クリアな詭弁の世界に淘汰 | ナノ


誰かのために生きてみたり、自分の心に従ってみたり、多くの人の気持ちに触れてみたり。そんなふうに生きれる日は、一生ないものだと思っていた。だって、私には心がないから。痛みも悲しみも知らないのは、安らぎも幸せも分からないからで。そんな陳腐な生に甘んじては、誰かを貶めることでしか道を見いだせなかった。私を可哀想だと言う者、惨めだ不憫だと嘲笑う者。私には彼らの気持ちが理解出来なかった。理解出来ないまま、ここまで来てしまった。
私を変えたものがあるとすればそれは、それは私自身以外のこの世界に存在するもの、全てだ。


「そんな…破られてしまった」


体内のマナを吸い上げられ、誰もが地に膝をつきかけた。身体を震わせ、足を踏ん張って空を見上げるミラの呟きに、皆も続いて重い頭を上げる。


「そうか…そういうことだったのか!槍は、兵器などではなかった!」


暗い空。雲を突き抜けるかのように空いた大きな穴。相次ぐ爆発のさなか、空を突き抜けた一閃が地を抉り、ファイザバード沼野一帯を瞬く間に火の海に変える。「そんな…」小さく、まるで焦点の合わない目で呟くコト。今にも膝から崩れ落ちそうなほど弱々しいその様子に、誰一人として気付く様子はなかった。ミラが状況を説明する猶予もなく、空から次々と現れる大量の船。十、二十と際限なく増えるそれに、誰もが目を見張った。それはアルヴィンとて同じことだ。彼は、奴の本当の目的を何も知らない。


「ついにやった…くくっ、ははははははは!」
「!」


高々と上がる声。全員がそちらに視線をやれば、崖の上に立ちはだかる一つの影。瞬間、アルヴィンとコトの目の色が変わる。


「ジランド!どういうことだ!!」


身を乗り出したアルヴィンが叫ぶ。しかし、ジランドから向けられた視線は酷く冷たいものだった。それだけで、彼は悟ったのだ。自らが、利用されていたことを。しかし、怒りに飛び出したのはアルヴィンではなかった。


「ジランドォッ!!!!」


銀の蛇が唸る。マナを吸い取られ重いはずの身体をしならせながら、飛び出したのはコトだった。下方から二本のナイフを打ち上げ、自身も駆け出す。まっすぐにジランドを狙ったナイフが届きそうになった刹那、キィン…という高い音を立ててナイフが空中で凍りついた。勢いを失ったナイフは地に落ちるが、コトはそれを気にもとめず鎖を操り崖を駆け上がる。相手がナイフに気を取られている間に、崖に突き刺した鎖を一気に巻き上げ反動で空高く飛び上がる。巻き上げた鎖を放つべく、コトは左腕を振りかぶった。


「っ!?あぁッ!」


瞬間的に弾き返された。ジランドに、ではない。あと一歩で届くといったところで、止めに入たのはオルダ宮でナハティガルを討った、あの力だ。胸の前で弾けた氷の粒に身体を吹き飛ばされ、崖から突き落とされる。受け身を取るだけの余裕もない。しかし、固く目を瞑ったコトが衝突したのは、固い地面ではなかった。


「コトっ、大丈夫!?」
「おい、無茶すんな!」
「今、回復します…!」


吹き飛ばされたコトの身体を受け止めたのは、ジュードとアルヴィンの二人だった。続いて、すぐさま駆け寄ってきたエリーゼが治癒術の詠唱を始める。氷の破片に所々肌を裂かれているのか、びりびりと痛みを感じる。しかし、それより問題は左腕だ。振り上げた状態のまま吹き飛ばされたせいで、おかしな方向に捻ったようだ。下手をすれば治癒術では完治しないかもしれない。痛みに表情を歪ませるコトを庇うように、その前にミラが立ちはだかる。その瞳が見つめるのは、ジランドの隣。コトを吹き飛ばした力の主だ。


