。このチームの要は芽夢だ。そして、彼女を中心として周りの動きも活きてくる。芽夢のパスから部長の黒木がシュートを打ち、六点目を決めた。


「あと四点!行ける行ける!」
「でも、さすがに水竿へのマークが厳しくなってきた。ここが正念場だね」


縦横無尽に走り回る芽夢の動きは、不規則で相手を酷く惑わせる。しかしその分、芽夢の体力はじわじわと削られ、ぽっかりと空いたポジションをカバーするチームメイトにも負担がかかる。芽夢が後半になるまで必要以上に自分のポジションの守備範囲から動かなかった理由の一つでもあるだろう。
と、その時、相手の無理やりなラフプレーにより芽夢と相手選手の肩が接触する。反則ぎりぎりのその行動でキープしていたボールが相手サイドに渡ってしまう。素早く逆方向へとパスを回され、ボールは氷帝のアタックウィングへと渡る。瞬間、芽夢は地面を蹴って青学ゴールへと走った。


「立川!セカホマーク!」


黒木がセンターポジションから叫ぶ。アタックウィングからノーマークのセカンドホームにボールが向かう。しかし、そのボールはクリースぎりぎりまで下がってきた芽夢のクロスヘッドが受け止めた。わあっ、とフィールドが歓声に包まれる。しかし、着地するには身体が前に出過ぎた。先に地面に着いた右足が揺らぐ。バランスを崩した芽夢の前後にはがら空きのセカンドホームとアタックウィングが待ち構えている。バランスを完全に崩す直前、芽夢は苦し紛れにボールを高く跳ね上げるように投げた。


「よっしゃ!ピンチ回避!」
「いや、ボールは相手サイドだ」


ガッツポーズを取る菊丸。しかし、不二の言ったように芽夢が苦し紛れに投げた球は氷帝のカバーポイントが死守している。そのまま勢いを付けて、ボールは再びセンターサークルを越える。だが、それを取ったのは氷帝からのマークを完全に振り払った芽夢だった。


「水竿やるー!わざと相手サイドに投げてバランスを立て直したにゃ!」
「確かに、ディフェンスが手薄な状態で取った球はすぐに戻そうとするのが普通だからね、相手の裏をかいたんだ」
「行け行けー!このままもう一点追加だにゃー!」


障害のなくなったフィールドで芽夢を止まらせるものはない。優々とセンターサークルを越え、同時に走り出した黒木とパスを回しながら守りの薄くなったフィールドを強引に抜けていく。相手のカバーポイントを抜け、更にポイントの立ち位置と逆側に踏み込む。大きく踏み込んで、クロスを振りかぶる。

ピーッ
大きく、空間を抜ける笛の音が響いたのは、その瞬間だった。試合終了の、合図。高く振りかざしたままのクロス。しん、と静寂に包まれたフィールドに、勢いを失ったボールがクロスヘッドからこぼれ落ちた。得点差は、未だ開いたまま。稍あって、漸く試合が終わったと自覚したのか芽夢は力なくスティックを下ろし、そのまま重力に負けてしまったように膝から地面に崩れた。遠くからでも、芽夢が身体全体を使って必死に呼吸を繰り返しているのが分かる。無理もない。後半が始まって、全く止まらず全力で走っていたのだ。すっかり力を使い果たしてしまった様子の芽夢にチームメイトが駆け寄り、肩を借りて覚束ない足取りのままゆっくりと立ち上がる。最後の整列の時になっても、芽夢は一人では立つことも出来なかった。


「負け、ちゃったな」
「……うん」


試合が終わり、会場の入口で初めて、菊丸が試合について触れた。あんなに必死な芽夢も、あんなに弱々しい芽夢も初めて見た。ラクロスについて詳しくはない二人だったが、少なくとも今まで見たことがある芽夢は、いつも活き活きとしていて、どんな試合も純粋に楽しんでいて。あんなに、負けて辛そうにしている芽夢なんて、初めてだった。今彼女に会っても、何と言って声をかければ良いのか分からない。もう、今日でラクロス部は終わってしまった。それでも二人が帰らずに会場に居るのは、芽夢からの「一緒に帰ろう」というメールが来たからだ。ミーティングがあるからと待つこと三十分、青学チームの中で一番最初に出てきたのはユニフォームのままの芽夢だった。今度はしっかりと一人で歩いているものの、やはり足取りは重い。


「あ、不二、菊丸」


それでも、二人を見つけると芽夢は笑うのだ。その普段とあまり変わりない態度に、結局「お疲れ様」としか言えなかった。


「応援来てくれたのに、負けちゃってごめんね」
「謝ることじゃないよ」
「そうそう、水竿すっげー頑張ったな。俺びっくりした」
「ありがとう。私も電池切れるまで走ったの初めてだよ」


照れたように笑う姿も、普段と変わりなかった。最後の試合で、チームメイトと話すこともあったはずなのに、芽夢はわざわざ二人と帰ることを望んだ。その理由はきっと、二人が思っていることで間違いないのだろう。
帰り道、夕焼けが見え始めた河川敷で、不二と菊丸は合図したように同時に立ち止まった。一人で数歩先へ行った芽夢は、遅れて振り返る。


「どうかした?」


首を傾げながら尋ねても、どちらも答えない。もうすぐ夏に差し掛かるこの時期らしい、生ぬるい風が髪を揺らす。次第に、芽夢から表情が消える。ゆっくり俯いて、前髪に瞳が隠された。


「水竿」


一歩、近付くと同時に不二が名前を呟く。縮まった距離、芽夢の指先が頼りなく伸びて、不二のユニフォームの裾を掴んだ。


「…負け、た」


ぽつり、零れた言葉は、まるで自分に言い聞かせているようだった。その一言で、漸く内側にとどまっていた涙の粒が頬を伝った。それは次第に雨のように降り、嗚咽混じりの声が溢れ出す。
負けて、一番傷付いたのはきっと自分ではないから。勝たせられなかったから。そんな意地と罪悪感で、芽夢はきっと今の今まで弱気な言葉は口にしなかったのだろう。ここにきて、漸く素直に泣き出した芽夢に、不二は酷く安心した。かしゃん、と。芽夢の細い肩にかけたスティックが落ちて地面に横たわった。
青学女子ラクロス部。その最後の日は、不二と菊丸、二人の記憶に深く刻まれた。
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