ロストエンドスタート | ナノ


「で、本当に退学にしちゃったんだ」
「くすっ」


勿論、と間髪入れず返した不二はそれはもう極上の笑顔だった。あの、芽夢が上級生に暴行されかけた翌日、不二は朝練をサボって職員室へ行ったらしい。何を話したのかは教えてもらえなかったが、遅れて登校した芽夢が学年主任を訪ねた時には既に彼らの退学が決まっているような口振りだった。しでかしたことがいかに重大だろうと、未遂に終わったのだから停学くらいが妥当だと踏んでいたのに。一体何を言ったのやら。


「でも、これで水竿も一安心だね」
「うん、菊丸もありがとう」
「かっこいーとこは全部不二に持ってかれたけどな〜」


つまらなそうに唇を尖らせる菊丸を、不二と芽夢は笑いながらなだめる。不機嫌そうにしながらも、菊丸はすっかり蟠りのなくなった二人を見てどこか活き活きとしていた。彼にも随分、気を遣わせてしまった。


「不謹慎だけどさ」
「ほい?」
「また三人で話せたから、今回のことがあって良かったなあって」
「本当に不謹慎だね」


そう芽夢に言う不二も、菊丸からすれば嬉しそうだったが口には出さなかった。
首謀者の二人がいなくなって以来、今までの嫌がらせの数々はぱったりと消えた。もう終わったことだから良いか、と部活仲間にそれまであったことを赤裸々に語れば、どうして話さなかったんだとこめかみをぐりぐりされた。芽夢は自分で思っていたよりも先輩からも友達からも思われていたらしい。嬉しい限りだ。


「引退試合?」


そう、と声を揃えて尋ねてきた菊丸と不二に答えた。二週間後の都大会。それが芽夢たち女子ラクロス部の最後の大会になる。唯一の一年生である芽夢からしても最初で最後の大会だ。


「そっか、ラクロス部は三年ばっかだから」
「うん、三年が引退したら廃部するんだって」


それは、もう随分前から部長に聞いていたことだ。それを今話したのには理由がある。都大会、最初の対戦校が決まったと連絡を貰ったのだ。


「初戦から氷帝だなんて、運もなにもないわ」
「氷帝ってラクロスも強いの?」
「お坊ちゃん校だからね、弱い部活なんてないでしょ逆に」


戦う前から無理だ負けだと騒ぐのは嫌いなので絶対に言わないが、のしかかった不安の重さは尋常ではない。廃部間際の弱小チームが、果たしてどこまであのエリート集団に食らいつけるのか。ちなみに氷帝学園は去年も堂々の一位通過を果たしている。本来ならば地区大会から挑むはずが、地区内で参加資格のあるラクロス部は青学を含め二校。そのもう一つの学校が辞退してしまい、事実上の初戦が都大会となったのだ。


「と、いうわけで私しばらくは部活に没頭します」
「いや、それは俺たちもだけど。テニス部も大会あるし」
「あ、そっか」
「でも、水竿がほとんど一人でメニューとか組んでるんだよね。きつくない?」
「授業中に時間活用してるから大丈夫」


不二と菊丸に白い目で見られた。失礼な。だって先輩にとっての最後の試合、勝ち上がりたいし。そう呟けば、同じスポーツに没頭する者同士、伝わるものがあったらしく二人は微笑みながら頷いた。


「これは当日、何が何でも応援に行かなきゃだにゃー」
「そうだね、気合い入れて応援しないと」
「うーん、なんか恥ずかしいなあ」


中学生の頃はしょっちゅう互いの応援に馳せ参じていたのだから、本当に今さらだ。けれど、もうしばらく見ていない、それも世間一般からしたらただの負け試合を見に来るというのだ。緊張もさながらに、芽夢の中でじりじりと炎が燃えているようだった。あと二週間、何が何でもチームを強くしなければ。芽夢は食べかけの弁当のおかずを摘みながら、練習メニューをノートに書き込んでいく。去年のチームメイトを思い出すその姿に、不二と菊丸は小さく笑った。


「えええええ先輩どうしたんですか!?」


その日の放課後、ホームルームが終わるなり一目散にグラウンドに向かった芽夢が一番に発した言葉がそれだった。
何度も言うようだが、我がラクロス部は基本的に緩い。楽しく活動をモットーとするが故に、稀に羽目を外しすぎてしまうくらいには緩い。芽夢の練習メニューには記されていないが、実はかなり初期段階に「先輩たちにやる気を出させる」という課題を自分に与えていたのだ。相手は関東大会の常連でもある氷帝学園だ。明らかな力の差を感じて、始めからやる気をなくしている部員もいるだろうと踏んでいたのだ。
だが、それは意外にも的を外した。