「ハ・ミルをやったのは貴様らか」
「そう。俺の精霊、このセルシウスがな」
「セルシウスだと?そのような名、聞いたことも…」


ノーム、ウンディーネ、イフリート、シルフ。地水火風を司る四大精霊。そしてその全てを統べる精霊の主、マクスウェル。この世界に伝えられてきた精霊の名。しかし、ジランドが支配するそれの属性は氷。大精霊クラスの力は確かに感じるものの、ミラさえもその名には覚えがないという。ジランドは誇るように口角を上げると、その視線をミラからアルヴィンに支えられているコトに移した。


「随分長い芝居を打っていると思えば…どういうつもりだ?コト」
「!あの人、どうしてコトの名前を…」
「ア・ジュール王に四象刃、それどころかマクスウェルにまで取り入るとは…流石はアルクノアの幹部補佐だが、主人に刃向かうとは頂けねえ」
「えっ!?」
「コトが…アルクノア!?」


驚愕の声を上げたのは、エリーゼとレイアだった。自分の言葉ではなく、ジランドによって真実を明かされてしまったことに、コトはジランドを見上げながら歯を食いしばった。結果的に彼女たちを騙していたことに、罪悪感は拭いきれなかった。黙っていればいつか暴かれることくらい分からないわけがなかったというのに。治癒術をかけていたエリーゼの手が止まる。彼女は、誰よりアルヴィンに嘘をつかれたことに傷付いていた。失望させてしまっても、彼女に非はない。


「でも!コトは記憶がなかったんだよ?私たちに取り入るつもりじゃなかったんでしょ!?」
「いや、」


必死にコトを庇おうするレイア。その尤もといえる意見に、ミラはゆっくり首を左右に振った。


「コト、君は思い出していたのではないか?だから今、真っ先にジランドに斬りかかった」
「…嘘はつけないわね」
「そんなっ!?」


声を荒げたレイアに、苦々しく笑う。その様子で、まだ傷が癒えていないことに気付いたらしいエリーゼが再び治癒術をかけようとするが、コトはその細い手を掴んで制止させた。「痛みは取れたから」という表情はとても平気そうには見せられなかっただろう。しかし、彼らにこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。だからといって、一度刃を向けたジランドの元へ戻るつもりもない。
コトはもう知ってしまったから。他人の温もりを。意志の力を。


「我が国の民に手をかけたこと、許しはせん」


ガイアスの鋭い眼光がジランドを見据える。しかし、その大太刀を振るう間もなく、淀んだ空から現れた船から次々に攻撃が放たれ阻まれてしまう。一発でも受ければひとたまりもない。空に気を取られている間に、遂に地上までたどり着いてしまった船から武装した兵士が飛び降り、瞬く間にミラたちを取り囲んでしまった。ミラ、そしてコトだけを殺さずに捕らえるようジランドに命じられた兵が、獲物を狩るようにジュードたちを見据える。ラ・シュガル、ア・ジュール間の戦争が、まさか知りもしない異端者たちに掌握されるなどと誰が考えただろうか。


「…っ」


コトは、まだ迷っていた。全てを思い出してしまった今、ジランドのやり方がどんなに卑劣なものか分かっていても先ほどのように勢いだけで刃向かえるものではない。彼は自分を殺さず、捕らえようとしている。それは、まだアルクノアにとってコトは利用価値が、居場所があるということ。
それでも、ミラはコトの正体に感づいていながらも近くに置いてくれていた。その事実だけで、こんなにも心が揺らぐ。


「コト!」
「!」
「迷うな!おまえの意志を示せ!」
「そうだよ!僕たちは、アルクノアじゃないコトを信じてる!」
「うん!私たちっ、何度も助けられた!コトが大好きだもん!」
「ミラ…ジュード、レイア……」


そう。私はずっと信じたかった、誰かを。誰かに信じてほしかった。誰かのために戦いたかった。誰かの幸せを喜びとして感じたかった。
もう、迷わない。後退りかけた足を強く地に張る。そう。私は自分で言ったはずだ。ミラたちが好き、と。記憶を取り戻しても、その心は変わらない。出会う前はできなかった。今なら、誰かのために刃を振るえる。