「何って、ランニング」
「ランニング!?あんなに基礎練嫌いな先輩たちが、ランニング!?」


驚きの余り飛び出しそうな心臓を押さえその様子を凝視する。どう見ても、ちゃんと練習をしている。今まで体育の授業の延長線でしかなかったようなラクロス部の、こんな自主的な面を見たのはおそらく初めてだ。芽夢の登場で走るのを止めた部長は、芽夢の隣に立ちながら未だ目を白黒させている後輩の頭を軽く叩いた。


「初戦、氷帝じゃん」
「は、はい…」
「私らもさ、ちょっと諦めてた、っていうか、どうせ無理だしなーくらいにしか思ってなかったんだけど」
「…はい」
「あんた、私たち勝たせる気になってるから」
「!」


知られていた。いつの間に知ったのか、それとも自然と感じたのか。ただ、その短い会話で悟ってしまったのだ。皆、芽夢の気持ちに応えようとしてくれている。受験も忙しくなるこの時期に、副部長の田所なんて都内でも名の知れたエリート大学を受験するというのに、今ああして他の部員たちとひたすら走っている。「私らがやる気にならなきゃ、意味ないんだから」そう誇らしげに言う部長が、とても輝いていた。


「高校のうちに花咲かせたいし、せっかくこんな良いコーチに恵まれたんだし」
「コーチ…なんて、私の柄じゃないです」
「確かに。でも、芽夢には先があるじゃない。いつプロの選手になるかも分からない、今のうちに食えるもんは食っとかなきゃ」


したり顔で挑発まがいな発言、芽夢は思わず小さく吹き出した。


「部長」
「ん?」
「だーいすき」
「そーかそーか、私も犬は大好きだぞー」
「!?」


人間扱いされていなかったらしい。小学生の時の猿呼ばわりよりかはマシだろう。多分。
部長に苦笑いを向ける芽夢の横顔を見て、外からグラウンドを眺めていた影が背を向けたことを、芽夢は知らない。


「ふーじー?」


代わりというように、その背中に声をかけたのは一緒に並んでいた菊丸だった。呼び止められ、何食わぬ顔で不二は振り向く。部活に行く前に、大会に向けて意気込んでいる芽夢の様子を見ておこうと二人してグラウンドに立ち寄ったのだ。しかし、彼は本来の目的を実行しないまま進行方向を変えてしまい、菊丸からすればその行動は不思議なものでしかない。


「どうしたんだにゃー。水竿ならそこにいるのに」
「うん、ちょっとね」
「あー、さては不二、あの部長さんにやきもちかにゃ?」
「ははっ、そうだね」
「え」


ぴたり、背中を追いかけていた菊丸の足が止まる。ぱちくりと瞬きを繰り返す真の抜けた顔に、どうしたんだい?という声がかけられる。いやいやどうしたじゃあないおまえのせいだ。今の言葉のどこまでが本当なのだろうか。不二はいつも声や表情で気持ちを悟らせたりしない人間だから、余計に混乱してしまう。少なくとも、中学の時は芽夢が誰かにじゃれつくことに対して文句を言ったりはしなかったが。


「…不二ってさぁ」
「うん?」
「結構歪んでる?」
「え、どうして?」
「普通、女子同士でべたべたしてても拗ねたりしないもんよ」
「そうかな。でも、それで歪んでるって言うなら、そんなのずっと前からだしね」


嘘をつけ嘘を。いや、もしそれが事実だったとしても、昔の不二なら決してそれを周りに悟らせなかった。それを、こうも堂々とさらけ出すなんてどうかしてしまったとしか思えない。絶対おかしい。そういう意味を込めて不二をじっと見つめていると、不二は口元に手を持っていって小さく笑った。そういうところ、水竿よりずっとお淑やかだにゃあ。とは言わなかった。


「水竿は言わないと…というか、言っても全然警戒心がないし、そもそも分かってないよね。いろんなことに対して」
「あー…」
「どうせ、僕が前に水竿に言ったことも、怒ってないイコール、もうそういう気持ちじゃないって思ってるだろうし」
「あいつらしいにゃー…」


楽観的、とは少し違うが、物事を単純に考えてしまう傾向のある芽夢の言動の数々を思い出して、菊丸はフォローする気にもならなかった。この間の体育館倉庫に連れ込まれた事件だって、大事をとって誰かと一緒に行動していれば未然に防げたであろう。上履きを二足も使い物にならなくしてしまったことだって、一日嫌がらせが収まったくらいで安心してしまった考えの至らなさだって原因の一つである。素直、といえば長所だが、同時にそれは芽夢の最大の弱点でもあるのだ。
だから、ね。静かに呟いた不二。その顔をそっと覗き込んで、菊丸は思わず口元を引きつらせた。


「遠回しな言葉で理解できないのなら、多少無理にでも分からせてあげた方が、水竿のためにもなるよね」


それは獲物を捉える、野犬のような目だった。
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