「ちっ…セルシウス!」


コトを見据えたジランドが叫ぶ。さすがは主、コトの気持ちの変化にいち早く気付き手を打つつもりか。所詮…彼にとっての自分の価値なんてその程度のものか。次々と降り注ぐ氷の刃をステップを踏みながら避けるが、底知れないセルシウスのマナの前では立ち向かうことはできない。逃げることもできず、しかし戦うにはあまりに分が悪すぎる。コトを見限った今、ジランドの狙いはミラに絞られたというのに抜け出す隙もない。


「ふんっ!!」
「!」


突如、視界に割って入った巨大な太刀に、コトは目を見張った。ガキィ!と高い音と共にコトを狙っていた氷は弾かれ、その先を目で追えば、剣を構えたガイアスの横顔。


「奴らの狙いはマクスウェルだ。行け」
「ガイアス、あなた…ううん、わかった」


信じられている気はしなかった。ただ、彼は共に過ごした短い時間の中の経験で悟ったのだろう。迷うこともなく。
コトの選ぶ相手を。
ジランド、セルシウスをガイアスに任せ、コトは大きく跳び退いて踵を返した。見つけた先のミラは、どうやら気絶しているらしくジュードに抱えられぐったりとしていた。ミラを、アルクノアに奪われてはいけない。コト自身も捕まるわけにはいかない。
しかし、次に視線を傾けた先の光景に、コトは刮目した。アルクノアに囲まれたエリーゼ、向けられた黒匣の銃口。それらを阻むように立ちはだかるのは、コトが記憶をなくしてから初めて、拠り所になってくれた恩師その人で。
考えるより先に、走り出した。


「ジャオ!!!!」


彼に降りかかろうとするそれを、渾身の力で放った衝撃波が吹き飛ばす。ガチャン!と音を立てながら部品が弾かれる黒匣に、アルクノアは戸惑い隙を見せる。その一点をついて、コトは長い手足を駆使して周りの敵を蹴り飛ばし、鎖を踊らせ次々と黒匣をなぎ払っていく。コトを捉えたジャオの瞳に、僅かに光が灯る。その傍らまで駆け寄って、コトは漸く彼の額から痛々しく流れる血に気付いた。その隣でティポを抱き締めるエリーゼには、傷一つない。彼が身体を張ってエリーゼを守ったことが分かる。


「…エリーゼ、ジュードたちのところまで走れる?」
「…え?でも…」
「急いで」


一瞥したエリーゼから視線を外し、ジャオと並ぶように彼女の前に立つ。小さく息を飲む声のあと、エリーゼが走り出す小さな足音。我ながら、間抜けな選択だと思った。ジャオを助けても、自分が捕まれば彼ら…否、このリーゼ・マクシア全ての命が危険に脅かされることになる可能性が増えてしまう。それは全て、その未来を良しとしていた自分自身の罪なのだ。
罪を償う方法があるとすれば、コトにはこれしか思い浮かばなかった。


「死なないで、ジャオ」


生まれて初めて好きになった人たちを、守る。敵であるはずの自分を信じて、大好きと言ってくれた彼女たちを、その未来を。自分自身も愛する。


「娘っ子と行くのが、賢明だがの」
「ミラたちと旅して、私も甘くなっちゃったみたい」


ジャオに笑ってみせる。明るく振る舞えている反面、内心は焦りが募っていくのが分かった。敵陣に囲まれていく戦況、先ほど振るった腕が、遂に本格的に痛み出してきた。ろくに戦えないかもしれない。救うなんて無謀なのかもしれない。
それでも、知ってしまったら動かずにはいられない。
意志の力を。


「繋いで、ジャオ!」
「ふんっ!」


瞬間、ジャオとの意思が頭の中で入り混じる。繋がれた共鳴の光。まるでこちらに繋ぎ止めようとしているみたいだ。
襲い来る脅威をことごとくなぎ払う。彼と戦況を共にするのは久しぶりだったけれど、互いの動きが手に取るように分かる。それは、共鳴を繋いでいるからだけではない。彼に、この背中を預けられると信じているから。圧倒的な人数、こちらは二人とも手負いの傷が深い。それでも、退く理由は一つもなかった。

戦いたいと思った。ミラのために、彼らのために。
故郷ではないこの世界を、救いたいと思った。

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